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2007年08月22日

共同生活を営む江戸庶民のトイレ事情とは?

江戸の裏長屋の生活を見ると、なんと狭いスペースにいろんな人達が仲良く暮らしていたようですね。 😀 寝泊り以外の生活の多くを共同で使っていたようですが、では一体トイレ事情はどうだったのでしょうか。まさか現代のように水洗トイレ・・・・?ということはなかったようですが、しかしここにも当時の人々の知恵が生かされているようです。
今日はどうぞ食事の前にお読みください。
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■使用状況は外から丸見えだった
長屋生活におけるトイレの状況を、中江克己さんの「お江戸の意外な生活事情」から紹介したいと思います。

裏長屋では住民の数によって異なるが、路地の奥にニつから三つの大便所と小便所が設けられており、共同で使った。踏板を渡しただけの簡単な構造で、扉は下半分しかないから、誰が入っているかすぐ分かった。

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(ビバ江戸リンクより拝借
武家屋敷でも同じようですが、「雪隠(せっちん)」と呼ばれた当時のトイレは基本的に小便所と大便所が組になって設けられていたようです。
田舎育ちの私は、子供の頃近くの友達の家のトイレも上記のような感じのトイレが家の外に有ったのを覚えています。
ところで狭い裏長屋であるにもかかわらず、必ずといっていいほど大・小便所が組になってあったのは何故なのでしょうか?
実は大便は畑の肥料として、近郊の百姓に引取られる為に敢えて分けていたようです。
■”良質”な糞尿はいい食べ物から生まれる!?
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(Yoshihiro KimuraさんのHPのphoto galleryより拝借しました)
当時は当然化学肥料などないので、肥料にはもっぱら人糞が使われていました。近郊のお百姓さんたちはこの人糞を目当てに都市に「買出し」にやってくるのです。

百姓は汲み取ってゆく代価として現金を支払ったり、大根や茄子などの野菜を置いていった。その値段は、品質によって異なったというが、それは食事の内容によるらしい。大名屋敷、武家、町屋という順で安くなったとも言われる。

■糞尿で臨時収入
裏長屋では糞尿代は大家の収入だったそうです。 大家は近郊の百姓と年間契約を結び、大抵は百姓は盆と暮れの年2回に分けて支払ったそうです。

裏長屋の糞尿代は年代によって異なるが、江戸後期の前半で1年分が大人十人当たり二分か三分くらいだった。一分は一両の1/4である。仮に30人の大人が住む長屋だとすれば、大家は二両前後の臨時収入を受けることになる。一両10万円で単純計算すると、20万円ほどだ。

このように、江戸時代は糞尿までリサイクルされてきたわけで、これは世界にも珍しい例だったそうです。それにしても少々臭いが気にはなっても、人糞は非常に良質な有機肥料なんですね。
ただ捨てるのではなく、最後までリサイクル(確かにまた食べ物になって戻って来るのですから)
良質な糞尿は良質な食べ物から。良質な食べ物は良質な肥料から生まれるんですね
当時の人は無駄なく使い、且つそれでちゃっかり臨時収入にしているしたたかさには驚きでした

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comments

「寺子屋」は、聞いた事があります。しかし、「慈善の想い」で成立していたとは驚きです。
「地域社会の子供たちはみんな自分たちの子供だ」と言う思いが、寺子屋の先生だけでなく、地域の大人たちに全体に有ったのかも知れませんね。

  • 猪飼野
  • 2007年10月4日 09:49

>猪飼野さん
コメントありがとうございます。
前の記事でkoukeiさんが引用されていますが、
>先生になれば、人別帳(住民登録)には「筆道指南」など明記でき、高級な職業として尊敬を集めていたのです。
とありました。でも、だからといって高給取りかというとそうでは無い様です。
また、子ども達が寺子屋で勉強するということは、「奉公」に有利という事でもあるようです。国の発展(引いては皆の発展)に貢献するという事に、何のためらいもなく行動していたのでは無いでしょうか?
そうなると、先生は目先の金銭よりもその子供らの期待に応える事の方が活力(=充足)が沸くのでしょう。

  • minene71
  • 2007年10月5日 13:23

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