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2007年09月06日

江戸性文化の吉原とは、何だったのか

吉原遊郭は、幕府公認で遊女屋を集めての遊郭を公許した施設。吉原の町で自治統治して、政府に上納金を納めていた。
しかし、いつも違法な遊女屋(それらが集まったところを岡場所と呼んだ)との競争を繰り返していた。法律で規制され廃止されるまで、300年続いた。江戸前期は主に金持ち武士が対象だったが、後期は主に金持ち商人を対象とした。他の遊女屋との競争対策として、吉原遊郭は高級化・幻想化路線を歩んだようで、その象徴が「花魁」であった。
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「古典和装しらゆき」より
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『花魁(おいらん)』(ウキペディアより)

狭義の花魁は、禿や振袖新造を従えた格の高い遊女であって、張り店は行わない。花魁を揚げる場合は揚屋・引手茶屋を通さなければならない。
花魁が呼び出され、遊女屋から茶屋まで向かうことを花魁道中と呼んだ。花魁には教養も必要とされ、花魁候補の女性は幼少の頃から徹底的に古典や書道、茶道、和歌、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれていた。
花魁を揚げるには莫大な資金が必要であり、一般庶民には手が出せないものであった(花魁の側も禿や新造を従え、自分の座敷を維持するために多額の費用を要した)。人気の花魁は「遊女評判記」などの文学作品に採り上げられたり、浮世絵に描かれることもあった。

興味深いのは、
・花魁は、現代の女優やモデルのように庶民のファッションの先端として持てはやされていた事。
・遊女が、社会的にある程度は受け入れられていた事。
・吉原の女は年季奉公で、約10年で自由庶民に戻れる。
等など多数あります。
江戸初期は、単身赴任の武士や独身の男が多く、その性の対象として遊女が必要とされた。江戸の町が、時代と共に都市化や市場化していく中で、性もどんどん市場化(お金で買う)されていく。
しかし、性文化をオープンで扱うと言う日本の性文化は継承され来た。幕末に来日したペタウンゼント・ハリスは、その遊女をスター扱いとしている吉原性文化に驚いたらしい。

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自分自身・自分の身内・自分の地域が世界(宇宙)の中心であるとする「中華思想」に根ざしている「幇」では、国家との関係よりも幇の関係、繁栄が最優先されます。
例えば、中国人と何かを約束した時には、この幇の関係のどの位置に自分がいるかによって約束が守られるかが決まります。一番奥底の幇に入っていれば、命を賭しても、何百年かかろうが、成し遂げようとするけれども、その浅い位置にいれば、どんな約束もほとんど履行されないという関係にあるようです。
絶対的な人間関係の原理(=幇)を結んだ人間に対しては、あらゆる契約や法律を上回って信義を貫くが、その幇に入っていない人間に対しては、逆にどんな裏切りをしていもいいという、極端な二面性を孕んだシステムだということですね。

  • yuji
  • 2007年10月24日 03:16

ブログ「日本人、日本社会について」日本人と中国人-国民性の違い、共通性の根底にあるもの-(http://iotsuka2.s203.xrea.com/jpn/2007/05/post_12.html)より、
>日本人と中国人は、共に、稲作や畑作を主にする農耕民族である。その点、一カ所に定着して動かないのを好むとか、集団・団体行動を好むとか、相互の一体感、心理的結合、人情を重んじ、縁故を重視し、ジメジメ、ベタベタしたウェットで女性的、母性的性格を持つ点では共通している。<
>中国人(漢民族)と日本人の最大の違いは、自分の属する内集団、すなわち親密感、一体感を持てる「ウチ」と見なす範囲がどこまでか、についてが、大きく異なる。<
>中国人の場合、「ウチ」の範囲は、千年以上にわたって続いてきた父系血縁集団(同族)の系譜内に限定される。同じ姓を持ち、同じ血縁集団の中に含まれている相手との間は、温かく、親密な身内の関係になる一方で、父系の同一血縁に属さない他者は、全て「ヨソ者」であり、信用ならない冷たい関係に置かれる。<
>日本では、必ずしも、同一父系血縁集団に属さなくても、温かく親密な身内の関係に入りうる。例えば、同じ学校や会社に属する者同士を、「ウチの学校」「ウチの会社」と呼んで、強い一体感を持ち、お互いを家族のように意識する。<
似ているところもあれば全然違うところもある。
「ウチ」と見なす範囲がこのように異なるのはなんで?
その背景を探って行きたいですね。

  • echo
  • 2007年10月24日 19:50

>対的な人間関係の原理(=幇)を結んだ人間に対しては、
>あらゆる契約や法律を上回って信義を貫くが、
>その幇に入っていない人間に対しては、
>逆にどんな裏切りをしていもいいという、
>極端な二面性を孕んだシステムだということですね。
幇とは、私たち日本人からは想像できない強い結びつきをもつシステムのようですね。
集団が外圧に対するためのものだとすると、国家権力等の大きな圧力を上回って自集団を維持していくためには、幇のような強い結束力が必要になるということでしょうか。
同じ東洋でありながら、全く違う統合システムを持っているんですね。
東洋のなかで、各地域ごとの集団統合の手法を見ていくと日本の集団統合がどのようなものか、よりわかってくるような気がします。

  • 2007年10月25日 10:14

マイケルコース 新作

共同体社会と人類婚姻史 | 中国村落部の実態

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