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2008年10月20日

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~昭和~平成)Vol.6昭和後期(1970年~)

シリーズでお届けしている「日本の婚姻制度の変遷」の 「昭和後期(1970年~)」です。
「Vol.5昭和戦後(~1970年)」前回のでは、戦後、貧困脱出の可能性が開かれ時代での、婚姻制度を次のように見てきました。 概要は次のように成ります。
・国民全員の、私権獲得競争→所得倍増→市場拡大
・私権獲得競争の正当化理論が必要⇒個人を中心とする民主・自由・平等・平和の概念が普及。
・性闘争(私権闘争の源泉)の美化⇒恋愛至上主義。
・その結果、見合い結婚→恋愛結婚 に急変してきた。
明治からの結婚変遷は、大きく分けると次のように成ります。
■生活の為の結婚          │■私権獲得の為の結婚   │
集団課題子孫を残す課題  ⇒ │ 私益≒豊かさ獲得課題  │ ⇒その後はどの様
→集団が決める見合い婚     │ →個人が決める恋愛結婚 │  になったの?
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日本は高度成長時代を経て1970年には、貧困から見事に脱出した。
男女関係、恋愛はどうなったのでしょうか。
1970年以降の日本は、二度の石油ショックを乗り越えて1985年のプラザ合意を契機として、バブル経済に突入します。日本は世界一の金持ち国となり、贅沢三昧する権利を手に入れました。
そして「自由恋愛」がピークを迎えます。
その内容は、
「ヘアーヌード」が解禁と成り、「金妻」と言う、金持ち夫婦が不倫し合うドラマが持てはやされました。
アブク銭を得た男はお金で女の獲得に走り「愛人バンク」「デートクラブ」がはやりました。
性を権力として発揮できる様に成った女達は、「アッシー」「みつぐ君」を取り巻きにしてわがまま放題となりました。さらに「三高」(高学歴;高収入;高身長)を結婚条件だとして、最大限の要求を提示しました。その象徴の「ジュリアナ東京」が大ヒーバーした現象です。
untitled.bmp
バブル期を象徴するディスコ「ジュリアナ東京」
箍(たが)が外れたバブルによって、「自由恋愛」は自己中心とする私権の獲得と性闘争を「自由」にしたいという事であると言う本質暴露してしまいました。
バブルによって発現した自我の肥大した要求主義の醜い女達に男達はうんざりとしました。さらに、女を忌避して「おたく」文化を志向する者たちも生まれました。
バブルが崩壊した後には、以前のように女を漁るような男も減少し,性を武器とする要求主義の女も泡となって、萎んでゆきました。
そして「自由恋愛」は、以前のような輝きを失ってしまいました。
明治時代(1868年頃~)の欧米文化を受け入れて急激に日本に定着した「恋愛幻想」は、バブル崩壊(1991年)で123年を経て衰弱してしまいました。

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縄文土器のような深鍋は、北方の寒冷地向きの形態なんですね。さらに南方の八重山諸島(石垣島)に浅鍋の土器様式があったなんて知りませんでした。
縄文人って南方の出自ではないのですか?

  • マニマック
  • 2009年1月15日 23:03

マニマックさん、コメントありがとうございます☆
何となく、縄文人って南方というイメージがありますよネ。そのイメージはどこから来ているのか、引き続き追求してみたいと思います。

  • マツヒデ
  • 2009年1月16日 00:09

縄文人は、
おおまかに
北方系蝦夷
南方系琉球
陸封型南方系アイヌ
その他海洋民
かと推定しております。
現代人の八割は渡来系であります。

Kawakatuさん、コメントありがとうございます☆
今回の記事は、Y染色体分類で縄文人の主流だと考えられる人種(D2系統)を中心に分析しています。縄文人が多様な人種で構成されていたという点は、私も同じ見解です。
前回の記事で添付したY染色体分布から判断すると、現代人(北海道と沖縄を除く)における縄文系統の比率は、もう少し多いのではないかと推測します。四割くらい。。。

  • マツヒデ
  • 2009年1月21日 00:16

縄文系の数値がもう少し多いはずというのはまったく同感です。
先頃、BSだったかで染色体関連番組を見ましたが、y染色体先にありき、xは進化の必要性から生まれた・・・むね知りました。
やはり♂があとだったんですねえ。

Kawakatuさん、お久しぶりです。
お聞きしてもよろしいでしょうか。
前のコメントで、縄文人は
>北方系蝦夷
南方系琉球
陸封型南方系アイヌ
その他海洋民
とありますが、「陸封型南方系アイヌ」とはどういう人たちでしょうか?あまり聞きなれない表現で、縄文人の中心勢力のようでもあるので。
ついでに「その他海洋民」の故地も。南方系琉球とは異なる人たちなのですね。
よろしくお願いします。

  • 2009年1月25日 21:54

これは私だけの表現です。
アイヌとはシベリア側にもいるという話ですから、日本の北海道のアイヌは「陸封型」と言ってもいいのではないかと思います。
アイヌがいつどこからやってきたのか、まったくわかっていないこと。南方系モンゴロイドでもなく、内地人のDNAにも似ていて別種、あるいは部分的に琉球人とよく似ているなど、いまだに不思議なところが多いですが、蝦夷ではないと考えられてもいますね。
陸封型、いかがです?この表現。

  • Kawakatu
  • 2009年1月26日 23:26

Kawakatuさん、ご返事ありがとうございました。
オリジナルなので聞きなれなかったのですね。陸に閉じ込められたという意味でしょうか?
「陸封型南方系アイヌ」が北海道アイヌのことだとすれば、「北方系蝦夷」が東日本、または西日本にも広がっていたと考えられているかどうか分りませんが、縄文人の主流ということになりますね。こちらをアイヌと勘違いしていました。
もしそうなら縄文人は基本的には北方系というお考えでしょうか?
このあたりは私自身も、もう少し調べたいと考えているところです。

  • 2009年1月27日 03:02

共同体社会と人類婚姻史 | 縄文人の出自は北方か南方か(2)

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