2007年09月05日
江戸の「士農工商」の序列は実際には無かった。
江戸時代の序列制度と思っていた士農工商は、江戸庶民の共同社会をかいま見る中でその序列(特に農工商)では統合されていない事に気付いた。
少し調べてみると・・・、
士農工商(しのうこうしょう)とは、儒教において社会を構成する主要な身分(官吏・百姓・職人・商人)の上下関係を指す概念である。日本では「士」は「侍」に置き換えられ、工と商に区別はなく一括して町人と認識されており、百姓(農)と「町人」との間に序列はなかった。
江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、武士を上位にし、その下に「百姓」と「町人」を並べるものであった。この制度では、百姓を村単位で、町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
で納得。るいネットにも幾つか紹介されていました。
実際、士農工商は武士以上の身分差は有った様ですが、下級武士以降、農民、大工、商人に上下関係は区別されなかったのが実態の様です。
その一例として、それぞれの生活(家計)を紹介しているサイトを見つけたので紹介したいと思います。
横並びの生活水準が伺えます。
上大工の生活費は?
※住んでいる長屋は4畳半2間です。
●家族構成:大工さん夫婦、子供一人。
●収入:1日の賃金は銀5匁4分、年間294日働くとして年間で銀1,588匁(≒金26両)。
●残りは、銀74匁(≒金1両強)です。
【出典】小野武雄、「江戸物価事典」、展望社、1980
【原典】栗原柳庵、「文政年間漫録」
※中流の農家です。
●家族構成:夫婦、子供一人。田1町と畑5反を耕作。
●収入:米20石、麦6石、大根2万5千本。米と麦は、年貢・地代・家族の消費で使った残りを1石1両で売却。大根は銭135貫(1本あたり5.4文)で売却。
●残りは、金1両弱。収入は一見金換算で47両ありますが、2/3は税金と諸経費なのです。可処分所得は、15両くらいしかありません。
【出典】児玉幸多、「近世農民生活史」、吉川弘文館、1957
【原典】大久保仁斎、「富国強兵問答」、安政2(1855)
※町奉行所の同心
●家族構成:夫婦、子供一人。下男と下女を一人ずつ雇っている。
●収入禄高は70俵5人扶持。70俵(28石)の米は札差を通じて売却します。21両になります。5人扶持(1人扶持は1日5合の米)は、家族と下男下女で消費します。 この分も収入に加算すると、年収28両になります。
【出典】「三田村鳶魚全集・第六巻」、中央公論社、1975(源著は1930年頃)
【原典】橋本敬簡、「経済随筆」、文政8(1825)
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm
その他に、鳶・仕事人で日当300文、人足・仕事師280文。紙くず買いは200文前後。
(一文=25円でイメージしてみて下さい。)
🙂 こう比較してみると、天候や能力によって多少左右するものの、生活水準は特段高くもなく低くもない。また食うや食わずのイメージはほど遠く、余剰があると言うことからむしろ黒字です。
🙂 「宵越の金を持たない」のが江戸の町人の生き方だと良く聞きますが、共同体の中で生活をする上では、まわりに対して自らを誇示する必要もなかったし、外敵からの圧力(掠奪)等の不安要素が無い事から、個人の貯蔵や独占をする必要はなかったと言えますね。
だから身分序列も必要ないないし、必要以上にあくせく働く必要も無かったのでしょう。
- posted by minene71 at : 2007年09月05日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
男女共同で行う田植えの場面で「女」の歌をみんなで歌っているというのはなんとも和やかな感じがしますね。みんなでつらい田植え仕事も楽しくやれるように、誰かが冷やかし半分(?)で歌い始めたのが広がっていったのでしょうか。
男女のうわさ話は今も昔も尽きない様ですね。
しかしうわさはには留まらずに、そのまま現実の話となってしまうこともあるようです。
例えば「婚姻関係」がそれです。
わざとその様に仕向けるという事もしていた。とどこかで読んだ覚えがあります。
なるほど、仕事しながら嫁取りの手配まで済ませるわけですね(笑)。労働に限らず共同体の中でのいろんなことを同時に相談しているということですね。
hermes handbags birkin price 共同体社会と人類婚姻史 | みんなが思いをひとつにした労働歌
共同体社会と人類婚姻史 | みんなが思いをひとつにした労働歌
comment form