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2010年10月27日

本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」16 ヤノマミの「森の摂理」としての「子殺し」(後編)

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前回も少し触れたように、ヤノマミは「子殺し(嬰児殺し)」を行います。
今回は、その「子殺し」の様子、動機等について扱います。

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ヤノマミの社会では、子どもは生まれたときは精霊であり、母親に抱きかかえられてはじめて人間になると考えられています。
子殺しは、「天に返す」、「天に送る」というように表現されますが、母親は出産の際に、精霊として生まれた子どもを人間として迎え入れるのか、精霊のまま天に返すのかを決めなければなりません。
この判断は母親に一任されており、他の人間はその母親の判断に従うのみで、その理由等の胸中はけっして明かされません。当然、両親や父親等の考えも母親は察するわけで、間接的には母親の判断に影響を与えますが、どのような判断を母親がしようと、それに周りは従うだけです。
また、出産は必ず森で行われ、女だけで行われます。よって、男は出産に立ち会うこともなく、帰ってきた女が子どもを抱いているかどうかで母親の判断を知ることになります。
そのようにして、場合によっては子殺しが行われるわけですが、前回と同様、「ヤノマミ」(NHK出版 国分拓著)より引用させていただきながら、考察していきます。
まずは、前回の内容と若干重複しますが、前提となる状況の確認です。

緊張を強いる「文明」社会から見ると、原初の森での暮らしは、時に理想郷に見える。だが、ワトリキは甘いユートピアではなかった。文明社会によって理想化された原始共産的な共同体でもなかった。ワトリキには、ただ「生と死」だけがあった。「善悪」や「倫理」や「文明」や「法律」や「掟」を越えた、剥き出しの生と死だけがあった。
思えば、僕たちの社会は死を遠ざける。死骸はすぐに片付けられるし、殺す者と食べる者とが別人だから何を食べても心が痛むことがない。だが、彼らは違う。生きるために自分で殺し、感謝を捧げたのちに土に還す。今日動物を捌いた場所で明日女が命を産み落とすことだってある。ワトリキでは「死」が身近にあって、いつも「生」を支えていた。

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続いて、ローリという14歳の少女の、出産の様子です。
ローリは「ラシャの祭り」という、最後に若い男女が森で交わる祭りで妊娠したため、子どもの父親が誰であるかはわからない状況でした。(ちなみに、ヤノマミにおいては14歳の妊娠は決して珍しくなく、ヤノマミの平均出産年齢は14歳であるとのデータもあります。)
ローリは陣痛が始まってからもなかなか産まれず、森を転々とし、シャーマンによるシャボノを受け、陣痛から45時間経ってようやく出産します。

陣痛から四十五時間後の午後四時過ぎ、七か所目の森にいた女たちから大声で呼ばれた。「こっちへ来い」というのだ。その方向を見ると、森の中で女たちが笑っていた。ついに産まれたのだ。四十五時間眠らず、痛みで泣き続けた末に、ローリは子どもを産み落としたのだ。僕は心の中で「よく頑張った」と言いながら、女たちに近づいていった。不覚にも涙が雫れてきた。十四歳の少女が長い時間苦しんで、命を産み落としたのだ。「おめでとう」と言いたかった。一刻も早くローリの顔を見て、よく頑張ったね、と祝福してあげたかった。
だが、それは、僕の尺度で推し量った勝手な思い込みに過ぎなかった。僕は「森の摂理」を忘れていただけだったのだ。女たちに呼ばれてから一分後、僕は生涯を通じてもこれほどのショックを受けたことはないと思われる、衝撃的な光景を目の当たりにすることになった。
ローリはすっかりやつれていた。暗い表情のまま俯いていた。その傍に子どもが転がっていた。女の子だった。子どもは手足をばたつかせていた。ローリの母親が来て、産まれたばかりの子どもをうつぶせにした。そして、すぐにローリから離れた。子どもの前にローリだけが残された。女たちの視線がローリに集まった。
一瞬嫌な予感がしたが、それはすぐに現実となった。暗い顔をしたローリは子どもの背中に右足を乗せ、両手で首を絞め始めた。とっさに目を背けてしまった。
(中略)
僕は意を決してローリの方に振り返った。視界に菅井カメラマンが入った。物凄い形相で撮影を続けていた。
僕たちは見なければならない。そう思った。そもそも、僕たちから頼んだことなのだ。出産に立ち合わせてくれと頼んだのは、ナプ(引用者注:ヤノマミ以外の人間を指す蔑称)である僕たちなのだ。僕たちは見届けねばならない。僕は何度も自分にそう言い聞かせた。
自分の髪が逆立っているように感じられた。心臓が口からせり出しそうになるほど、激しい動悸も襲ってきた。そして、足が震えて、うまく歩くことすらできなかった。だが、僕たちは見なければならない。ここで見なければならない。僕は、それだけを唱え続けながら、震える足で森の中に立っていた。
(中略)
その時、ローリの周りには二十人以上の女たちが集まっていた。女の子どもたちもいた。これも儀式なのかもしれないと思った。みんなで送る儀式。精霊のまま天に返し、みんなで見届ける儀式。なぜその子は天に返され、自分は人間として迎え入れられたのか、それぞれが自問する儀式。女だけが背負わなければならない業のようなものを女だけで共有する儀式……。

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女が産まれた子どもを精霊として天に返すか、人間として迎え入れるかの判断はどのような基準で行うのか、その正確な基準や理由は彼らが語らない以上、わかりません。
ただ言えるのは、彼らは自らの生活(人生)を「森で産まれ、森を食べ、森に食べられる」と表現します。出産もこの中、つまり「森の摂理」のようなものの中にあるということでしょう。
また、このような森の摂理に従った判断を子どものころから女は幾度となく見続け、受け入れ、共有し、その中から森の摂理を繰り返し学んでいきます。その過程の中で女は集団⇒森の摂理と一体となる、ということでしょうか。
冒頭に引用した文章で筆者が仰っていたように、こうした生活を送るヤノマミは、死を遠ざける私たちの社会とは想像もつかないほどに異なっており、私たちの価値観でどうこう言える問題ではないでしょう。
最後に、この森の摂理の一端を示す(と思われる)データを紹介します。

どのヤノマミの集落でも子どもを天に送る習慣があるというが(キリスト教に改宗した集落はその限りではない)、ワトリキではその率が極めて高いのだという。どうしてなのか、看護助手は多くを語らなかったが、データを見る限り、新生児の生存率に関係があるように思えた。保健所ができる前(一九九八年以前)のNGOによる調査では、新生児の死亡率は三十パーセントを超えていた。だが、保健所ができ、ヤノマミの女が望めば新生児に栄養剤を与える程度の医療活動が始まると、死亡率は二パーセントを切ったのだ。「死亡率」が減ったために「堕胎」が増えた。データ上は、そう見えなくもなかった。

このデータからは、冷静に「分析」すれば、「子殺し」の理由として「人口調整」ということが考えられますし、「森の摂理」を考えれば、そのような側面は否めないでしょう。
森と一体となって暮らしている以上、そこには生産力の限界、バランスのようなものが存在すると考えられます。しかし、彼らが従っている「森の摂理」というものは、なにかその言葉では言い尽くせない、表現できていない感覚もあります。
重要なことは、このヤノマミの例に限らず、集団の婚姻、出産等はそこだけで切って語れるようなものではなく、集団にかかる外圧⇒適応様式⇒観念内容と一体になってはじめてその意味が見えてくるような性質のものだということではないでしょうか。

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はじめまして。突然のコメント。失礼しました。

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