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2007年07月19日

何で「夜這い婚」は衰退したの?③

いよいよ今回で最後です 😛
急速に衰退してゆく「夜這い婚」は、その後どうなってしまったのでしょう
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夜這いの解体と一夫一婦制の確立4
<昭和 農業用発動機の開発>
昭和になると、夜這いはほとんど姿を消し、家と家との見合い結婚へ急速に移行した。それには農業用発動機の開発で、臼摺り、脱穀などの調整作業が動力化され、少数の作業員を雇うだけで済むようになったことが、大きい影響を与えている。もはや若衆に協力してもらう必要はなくなったから、「夜遊び」の若衆たちを閉め出してしまった。
<戦後 農地改革、その後の経済構造の発展>
戦後の農地改革、その後の経済構造の発展で、昔の村落共同体は完全に解体され、夜這いその他の民俗も廃絶されるか、著しく変形して残るものもあったが、ほぼ夜這い民俗の伝統は終わったとみてよいだろう。
<これまでの民俗学の態度>
明治政府の「家父長」制的家族の創出は、古いムラ共同体の慣行を破壊し、全国的に婚姻様式を統一しようとするものであった。しかも、それは有産層、有識層の利益を保護するためのものであったから、その強行に対してムラの若衆仲間、娘仲間が反抗し、かれらの息子、娘たちに報復したのは必然であったといえる。問題は、そうした反抗運動を、ただ犯罪的現象であるからとして、結婚民俗から切離していた、これまでの民俗学の態度であろう。支配権力の都合がよい、それに迎合した婚姻習俗だけを、ムラの生活から切離して採取したところで、どうして生きている民俗を記録できるものか。
※抜粋、省略等により、著者の言うところが、正確に読み取れないところがあるかもしれません。ご了承下さい。
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機械の開発による労働の質の変化、農地改革による経済構造の変化によって共同体は解体され、夜這い婚は、ほんとうに姿を消してしまいます 😥 もともと、生殖と闘争を包摂した共同体だからこそ成立した夜這い婚。婚姻関係は、そのときの社会の状況と切り離せないということを、赤松啓介は言いたかったんだと思います
最後に、夜這い婚の弾圧を、社会の状況=日本の置かれた外圧状況から見た投稿がありましたので、その後半部分をご紹介します

夜這婚は何故弾圧されたか?

しかし、より根底的に考えてみると、「一対婚制度は、近代国家にとっては、社会統合上の不可欠の制度であった」というような社会統合上の理由があったのではなかろうかと思います。
これは、仮説になってしまいますが、明治政府にとっては、欧米列強という外圧に対抗するためには、軍隊⇒産業⇒市場を拡大させる必要があり、そのためには、明治天皇を頂点とする国家の序列統合のもとに、村落共同体も再編する必要があるという判断が働いていたのではなかろうかと考えます。
夜這婚は集団婚であり、その大前提に村落共同体があります。そして、村落共同体が、村内での相互扶助的婚姻関係、生産関係で成り立っているある以上、村落共同体は、自己収束性をもち、自給自足を基本とする自己完結的な社会となるという基本構造を持っています。しかし、そのような構造が、近代化にとっては邪魔だったのではないでしょうか。明治政府にとっては、人々が村落共同体の中で自己収束していたのでは、村民は新政府の言うことを聞こうとしないでしょうし、富国強兵のための徴兵や、殖産興業のための労働力の確保もままなりません。
実際、明治政府が最初にやったことは、大政奉還から廃藩置県という、社会統合機構の大改革です。江戸時代の幕藩体制が、藩の自治性をかなり残存させた、ゆるやかな連合国家という色彩が強かったのに比べると、明治新政府のもとに、一元的に序列統合するという色彩は強まっています。そのような一元的序列統合を末端にまで貫徹するためには、村落共同体の自治性=自己収束性は邪魔なものであったというわけです。
つまり、欧米列強の外圧への対抗⇒富国強兵・殖産興業⇒市場拡大⇒一元的序列統合国家への再編の必要⇒村落共同体の自己収束性が邪魔⇒夜這婚の弾圧⇒一対婚の強制という形で、明治政府の政策判断はつながっていたのではなかろうか?と考えます。
当時の統合階級が、どこまで深く認識していたかは推測の域を出ませんが、日本における一対婚制度は、急速な近代化のために国家によって必要とされたものにすぎず、木に竹を継いだような制度でしかなかったというような視点は不可欠なのではないかと思います。
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かつて、原始共同体が掠奪部族に駆逐されてしまったことと、この夜這い婚の衰退の様子とが、だぶります。
同時に、なぜ婚姻制度がこれ程大きく変わらねばなかったのか 新たな疑問も湧いてきました
飢饉等で食うに困る状況はそれまでもあったのに、なぜ明治になったら、食うに困る 都市へ出てゆくということになったのか ここにヒントがありそうです。また別の機会に追究してみたいと思います
3回にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました

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