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2007年09月20日

江戸幕府公認の、男対象の性風俗場は吉原だけだが、女対象は七場所あった?!

参勤交代制度に直接縛られなかった階級,「士」以外の「農工商」の場合には、「日本の伝統的民俗」を引き継いで、古来からの自由を満喫した。当然のことながら女性たちは「武士の論理」などを無視して、物見遊山・芝居・信心などを口実に、男性を「囲ったり」、陰間茶屋に「通ったり」、女性グループでの観光旅行などでも性的享楽を大いに楽しんだ。

「お世継ぎのつくりかた」~大奥から長屋までの江戸の性と統治システム~(鈴木理性著) に面白い文面がありました。

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「国立歴史民俗博物館」<異界万華鏡>よりお借りしました。

若衆歌舞妓の若衆とは、別名を陰間と呼ばれた男娼(男性の性サービス従業者)の事だが、・・・一般的には役者稼業とは別に男色専門の物を「陰子、陰間」と言ったとある。

陰間・若衆の職場
その営業ははじめに中村座・市村座があった日本橋葭町・堺町(中央区日本橋人形町)辺を中心に起こり、やがて湯島天神門前、芝神明(港区芝大門)、木挽町(中央区銀座)、平河天神(中央区平河町)神田塗師町代地(中央区日本橋兜町)花房町(千代田区外神田)の七ヶ所に集中するようになり、これを俗に七場所と言った。

(中略)

このように江戸では性の欲望を処理できた場所は、男は吉原一ヶ所に限られていたが、女は七場所と言った複数の場所が認められていたのである。

男娼(男性の性サービス従業者)は今で言う「ホスト」のようです。歌舞伎役者は元女性だったのが、性風俗が乱れると理由で禁止となり、男優となったが、それも同じ理由で禁止となったらしい。

男娼は、男を相手にする男もいて、今のアメリカ以上にゲイ文化が市民権を得ていたようです。

「日本の伝統的民俗」は、大らかで開かれた性文化で驚きます。

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comments

>男娼は、男を相手にする男もいて、今のアメリカ以上にゲイ文化が市民権を得ていたようです。<

市民権までは言い過ぎではなでしょうか?歴史的事実を詳細に見ていく必要がありますが、生物として見ても、あり得ない関係です。要は必然性がないということです。である以上、精神的な部分を満たすためにある行為のように考えますが...

大らかの意味が違うように感じます。

  • 河内のおやじ
  • 2007年09月21日 11:56

レスありがとうございます>河内のおやじさん

日本のゲイ文化の歴史の追及となると、おたくぽい世界となっていくような気がします。(笑) が、

日本では、ゲイ文化の同性愛を「男色」「衆道」と呼んでいたようです。

井原西鶴が、著書「男色大鑑」の中で、日本は男色天国であると、書いているようです。

参考にどうぞ
「ALL ABOUT」
http://allabout.co.jp/relationship/homosexual/closeup/CU20040530A/ 



  • koukei
  • 2007年09月22日 13:30
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