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2007年10月13日

日本に現存している「世界最古の企業」

共同体社会を考える上で、そこでの生産活動のあり方を考えるというテーマは欠かすことができないと思います。このテーマを考える上で、なるほどと思わされる記事があったので、皆さんにも紹介したいと思います。
『ダ・カーポ』614号(マガジンハウス)の特集記事「とてつもない日本・世界一の技術!」より。リンク
《引用開始》
(対談「日本人はなぜ、技術者を尊重するのか?」の一部。出席者は赤池学さん(科学技術ジャーナリスト・著書に『自然に学ぶものづくり』)、野村進さん(ノンフィクションライター・著書に『コリアン世界の旅』)、橋本克彦さん(ノンフィクションライター・著書に『農が壊れる―われらの心もまた』)のお三方です。)
司会者:日本人は「職人」や「匠」といった言葉が大好きで、技術者に対して特別の感情をもっています。日本人は、わが国の技術文化に誇りをもっていますね。なぜ、このような技術文化をもつようになったのか、考えてみたいと思います。
野村進:日本人にとって、モノ作りを大事にすること、技術を継承することを尊いと考える価値観は当たり前のように思われます。ですが、日本以外のアジアに行ってみると、必ずしもそうではないんですね。モノ作りを尊いと考えるのはむしろまれなことで、自分の手を汚して何かを作ることを、それほど尊重しない場合が多いのです。
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おもしろい例で言いますと、饅頭作って何百年という老舗が日本にはありますね。そのことを日本人は誇りに考えます。ところが、お隣の韓国では饅頭100年作ってもほとんど尊敬されないでしょう。饅頭で繁盛したら、次により高いステータスに向かう傾向があるんです。饅頭作って何百年が評価される国って、世界的に見てもまれなんじゃないかと思います。 
僕が『千年、働いてきました』(角川oneテーマ21)で書いたことは、日本には驚くほど老舗企業が多いということ。大阪には、飛鳥時代から寺社仏閣を建ててきた金剛組という創業1400年以上の”世界最古の企業”があります。他にも創業1300年の北陸の旅館、創業1200年以上の京都の和菓子屋などの老舗もある。日本には、創業100年以上の企業が10万以上あると推定されています。でも、日本以外のアジアでは、100年以上続いている店舗や企業はめったにない。韓国には一軒もありません。それだけ日本は、技術を継承しようとすることに価値を置いているのです。
野村:僕は日本の技術者の取材をしていて、多神教というか、日本型のアニミズム(万物に神が宿っているという考え方、信仰)をつくづく感じましたね。技術者は金属を擬人化するわけですよ。「金箔は人の心を読む」とか、「金属の方から自分の特質を訴えかけてくる」とかね。
橋本克彦:昔の人はモノとお話できたんでしょ(笑)。
野村:考えてみれば針供養なんかも日本ならではの風習かもしれませんね。さんざん使った針を供養するというその根っこには、日本型のアニミズムがあるように思います。
橋本:鉄とお話するというのも、鉄の精霊とお話しているのかもしれない。それに、仏像を彫る人は、木の中に埋もれているものをかき分けて仏像を出すんだって言うわけですね。大木を見て仏像を感じられるかどうかというのは、相当アニミズムっぽいよね。
野村:ある老舗の製造業の社長から聞いたんですが、中国がダメなのは技術がタテにもヨコにもつながらないからだと言うのです。技術を独り占めしてしまって、それを売り物にして渡り歩くわけです。日本の場合、技術がタテにつながる伝統があるし、ヨコにつながる文化があるんですね。技術はつながっていかないところでは発達しないんだよと言ってましたが、説得力がありましたね。
この対談のなかで赤池学さんが書かれているように、「生き残ってきた技術」というのは、実際は、「技術を守る」だけではなく、「新しいものに挑戦し、それを自分のものにしていく」という歴史の積み重ねなのです。「村上開明堂」が、今までの「伝統」にこだわるあまり、「車のバックミラー造りなんてウチの仕事じゃない!」という姿勢の企業だったら、どんなにすぐれた技術を持っていても、すでに歴史の波にのみこまれてしまっているはず。逆に、そうやって「伝統」にこだわるあまり、失われてしまったすばらしい技術というのも、日本にはたくさんあるのだと思います。
企業として生き残りながら「伝統を守る」っていうのは、ただひたすら同じことだけをやり続けていればいいってわけじゃないのです。《引用ここまで》
技術を独占することなく「タテ」につながる伝統と、「ヨコ」につながる文化がある。
それを支えてきたのが、日本人の共同体質なのだと思います。
そして、その共同体の成員のひとりひとりまでに、置かれた状況=外圧が貫徹されていたからこそ、「新しいものに挑戦」するという風土が形成されたのかもしれません。
これからの共同体社会を考える上で、気づきの多い記事でした。

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<「弔い」は死者のためのなす行為
「悔やみ」は遺族に対してなす行為。>
なるほど、と気づきでした。
日本の文化では、先祖から続いて現在に自分たちがいて、将来の子供たちに続くと言う、種族の連続性を強く意識していたような気がします。そこには、「個人」と言う概念は無く、連続する一族(集団)と言う意識です。
そういう意識でもう一度、「弔い」と「悔やみ」と言う言葉を見ると、先祖を敬い仲間を想うという一連の流れの中にある言葉のように見えて気ました。

  • 猪飼野
  • 2007年11月17日 10:19

hermes logistik 共同体社会と人類婚姻史 | 葬式は誰の為のものなんだろうか

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