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2007年08月06日

日本人の「裸体と性」、江戸時代から幕末の西洋人の目にはどう映ったか?

こんにちは。
koukeiさんが投稿されていた渡辺京二さんの『逝きし夜の面影』より、今日は江戸~幕末時代の庶民には当たり前だった【混浴】をもとに、西洋人の目にそこで見た光景がどのように映ったかを紹介してみたいと思います。
私自身もビックリ
なかなか現代の日本においても見られなくなった光景がそこにはあったようです。
少しタイムスリップしながら、当時の庶民になりきってご覧になってください。
いつものように応援の方もよろしくお願いします。

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幕末来日した西洋人を仰天させ、ひいては日本人の道徳的資質さえ疑わせるにいたった習俗に、公然たる裸体と混浴習慣があったことはひろく知られている。西洋では特殊な場所でしか見られない女の裸が、街頭で日常的に目にしうるという意味でも「楽園」だったのである。

~『逝きし夜の面影』より
当時の西洋では、女の裸は”特殊な場所”でしか見られない・・・・、というか、今でもそのような考え方が当たり前に思われていますが、当時の日本は全然違っていたようですね。
特に【混浴】という風習は、老いも若きも、男も女も、誰かれなく人目をはばからず裸体を晒していることに、西洋人の目には日本人とはなんと淫らな、と映ったようです。
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写真は<田舎三昧の生活と意見>さんのHPよりお借りしました

老いも若きも男も女も、慎みとか、道徳にも許されぬことだというはっきりした分別をそなえている様子をまるで示さず、恥もなくいっしょに混じりあって入浴している。・・・・・・・日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ

これは幕末のころ来日した西洋人の一人、スミス主教の言葉だそうです。
さらには、艦隊の将校だったトロンソンが言うように、

人為的な習慣をもつわれわれは日本人の原始的な素朴さに仰天し、こんなにからだをさらけ出して、若い男女に道徳上の悪い影響がないのかと思ってしまうようだった。

というのが、西洋人の価値観から見た、日本人の【混浴】に対する見方だったのでしょう。
しかし、当時の日本人にしてみれば『道徳上の悪い影響』等と考えてもおらず、人前で裸になって一緒に入浴することが何故悪いの?自分の目の前で女の人が裸になっているが、それがどうかしたの?
主婦だって前も隠さず自分の体を三助に洗ってもらうことに、なんのわだかまりももっていません。
そんな彼らにショックを受けた西洋人は、その一方では日本人に対する先入観として、
「精神と肉体の両面でわれわれに近く」「交際する形式からしてもいかにもヨーロッパ風であり、一般に洗練され、折り目正しい態度」をとる、と考えられていたことも原因の一つでしょう。
■裸体って下品?折り目正しい態度って何?
性に対しても、したがって裸体に対しても実におおらかな当時の日本人にしてみれば、お互いの裸体を見て道徳的に悪い影響が出るなどと考える方がよほど不自然だったのですね。
現代でも人前で赤ちゃんにおっぱいをあげている女性を時々は見かけますが、全然下品には見えませんよね。むしろ実に自然な振る舞いに見えます。
むしろ好奇心から、それら裸体の光景を避けるかわりにしげしげと見に通って行き、野蛮な視線で眺めては、これは淫らだ、と非難していた当時の西洋人の価値観の押し付けが、その後の日本に浸透し、巡査が裸の人力車夫を追い掛け回すようになったのだと思います。
今の性に対する価値観って、本当に日本人固有のものではなく、後から西洋の価値観に染まったものなんですね。

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comments

おもしろいデータですね☆ただ、「夫婦と子一人」いう家族の設定が、リアリティーがない感じがします。特に農家だったら、子沢山だったでしょうし、そうすると生活も、もっともっと苦しかったのでは?と想像します。

  • まりも☆
  • 2007年9月6日 23:11

>まりもさん
コメントありがとうございます。
わたしも少し気になっていました(汗・・・)。
ちょっと調べてみましたが、あまり参考になるものが見つかっていません。
もう少し、追求してみたいと思います。

  • minene71
  • 2007年9月8日 22:26

日本は戦後、左翼政権と日教組が日本を捻じ曲げようとしている。
士農工商という身分差別、職業差別の言葉が気に入らなければ捻じ曲げよう。現代はみんな商だから、現代の史観にあわないから捻じ曲げよう。
つまり、どこの歴史も、現在、支配しているものが歴史をねじまげてしまうのである。
そもそも、明確な農工商の差の記録はないとか、当たり前のことのへの言いがかりをつけるのである。
そもそも、明治などに士農工商を記したのだって、農工商の当時の力関係、数関係、思想関係、認知関係を見てきたから当時の学者などがそういったいたわけだし。
それを、士と農工商は、年貢のやり取りがあり、支配関係があるが、農工商は支配関係がない。だから、士農工商は認められない。だって。馬鹿じゃねえのか。
左翼魂胆丸出し。 直接の支配ではなく、あくまで、格上、格下の国民の意識。しかも、現代の身分制度がない時代じゃなく、身分制度があった時代の意識だ。
当然、土地を支配し、土地を持つものが偉かった時代だ。 武士でも三河武士に負けたら帰納し、豪農になる時代だ。
商が、現代のような商をせず、何も持たないものがかすりを取っていた時代だ。
その士農工商と意識を 現代の左翼思惑で、捻じ曲げてしまう。地主も寄生虫とねじまげてしまうのが、左翼。
そもそも、根本は、なにもない小作農と裸一貫の大工を比べているのがおかしい。
そもそも、日本では、争いに敗れて、勝ったほうが国を平定し、役人になる一方、敗れたほうは帰納し、農になり、豪農がいる。
大陸から来た皇族、華族、国つくり社、半士半農であった武士、農   その下になにもない人たちがいる。
つまり、農工商の支配関係の事実を探したって、どこにもない。たんに、身分意識。格上、格下意識を 記録したものだ。
それを、捻じ曲げようとする左翼にはあきれる。

  • おかしい。
  • 2012年9月24日 10:09

outlet hermes di jakarta 共同体社会と人類婚姻史 | 江戸の「士農工商」の序列は実際には無かった。

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