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2007年07月17日

日本語が作る聴覚と脳の特徴

日本人とポリネシア人だけに見られるという聴覚と脳の特徴について書かれている、興味深いサイトがありましたので少し長くなりますが、紹介します。
国際派日本人養成講座 国柄探訪:日本語が作る脳
虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で聞く!? より抜粋、引用します。
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■虫の音に気がつかない!?

東京医科歯科大学の角田忠信教授が、1987年1月にキューバのハバナで開かれた第一回国際学会「中枢神経系の病態生理学とその代償」に参加した時の事である。開会式の前夜に歓迎会が開かれ、東欧圏から大勢の科学者が参加していた。キューバ人の男性が力強いスペイン語で熱弁をふるう。
しかし、教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていた。なるほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないという。教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!
午前2時頃、ようやくパーティが終わって、キューバ人の若い男女二人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどよりももっと激しく虫の音が聞こえる。教授が何度も虫の鳴く草むらを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るのだが、何も聞こえないようだ。不思議そうに顔を見合わせては、お疲れでしょうからゆっくりお休みください、というばかりであった。
教授は毎日、この二人と行動をともにしたが、3日目になってようやく男性は虫の音に気づくようになった。しかし、それ以上の感心は示さなかった。女性の方は、ついに一週間しても分からないままで終わった。どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだ。
■左脳と右脳 
こうした聴覚の違いを切り口に、角田教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求してきた。その結果が驚くべき発見につながった。人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野がある。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。ここまでは日本人も西洋人も一緒である。
ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかった。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処 理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、ということが、角田教授の実験であきらかになった。日本人は虫の音を「虫の声」として聞いているということになる。
このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示すという。さらに興味深いことは、日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、というのである。脳の物理的構造というハードウェアの問題ではなく、幼児期にまず母語としてどの言語を教わったのか、というソフトウェアの問題らしい。
■左脳か、右脳かの実験 
こういう実験で、いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べると、音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本人も西洋人も共通であるが、違いが出るのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音などは、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かった。

■虫の音に聴き入る文化

日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化がある。現代でも コオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、飼育法を解説した書籍まで無数にある。「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例である。
あれ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ 鈴虫も鳴き出した
リン リン リン リン リーン リン
秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声
この伝統は古代にまで遡る。
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分で)
近世では、明治天皇の御製が心に残る。
ひとりしてしづかにきけば聞くままにしげくなりゆくむしのこゑかな
一人静かに耳を傾けると、虫の声がより一層繁く聞こえてくるという、いかにも精密な心理描写である。また虫の「声」という表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発見と符合している。もう一つ明治天皇の御歌を引いておこう。
虫声
さまざまの虫のこゑにもしられけり生きとし生けるものの思ひは
松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知られる、というのである。人も虫もともに「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという日本人の自然観がうかがわれる。虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、という日本人の特性は、この文化に見事に照応している。
■犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」
角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語脳で聞いているという。これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自然観に合致している。
日本の子供が「ワンワン」と答えるのは当然である。親が犬を指して「ワンワン」と教えるのであるから。同様に猫は「ニャーニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は「ビュウビュウ」。まるで自然物はすべて「声」をもつかのようである。
■人種ではなく、母語の違い
こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか 見つかっていない。

日本語を使うことによって、脳のはたらきに違いができるということは新たな発見でした。
「日本語の脳」という定義は、東洋人、西洋人を考える上でも新たな切り口になるのではないかと思います。
日本語には様々な擬音語、擬声語があり、情緒的とも言われますが、日本語の持つ自然観のようなものが、日本人の持つ本源性や共感機能の深さと関わりがある気がします。
日本語の特徴について更に調べてみたいと思います。

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一つ確認です。
子のうち男子は母親の出自集団へ移籍することは分かったのですが、母親の出自集団というのは、嫁入りしてきた一つ前の集団(例えばこれをAとする)なのか、それとも先祖代々の出自集団(例えばXとする)なのか、どちらでしょうか?
というのは、一つ前の集団だとしたら、女は次々と嫁入りするので、出自集団が次々と変わってきます。子のうち女のほうは(例えば生まれた集団をBとする)、嫁入りして子供を生めば(嫁入り先をCとする)、その子(元の母親からみれば孫に当たる)の出自集団はBとなり、元々の母親の出自集団Aと異なってきます。このようにして曾孫はC、次はD、…と変わってゆきます。
もしそうなら、次の文章と矛盾が出てきます。
>この贈物は、男たちが自分の母系一族の成員である子供を育ててくれるよそ者(父)に、その子育ての労をねぎらうために行われるのである。
ですから、先祖代々の出自集団(X)とするほうが正解のように思われますが、いかがでしょうか?

  • 2007年8月19日 03:33

このような摩訶不思議な婚姻制がどうして出てきたか考えてみました。
母系妻問い婚を経過しているのは確かだと思われますが、その次に母系婿入婚を経過した後、母系嫁入婚に逆転したのか、母系妻問婚からいきなり母系嫁入婚に転換したのか不明ですが、転換の契機は同類闘争圧力の激化であることは間違いないと思います。
実際トロブリアンド諸島は、部族連合の次の段階である首長制社会まで進展しています。
同類闘争圧力の激化を受けて、母系集団を守るのは男子、しかも妻問いや婿入の他氏族集団の男子ではなく、自氏族の男子という共認が形成されたと考えられます。(この点がアメリカインディアンと異なるところで、広さ、つまり同類闘争圧力の逃げ場のなさが関係しているのかもしれません。)
ところが、母系集団の歴史が長く、「子供の誕生は、(夫ではなく)母方の女性祖先の精霊が関与しているという生殖観念」も影響して、父系制に転換するには抵抗が大きく、そのため嫁入りにして母系一族の兄弟が出自集団に帰ってくることで、母系かつ男子で守るという離れ業を成し遂げたと考えられます。
(日本の擬制婿入婚は父系観念が先行しているので、この点でトロブリアンドとは系統を異にしていると思われます。)
いずれにしろ、非常に珍しい母系制の一類型だと思います。
母系と父系的なものとが相矛盾して統合されていないため、現実の行動が混乱する場合があるようです。

  • 2007年8月19日 03:40

母系社会なのに嫁入り?息子は嫁を迎えたら一族の本拠地に戻っていく??
何とも難しい婚姻制度ですが、やっと仕組みが分かってきました。
要するに、女たちは、そのときに生活している場所・集団に関係なく、自分の出自の集団(所属集団)というものを常に認識していて、自分の娘には、「嫁いで息子が生まれ、成人してお嫁さんをもらったら、息子は出身の○○へ行かせる(帰す)のよ。」と、代々伝えて育てる。息子には、「お姉ちゃんや妹に子供が生まれたら、成人するまでヤムイモを運んで面倒を見るのよ」と言い聞かせて育てる。ということのようです。つまり、母親の出自の集団(所属集団)によって、子供の出自集団(所属集団)も決まると言うこと。
母系制なのに、娘ではなく息子を一族の下に残していくためには、確かにそうするしかなさそうです。複雑な婚姻制度なので、アボリジニのスキンネームのように、出自の同じ女たちは、名前に特徴があったりしたのかも知れませんね。

  • まりも☆
  • 2007年8月30日 21:52

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