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2007年10月31日

先祖供養と日本人の死生観

先祖供養って何?
田舎に帰れば「お彼岸」「お盆」「葬式」「年忌」etc、様々な供養があります。
今まで起源や意味についてあまり考えたことがありませんでしたが、この供養の形態は日本人特有の儀式であり精神世界だった。
その事は、前のsaahさん投稿の共同体と葬式でも分かりますね。
しかし、市場社会が進行する中で村落共同体が徐々に解体され、その供養自体に意味が失われ簡略化される様にもなりました。
そもそも「先祖供養」とはどういうものだったのでしょうか?
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先祖供養は地域によっても様々です。
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以下先祖供養って何なの?
から引用させていただきました。

◎先祖供養と日本人の霊魂観◎
(中略)
それは、仏教の『慈悲』の教えと共に、日本人の運命共同体の意識から出たものであろう。社会全体と共に生き、集団往生しようとする日本人の精神生活のあらわれであった。死者の霊は、死の直後は、祟りやすく荒れる魂であったが、滅罪鎮魂供養を重ねるにしたがって、だんだんと鎮魂されて一周忌、三回忌と滅罪追善供養の贖罪儀礼を経過するに従って、一層浄化されて、神もしくは仏に近づいていく、我々の先祖は、大体この様に考えたと、多くの宗教民俗学者は説くのである。庶民は、こうした霊魂説だけでは満足せず、その魂や罪には、重量があると考え。子孫に追善供養もしてもらえない魂は、いつまでたっても軽くならないで、生前の罪を背負ったまま、地獄の底に沈殿して文字どうり【うかばれない】のである。ザビエルに地獄から救われる方法は、ないと軽くあしらわれた事の解答を、日本人自身でここに見出していたのである。
(中略)
■主要参考文献資料
堀一郎『我が国民間信仰史の研究』
柳田国男『先祖の話』
五来重『日本の庶民信仰』
高取正男『宗教以前』
※【慈悲】楽をあたえることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」というといわれる。

上記から、共同体を基盤とした「集団往生」という記述が意識が興味深いと思いました。
集団の期待に応じ、また社会全体を全うしようとした故人の残したものには、残された人達(共同体)にとって貴重な知恵や教えがあったのでしょう。
この意識はまさに「祖霊信仰」と言えると思いますが、その生きている者がただ教えをなぞるだけでは生活には活かせず、故人を偲ぶ=同化する事でその知恵や教えが理解できると考えたのではないか?と想像できます。
そういう意識が「先祖供養」という様式を生んだのではないでしょうか?

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comments

「バン」についての記述が実に面白いです。

  • 斉藤 猛
  • 2008年5月23日 11:56

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