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2008年12月27日

初期人類の置かれた自然外圧(2)~500万年前のアフリカの自然環境から

『初期人類の置かれた自然外圧(1)』では、現代のアフリカ大陸の自然環境を紹介しましたが、今回は、初期人類が誕生した時代(700万~500万年前)の自然環境に迫ってみます。
   アフリカ大陸の衛星写真(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)クリックで拡大!
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アフリカ大陸は、第三紀(新生代の地質年代の区分。約6500万年前から約164万年前までの間をさす)を通して、大陸の大半を占めていた熱帯雨林が次第に縮小し、サバンナや有棟低木林・草原・半砂漠、さらには砂漠の環境が広がっていったことは確かなことが分かってきています。砂漠の環境は、北方氷床が形成された280万年前頃以来、“氷期の乾燥期”に最大に広がるようになったと考えられ、人類が誕生した700万~500万年前には、まだ砂漠は存在していなかったなかったようです。

「人類は草原(サバンナ)で進化した」「森林を出た類人猿が広大な草原(サバンナ)立ち上がったとき、直立二足歩行する人類が誕生した」と覚えた人は多いと思いますが、新たに見つかった化石などからこうしたこれまでの常識とは異なる、初期人類の置かれた環境が明らかになってきています。
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■アフリカ大陸の環境変遷
アフリカ大陸が南半球にあった巨大大陸・ゴンドワナ大陸から分かれて北上し始めた白亜紀後期以来、全球的なプレートの運動に関連して、アフリカ気候の冷涼化と乾燥化を促すようないくつかのイベントが起きました。
一方、アフリカ大陸の内部では、その東半部で、4000万年前頃から真下からの巨大なプリューム(高温で浮力を持った巨大な岩石の塊)の上昇による一大隆起帯の形成が始ました。大地溝帯の誕生をもたらしたこの巨大隆起帯ができたことにより、西からの湿潤な気流の流入が妨げられるようになったので、東部アフリカは次第に乾燥化し、森林からサバンナの環境へと変わっていったとされています。
800万年前頃に起きたこのイベントは、コンゴ盆地の森に住んでいた人類の祖先がサルから分かれて東部アフリカ大地溝帯のサバンナに出て進化するきっかけを与えた、として捉え、人類起源に関する「イーストサイド物語」と称する説(コパン、1994)が唱えられています。しかし、この説に対しては、隆起帯のサルと人とを隔てる分断効果、人類ははたしてサバンナのような開けた環境に適応したのか、東側で森林が消滅するほどの障壁効果があったのか、などの点から見直しが必要とされています。
また、最近チャド北部の砂漠で700-600万年前のものとされる初期人類:サヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis)の頭蓋骨が発見され(2002)、それが人類の祖先のものかどうかをめぐる論争はあるものの、現在では人類の祖先が大地溝帯に限らない広い地域に分布していたと考えられれています。
では、初期人類が住んでいた場所はどんなところだったのでしょうか?
■中新世後期~鮮新世後期(1500~200万年前)アフリカ大陸の植生
まず、『初期人類の置かれた自然外圧(1)』でも紹介した、「現在のアフリカ大陸の植生図」です。
  A.現在のアフリカ大陸の植生図(クリックで拡大!)
   (水野一晴編「アフリカの自然学」古今書院:アフリカ大陸の植生分布図より作成)クリックで拡大!
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1:熱帯林
2:亜熱帯疎林
3:サバンナ
4:砂漠
5:地中海植生
6:草原
7:山岳植生
C:ケープ植物界

次に、人類が誕生した700~500万年前のアフリカ大陸の植生地図です。
  B.1500~200万年前のアフリカ大陸の植生図(クリックで拡大!)
   (野一晴編「アフリカの自然学」古今書院:アフリカ大陸の白亜紀後期以降の植生変遷より作成)

1:低地熱帯雨林
2:硬葉植生
3:サバンナ-ウッドランド
4:有棘潅木
5:亜熱帯硬葉樹林
6:山地熱帯雨林

:初期人類(猿人:アウストラロピテクス属とパラントロプス属)の主な遺跡
この植生地図の凡例は、「現在のアフリカ大陸の植生図」と異なっているので注意してください。植生区分は標準が定まっていないようで、地図によって異なります。おおよそ検討はつくと思いますが、以下補足です。
【硬葉樹林】
夏季に雨が少なく乾燥し、冬季には多湿だが温和となる温帯に発達する常緑広葉樹林。おもに地中海性気候の地方にみられ、地中海沿岸ではオリーブやコルクガシなどがあります。「現在のアフリカ大陸の植生図」の地中海植生に該当するようです。
【有棘潅木】
潅木とは低木のことで、有棘潅木とは棘の有る低木のことのようです。この地域は、トゲサバンナとも呼ばれ、有棘潅木が生えているサバンナと考えてよいようです。

1500~200万年前は、まだ乾燥化が進んでいなかったので砂漠は存在していません。また、熱帯雨林が現在よりも大きく広がっていることが特徴です。気候によって熱帯雨林は拡大・縮小を繰り返していたようです。
初期人類の主な遺跡がある場所の植生を見ると、
・中央アフリカの熱帯雨林とその周辺部に半同心円状に広がるサバンナ・ウッドランドの周辺部
・北東のエチオピア高原と南アフリカ東部のドラケンバーグ山脈の山地植生地帯
などが該当します。
初期人類化石が見つかった地層からは、森林のサルであるコロブスや、木の葉を食べるウシ科の動物などが見つかっていること、また、アフリカで乾燥化が進むのは、250万~300万年前以降であることから、初期人類が生きた環境は、森林の周辺の草原・湖が混在するような環境だったと考えられています。
「草原・湖が混在する環境」というと、何か穏やかな環境のように思われるかもしれませんが、森林で進化した霊長類にとってはそうではありません。その環境は、霊長類が進化した、豊かな食料が手に入り、外敵から逃れるために枝から枝へ自在に移動できる森林とは大きく異なります。森林の周囲であっても樹上でないならば、それは飢餓の危険もあれば、いつ外敵に襲われるかも知れないような過酷な環境に他なりません。
■現在のアフリカ大陸の高度分布と初期人類の遺跡位置
次は初期人類の遺跡のある場所の高度を見てみます。
  現在のアフリカ大陸の高度分布図 (クリックで拡大!)
    (「アフリカの自然学」高度分布図を加工)

(白色の丸):初期人類(猿人:アウストラロピテクス属とパラントロプス属)の主な遺跡
中央アフリカの遺跡を除き、大地溝帯を含む高度の高い場所に遺跡が位置していることが分かります。
大地溝帯付近のケニアやタンザニアは、日本のような四季はありませんが、4~5月は雨季、6~10月は乾季となります。季節は日本と逆になり、6~9月は特に朝晩冷え込みます。朝と夕刻のサファリの際はセーターや厚手の暖かい上着が必要と言われます。ケニアの高地(リフト・バレーと中央山岳地帯)は、ケニアの名でも一番過ごしやすい気候ですが、高地であるため日中の最高気温は22~26℃とあまり高くなく、朝は10~14℃とかなり冷え込むようです。
アフリカ=暑い、とイメージしがちですが、アフリカの環境は多様ですね。気温が10℃にまで下るとすれば、朝晩の寒さや風から身を守ることが出来る住処(洞窟、岩陰など)を確保することは、初期人類にとって重要な課題の一つだったのだと思われます。現在より気温が低かったから氷河期には、さらに過酷な状況になったのかも知れません。


初期人類が誕生した時代の自然環境と初期人類遺跡の位置を関連付け、当時の自然環境に迫ってみました。いかがだったでしょうか?
現状では遺跡から発掘される化石証拠が十分でないことから、明確に初期人類が生きた環境を再現することは出来ませんが、霊長類が進化した熱帯雨林とはまったく異なる自然環境に生きていたことは確かなようです。
朝晩は冷さや風に身を震わせ、恒常的な飢えにさいなまれ、いつ外敵に襲われるか恐怖する・・・初期人類が置かれた状況は、そんな過酷なものだったのではないでしょうか。だとすれば、初期人類は、否応なしに洞窟・岩陰・地面の穴などに隠れ住むしかなかったのでしょう。

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。
るいネット 『実現論』より引用)

『実現論』にあるように、初期人類は、過酷な自然外圧・外敵外圧という逆境下で、残された共認機能を唯一の武器として、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させていくことになります。今後、この「共認機能(≒知能)の発達過程」も明らかにしていきたいところです。(さいこう)

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comments

『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』という本を読んだことがあります。上記記事と同じくミッテラン氏の例が出ていた気がします。
記事にあるとおり、フランスの恋愛と個人主義は深く結びついている気がします。

  • yukie
  • 2009年3月2日 15:56

共同体社会とは程遠いですねぇ。そんなに個人主義が強いのなら、男女関係でも集団(地域や会社)でも、得られる充足は乏しそうです。
ヨーロッパには、共同体社会のヒントになるような国はないんじゃないでしょうか。調べても無駄では…という気がします。

  • 匿名希望
  • 2009年3月3日 21:19

[yukei]さん、[匿名希望]さん、有難うございます。
確かに欧米の諸国を追求すると、「個人主義」ばかりが、分析で出て来てきます。そこで終っては面白くありません。
このグループでは、シリーズにして「個人主義」で終わるのではなく、どのような歴史的流れで、元来あった「本源的な共同体」の文化が駆逐されていったのかという点を追求したいと思います。 
共同体⇒個人主義 と成る結節点、そのポイントを探っていこうと思います。

  • koukei
  • 2009年3月5日 21:47

hermes usa versand 共同体社会と人類婚姻史 | フランスは、恋愛「LOVE」で『カップル社会』です。

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