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2009年02月12日

「弥生時代の始まりは通説より500年も早い」~その後

先日新聞で、『弥生時代:衝撃の新年代発表から6年 自信深める歴博グループ』という記事を見ました。
そう言えば、ずいぶん前に‘るいネット’でもそういう話しが出ていたような…
まず、今回の新聞記事を紹介します。毎日新聞2009年2月4日東京夕刊より

 「弥生時代の始まりは通説より500年も早い」という国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の放射性炭素14を使った年代研究が、2003年春の公表から6年になる。翌年スタートした大がかりな研究体制も5年の満期を迎え、これまでの成果をまとめた研究報告会が開かれた。研究の現況を整理する。【伊藤和史】

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 報告によると、土器に付着した炭化物(スス、焦げ)を中心に測定数は全国の約5000点(縄文~古墳時代)。これを踏まえ藤尾慎一郎・歴博教授は各地の弥生の始まり(水田稲作の開始時期)を、九州北部=紀元前10世紀後半▽九州東部~西部瀬戸内=前700~前650年▽近畿=前7世紀後半▽北陸=前6世紀ごろ▽東海=前6世紀中ごろ~前5世紀末ごろ▽東北=前400年前後▽関東=前3世紀後半--と説明した。
 「衝撃的」と深刻な波紋を呼んだ最初の発表が、データの蓄積によって補強されたことになる。通説では、弥生の始まり(九州北部)は前5~前4世紀だった。
 歴博の新年代観に対する反対論・慎重論は根強い。しかし、新年代は日本列島の年代観を拘束する大陸の青銅器編年の見直しを促し、研究者の多くが弥生の開始時期を早く考える方に動いている。
 その中で代表的なのが、気候の寒冷化による社会変動と結びつける前8~前7世紀説だが、歴博年代とはまだ100年以上の開きがある。
 弥生の開始を左右する青銅器は、中国・遼寧(りょうねい)省で生まれて朝鮮半島に伝わった遼寧式銅剣である。朝鮮半島最古の遼寧式銅剣の年代は日本の縄文末期と同時期。それがかつては前5世紀といわれたが、今は前800年説が有力視される。このため弥生の始まりも前800年が上限となるが、歴博グループは前10~前9世紀説を唱え、前800年の壁を破ろうとしている。
 藤尾教授は「弥生の年代は中国考古学の動向いかん。いずれにしろ、5年前とは考古学的状況が違う」と述べ、新年代への自信を示した。
 弥生の新年代には、韓国の研究者の関心も高い。日韓の間では、双方の土器が出土する時期の先後関係が詳細に分析され、精密な編年体系が構築されているからだ。弥生時代がさかのぼれば、韓国考古学も重大な影響を受ける。
 来日していた釜山大学校博物館の千羨幸・特別研究員は「歴博年代は古すぎるが、韓国でも弥生の始まりを前8~前7世紀に見る研究者は多い」と話した。ただ、日本の九州の研究者に見られるように、新年代を全面的に否定する見解もあるという。
 一方、新年代に基づく歴史像の探究も始まっている。藤尾教授は弥生土器1型式ずつの年代幅を約120年、約170年などと初めて示した。1型式を60年や90年などとみる従来の前提に比べ、大幅に長くなったことになる。
 存続幅が広がっても遺跡(住居や墓)の数は変わらない。このことは一時期あたりの人口の減少を示している。「にわかに信じられない存続幅の数字。弥生社会を考えるうえで影響が大きい」と藤尾教授は述べ、会場からも驚嘆の声が上がっていた。
 このほか、「土器の形の変化は寒冷期に早く温暖期に遅い」「水田稲作は温暖期には広まりにくい」といった従来の想定にはない種々の歴史像も提示され、新年代の影響の大きさをうかがわせた。
 歴博グループは、旧石器時代から古代までの古代史の再構築という壮大な構想を持つ。かぎを握るのが、試料の測定値を実年代へ換算する手法の精度の向上だ。研究のスタート時点では、欧米製の換算法を使っていた。その後、古墳時代の始まりにかかわる紀元1~3世紀など、欧米製が日本には適用できない時期があることを突き止めた。グループでは、年輪年代法によって実年代の確実な日本産樹木による換算法の充実や、その中国版、韓国版との連携を目指していく。

%E9%81%BC%E5%AF%A7%E5%BC%8F%E9%8A%85%E5%89%A3.jpg ←遼寧式銅剣のレプリカ写真  『データベースれきはく』より借用

 「弥生期=人口増という仮説はどうなるか?」

 「弥生初期の渡来人はどこからなぜ来たのか?」などを中心に

 【日本人の起源】追求にも少なからず影響がありそうです。

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comments

■置換説とは?
『弥生時代頃の渡来民が、それまで日本列島に住んでいた縄文時代人をほとんど絶滅させたか、あるいは辺境の地へ追いやってしまい、代わりに自分たちが日本列島の大部分を占めるようになった、と考えるものです。』
この説明だと、
 ⇒侵略した上で、皆殺しして元の民族は誰もいなくなる
と読めます。日本でその様なイメージは作りがたい。どう考えても侵略後に、混血があったと考えるのが普通だと思う。
『日本人の形成過程に関心をもつ欧米の人類学者の多くは、150年ほど前から今日まで、ほとんど一貫して置換説を支持してきました。』
置換説を提言して居た欧米人類学者は、何をどう考えて「置換説」と成っていたのだろうか?
現代日本人が創造すると、侵略してきても協調性の高い原住民(縄文人)が迎え入れてくれるのだから、イザコザがあっても最終的には「混血」と成っていくだろうと言う意識だと思うのだが、
欧米の侵略文化の人類学者からすると、「武力的に劣る原住民なんか皆殺しするはず」と感じるのだろうか? 
もう少し、納得できる説明が欲しいところである。

  • 文無し
  • 2009年5月7日 16:48

混血説がいちばん自然なように思います。侵略→皆殺しではなく、侵略→服属が東洋の特徴でもあると思うので。

  • まりも☆
  • 2009年5月7日 22:42

文無しさん、まりもさん、コメントありがとうございます。
東洋では皆殺しの掠奪闘争は少なく、モンゴル遊牧民でも支配→服属の覇権闘争が中心ですね。
だから「置換説」ってピンとこないのかも知れませんが、欧米では「先住民=被支配層との混血は、支配部族集団にとってマイナス要因だ」という見方が常識だったようです。
今さら置換説について調べる必要性は小さいかも知れませんが、わかったことがあればまたアップしまーす。

  • nandeyanen
  • 2009年5月8日 13:00

カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

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共同体社会と人類婚姻史 | 「縄文人~古墳人」学界定説は「置換」→「変形」→「混血」と変遷

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