2010年10月13日
ヤノマミ族の生命観
共同体の子育てをテーマに、この間、記事を重ねてきました。先週は、江戸時代の「子返し」を扱いましたが、今日はその繋がりで、ヤノマミ族の生命観を扱ってみようと思います。
ヤノマミ族は、2009年4月にNHKスペシャルで放送、紹介され、数多くの反響があったそうです。日本の放送コードにかかる映像が含まれ、人権擁護の観点からは、批判されてもおかしくない内容もありました。撮影したディレクターも、どのように編集してよいかわからず、価値判断を保留にして、なるべく事実のまま放送することに決めたそうです。
実際に視聴してみると、自然と共に生きる彼らの外圧状況と、その生命観が密接に結びついていることがわかり、感慨深い内容となっていました。先進国に生きる我々にとっては、馴染みのない非日常的な生活環境のはずなのに、どこか懐かしく、当たり前で、自然な姿として感じられます。
大自然を前にして、人権などの近代観念は、ただの価値観に過ぎないということを思い知らされます。
◆外圧状況・生活環境
ヤノマミ族は、南米アマゾンの熱帯雨林(年間を通じ温暖で雨量が多い)から、オリノコ川にかけて居住しています。シャボノと呼ばれる大きな木造藁葺き屋根のドーナツ型住居(中央広場のある形状)で、150人程度の集団を成し生活しています。シャボノには、家族単位で囲炉裏が置かれ、彼ら、各々の居場所があります。隣接する家族間や内外との間仕切り壁は一切無く、天候(自然環境)や集団内の様子(共認域)が常にわかる居住環境となっています。住居内の人数が増えると分派することがあるようです。
生産様式は主に狩猟・採集。狩猟は男達が担います。狩猟の際は、全員で(女達や子ども達も含めて)キャンプ地に移動。野ブタやサルなどを弓矢で狩ります。男は狩りを成し遂げることで一人前と認められます。獲物を一撃で仕留めるため、矢には毒が塗られていました。女達は川で魚を捕ることもあります。魚は川に毒を混ぜ、痺れて浮いたところを捕獲するようです。彼らはアマゾン内の毒草・薬草を熟知しており、獲物の居場所や狩猟法など、高度な観念体系を持っていました。木の実や昆虫(蜂蜜)の採集。イモの栽培も一部行われているようです。
婚姻様式は一夫一婦。ただし、ある若い女性は複数の男達と交わっていたことが確認されています。狩猟生産であり、祭りの様子からは、男への評価ヒエラルキーが一定存在することもわかりました。基本は総偶婚で、男は勇士に限られる状況でしょうか。条件はわかりませんでしたが、集団内の規範(育児や年齢など?)により、やがて夫婦となるようです。
◆生死は女性が決める
母の胎内に宿る命は精霊だと、ヤノマミ族は言います。また人は死ぬと、森に息づく小さな生命=昆虫へと生まれ変わり、消えて自然と一体になると考えています。万物は精霊によって成り立っている。それがヤノマミ族の生命観です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ精霊と考えられています。精霊のまま天に返すか、人としてこの世に留めるか、赤ちゃんの生死は、その母親が決めます。
産気づいた女性が、他の複数の女達と一緒に森に入っていきました。森を食べ、森に食べられて、命をつないできた彼らにとって、生と死は森にあるのです。彼女は森の中で赤ちゃんを産みました。へその緒がまだ付いた白く小さな体の赤ちゃんが、大きな葉の上に無造作に置かれています。産んだ母親は、胎盤を葉で包み、シロアリの巣へ入れます。そして葉の上に寝かされた赤ちゃんを抱いたとき、精霊は子どもとして受け入れられます。村に連れ帰った母親は、その人生をかけ、子どもを育てます。
赤ちゃんは、天に返されることもあります。その遺体は葉に包まれ、シロアリの巣に入れられます。精霊は天に、肉体は森に返されるのです。ヤノマミ族は1集団で150人程度。年間の出産は20人。内、半数以上が天に返されるようです。
男達は、出産の場や、その行為に一切係わりません。女性が赤ちゃんを連れて帰ってきても、一人で帰ってきても、何も言わないし、何も聞きません。関心すら示さないようにしているかのようです。女性の判断を信じ、生死の場、全てを女性に委ねていました。
るいネット投稿から引用
母親1人が決断しているように見えるけれども、全部その場で一緒に受け止めてくれる女たち(20~30人もの!)がいてくれるからこそ。そうやって、小さいときから幾度も出産の場面にも立ち会って、女としての感覚を磨いてきたからこそ、判断を母親1人に任せることができるし、完全にみんなと意識がすりあってるからこそ、理由も聞く必要がないのだと想います。
みんなと共に生き、みんなと意識が合っているからこそ、女性は子どもの生死を判断できます。また女性が「育てる」と一度決めた以上は、集団の男達全員で守っていくのでしょう。何も聞かない男達の背中からは、そのような大きな意志が感じられました。
生死を前にしたときの彼らの様子は、日常的で、どこか達観した印象すら受けました。しかしそれは、抗うことのできない自然を前に、全てを受け入れ適応していく、命の逞しさなのかもしれません。
今日はここまでとしますが、次回も引き続き扱っていく予定です。
- posted by tani at : 2010年10月13日 | コメント (2件)| トラックバック (0)
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