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2007年11月16日

「事実婚」って何だろう?-2

前回に引き続き、「事実婚って何?」をもう少し調べてみました。
つい最近、人気フリーペーパー「R25」でも記事が載っていたのは皆さんご存じでしょうか?
税制や社会保障での違いを、法律婚と比較して「困難である」という事をあげられており、この困難な事情があるのに、事実婚という様式を選ぶのはなぜ?という内容の記事でした。
実際多いのか?と単純な疑問も沸きますが、婚姻数を拾えないことから、推測として「非嫡出子」の数を記載されています。
ranking_20071108_09.jpg
「最近周りでよく聞く“事実婚”
結婚との中身の違いは?」

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では、実態はどうなのか?
実際に事実婚をされている方々のブログやサイトにお邪魔し、その理由を拾ってみました。
以下引用です。
◎「事実婚」の定義は?どう捉えている?

「いえ、何年いっしょに暮らしても同棲は同棲です。事実婚には、本人たちに『籍は入れていないけれど自分たちは夫婦なんだ』という意識があって、外の人たちにも『あの2人は夫婦なんだ』という認識があることが必要です。それさえあれば半年でも1年でも事実婚は成立します」
http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200711081109

ウチは婚約したあと一緒に暮らしたが、その期間は事実婚ではなく、同居または同棲だったと思う。結婚式を挙げ、社会的に夫婦というアピールをしてから後は、事実婚(婚姻届を出していない結婚)だと思っている。
http://blogs.dion.ne.jp/pnest/archives/cat_14001.html

◎「事実婚」を選択する理由は何なのでしょうか?動機は?

私の場合は、夫婦が両方の姓を変えずに結婚(選択的夫婦別姓)することが、現在の法律ではできないことが理由ですが、
http://blogs.dion.ne.jp/pnest/archives/cat_14001.html

名前って、その人のアイデンティティそのもの だと思うんです。なぜ、自分の名前を愛していて、一生その名を名乗りたいと思うのに、それが許されないのでしょうか。
http://homepage.mac.com/nayumama/bes4.html

「働いているので名前が変わると都合が悪い」
「戸籍制度に反対だから」
「別の名前で呼ばれると違和感がある」
「自分の名前に愛着がある」
「自分が自分でなくなるみたいで精神的に苦痛だ」
「名前を変えると主従関係が生まれそうだから」
「紙切れ一枚に特別な意味を見出せない」
「共働きなので、どうせ扶養家族に入られないから」
「改姓の手続きが面倒」
「向こうの家の人間になったみたいで嫌」
「家と家が結婚するのではなく個人と個人が結婚するのだから」
「別れても籍が汚れないから」
などなど。
http://www.geocities.jp/zizitukon/qanda.htm

◎「事実婚」を「内縁」と同義に捉えてしまいがちですが、そうでは無い様です。
改めて「内縁」とどう違うのか?

従来は婚姻届を出さない夫婦を、「事情があって届けられない」という意味含めた「内縁」(「2号さん」「お妾さん」)という呼び方をしましたが、双方が改姓しないため(別姓)、戸籍制度への疑問などから「積極的に届け出ない」夫婦を「事実婚」と呼ぶケースが増えています。
http://www.h6.dion.ne.jp/~pnest/wedding/jijitsukon.html

※内縁とは「2号さん」「お妾さん」という事から、一夫多妻の事を言うのだと思います。
それとは違い、「事実婚」では現代においてタブーとされている複婚とは違い、一般的で特別な事情でもない一夫一妻(一対婚)が前提である様です。
正直、新たな婚姻様式を模索している様にも見える「事実婚」ですが、その理由を見る限り「個」の意識が表面的には強く感じました。しかしながら、潜在的には、法制度自体に意味を感じなくなった事から「結婚(法律婚)って何?」という意識も注目できると思います。
今後の婚姻様式の行方をみる上で、両面で見ることが必要であると思いました。

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以前、日本に特有といわれている「敬語」の発祥を調べたことがあります。
詳しくは忘れてしまいましたが、「敬語は、農民が領主に陳情を述べるときに使った言い回しである」という主旨の記述がありました。
そのときに、僕は「本当か?」と疑いました。なぜなら、農民と領主が直接話し合う場などあり得ないと思っていたからです。でも、それは本当のことのようですね。
むしろ、勝手に決め付けていたのは僕のほうで、本文中の“一揆が1500回あった”とする歴史家と同じ立場であったと思いました。
「困ったときは助け合う」。
この当たり前の心が日本に存在したことを誇りに思うと共に、それを隠蔽するような歴史観を何のために流布しているのか、と疑問に思いました。
今年も、事実の追求に向かっていきたいものです。

  • 2008年1月5日 15:16

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