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2008年03月18日

東洋と西洋 ~日本:惣村の崩壊から近世農村へ~

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ここ3回ほど「東洋と西洋」 カテゴリでは中世ヨーロッパの農村共同体がどのように形成されて消えていったのかを扱ってきました。
これに対して、今日は日本に視点を変えてみます。日本の惣村はどんな運命をたどったのでしょうか。

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じゃ、まず、いつものやつをおねがいします。


中世の日本では、特に近畿地方で「惣村」が発展します。自分達の村の規範を決めて、裁判まで行う自治体が惣村。日本の農村共同体の特徴です。
ところが、この惣村も15世紀半ば、応仁の乱を頂点として衰退していきます。
時代は戦国時代へ突入。武力闘争が大規模に行われ、勝った者に大きな権力が集中していく時代です。以下、惣村の衰退の軌跡を引用します。

戦国大名は権力の強化をはかるために,農村の直接的支配を志向し,在地の権力を否定して,侍衆を家臣団にくみ込み,知行武士にして城下町に強制移住させた。さらに大名が惣村に過重な収奪をしたので,惣有財産が解体し,また検断権をうばい,惣村の支配は家臣から代官をえらび統治させた。~中略~ 戦国大名のこのような志向の完成された形が,太閤検地をへて,幕藩体制によって形成された近世城下町と,近世郷村(農村)であり,これによって町と在の分離,地域分業の成立を生じたのである。要するに,近世の村の創出は,それ以前の農民結合を領主側が解体をめざして,新しい人と土地関係を創出しようとした。

引用元 (世界歴史事典データベース「旅研」より引用させていただきました)
戦国大名の武力統制圧力によって惣村は自治権や共有財産を奪われ崩壊に導かれたということですね。
そして、豊臣秀吉によって全国規模で行われた兵農分離政策=「刀狩」と、土地所有確認政策=「太閤検地」でとどめを刺されます。特に、太閤検地は、これまでの惣村のありようとは決定的に違う改革でした。

太閤検地によって,在地の小領主(名主)を排除し,土地所有者を大名領主に一元的に集中して,作合い(小作科)を否定し,直接生産者たる小農を自立せしめ,土地の所持権を保証した

引用元 (世界歴史事典データベース「旅研」より引用させていただきました)
惣村の時代は、土地の所有者は小領主(名主)であり、その所有地である広域の土地を惣村共同体が自治的に管理運営していたものです。
これに対して太閤検地以後は、土地の所有者は大名となり、土地の所有権=管理運営する権利は農民個々(一夫一婦の家族=「近世百姓」)に分配されました。これによって、小作農にも土地の所有権が与えられ独立が約束されましたが、惣村という自治組織のつながりは、成員と土地の両面から分断されたことになります。これ以後の農村は、近世農村と呼ばれています。
・・・・・・
こうしてせっかくの自治組織=惣村は崩壊してしまいます。なんだか、さびしいですね。
でも、実は、日本の農村には、それだけで共同体体制をなくせない決定的な理由があります。それは「稲作」です。
稲作には、が必要です。水は当然ですが、高いところから低いところに流れるわけで、村全体の水田に水をいきわたらせるためには、村人全員の調整が必要になります。
ここに、稲作の「水」をめぐる自治が生き続けることになります。

江戸時代の水統治には三つの段階があって、例えば利根川などの大河川は幕府の直轄であり、そこからの支流や中流河川は藩が統括し、そこから農業用水路をつくって村に入ると、その先は村の自治に委ねられるという分権統治が生まれます。そういう多重な支配構造が日本の水システムの基本なのです。こうして水をめぐる自治というものが村々に生まれた。そこでの水の利用が用水慣行という形で定着するのです。
村における用水組合は、灌漑システムを管理し水の配分統制を行なう自治的な団体と規定できます。この大きな特徴は、個人単位の参加ではなく、村落単位がメンバーになる点です。近世百姓は誕生していますから、土地利用については個人(各戸)なのですが、水は個人に分割できない。川から引いてきた水は、まずある田んぼに入り、そこから田越し灌漑といってまた別の田んぼに移していく。ですから用水組合のメンバーは村落なのです。いいかえれば用水組合は村落の共同性の上に成り立っている、というより共同性をつくりあげる。

「大野和興の農業資料室」 『水システムと日本の農業・農村』 より引用させていただきました。
ということです。
一見すると、太閤検地という改革で村人も農地も、共同体的つながりがバラバラにされてしまったように見えましたが、どうもそうではない、ということですね。なんだか、安心しました。
・・・では、どんなかたちで残っていったのでしょう。
次回は、そのあたりを調べられればいいと考えています。
その上で、近世西洋の農村と比較できたらいいとも思います。
それでは、ここまで読んでいただいてありがとうございました。次回もお楽しみに。

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