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2009年07月17日

日本と大陸:ミトコンドリアDNAは似ているがY染色体は違う

ミトコンドリアDNA(母系で継承される)のハプログループ頻度が、日本と朝鮮半島、中国東北部でよく似ているのに対し、Y染色体(父系で継承される)のそれは大きく違っています。その原因は、の頻度にあることは明瞭です。日本の近隣集団では、をこれだけの高頻度で持っている集団はありません。(下にグラフがありますので見てください。)
篠田謙一著『日本人になった祖先たち』より。
(注)は、DNAでたどる日本人の成り立ち1にある縄文人のハプログループD2。日本人男性の30~40%がこのハプログループを持っている。
もう少し範囲を広げると、ユーラシアの東部、北東アジアの各集団には低頻度ながらD2を見出すことができます。また、チベットで人口の30%程度を占めていることも知られています。
これは何を意味するのでしょうか?
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ミトコンドリアDNAのハプスグループ頻度
mtDNA090530a.jpg
Y染色体ハプスグループ頻度
YDNA090530c.jpg
(注)上図と下図のハプログループ記号は、それぞれで分類されたグループ名で、対応関係はありません。『日本人になった祖先たち』より。画像は♪スズメのさえずり記録よりお借りしました。
図にあるように、ミトコンドリアDNA(母系)では朝鮮半島や中国東北部とそれほど違っていないのに、Y染色体(父系)では大きく違うのは奇妙です。
ヒントは女性と男性では子孫の残し方に差があります。女性が生涯にもうける子供の数はある程度制限されますが、男性の場合、はるかに多くの子孫を残す可能性があります(注:逆に言えば、全く残せない男性もいる)。異なるハプログループの接触の歴史を通じて、奇妙な差が生じたと考えるのが自然でしょう。
D2の分布は、もともと北東アジアに広く分布していたが、その後中国を中心とした地域で勢力を伸ばしたハプログループの系統によって、周辺に押しやられてしまった結果と思われます。
しかし日本ではD2がそのまま残り、縄文・弥生移行期の渡来人の流入が、平和的に行われた姿が浮かび上がってきます。もし、渡来人が縄文時代から続いた在来社会を武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは、著しく頻度を減少させたでしょう。
大陸と日本に見られるY染色体DNAのハプログループ頻度の違いは、日本ではなく大陸の方に原因がありそうです。
ハプログループが、日本とチベットに特異的に集積されているのは、もともとユーラシアのステップ地域を中心に存在していたが、(地理的に隔てられていたため)大陸における他のハプログループの伸張の影響を受けずに、そのまま残ったのだと考えるとうまく説明できそうです。
また日本人のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。
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遊牧部族とその婚姻制が掠奪集団の起源になったというのは驚きですね。
BC3000年頃の地球の乾燥~砂漠化がユーラシア大陸~西アジア周辺に、遊牧
生産を生み出しました。
Msg:28378
遊牧部族は
>小集団(小氏族)で移動するという闘争集団ゆえに、男原理の父系集団に移行すると、嫁取りのための婚資(=相当数の家畜)を蓄財することを第一義とする私益集団と化していきます。私益集団から掠奪集団が生まれるのは時間の問題と考えられます。

なんでや劇場での最新議論では
http://blog.trend-review.net/cgi/mt-tb.cgi/1295
>これまで自我は個人と一体であると考えてきたが、それは間違いではないか。
集団の自我(私権)こそ、自我(私権)の出発点ではないのか。
個人発の自我が集団に蔓延したのではなく、まず集団自我(私権)が生まれ、それが個人に転写され、個人の自我(私権)が生まれたのではないか。<
と述べられています。
この時、婚姻自体は集団内にありますから、集団自体の自我、私権意識化が最初で、そこから、個人に転写され、婚姻も私有婚化することで自我、私権意識が一層強まっていったという順序でしょうか。

  • tabtab
  • 2009年10月17日 10:26

牧畜生産の婚姻制について、さらっと書いてありますが、どんなものだったのでしょう?
牧畜生産には狩猟生産ほどの闘争圧力は働きにくいわけで、能力格差はつき難い。したがって、成員の能力評価が平準化した集団になっているのではないかと推察します。
その場合、当初の勇士集中婚の裾野を広げて、広く婚姻の機会をもうけて性闘争の封鎖に対応していたということでしょうか?
牧畜生産といっても色々な場合が考えられるので一概には言えないと思いますが、高い闘争圧力を前提とした勇士婚の様式が、牧畜生産では変化しているはず。そこを知りたいですね。

  • hayabusa
  • 2009年10月17日 11:24

人類が生き続ける為に必要なのは
先ず食料・・・・・・・動物は食料がないと死んでしまう。    
もちろん生殖・・・子孫を残す。           
そして集団・・・・・・弱い動物なので一人では生きていけない。

その集団を維持して行くにはどうやって食料を得るか?   
・・・食料=自然の恵みなので気候風土に依って規定される。
(ex.採取、狩猟,漁労,牧畜,遊牧,農耕・・)

そして、どう統合するのか?              

これらの課題を解決する為に規範が共認され、役割が共認されて集団が
統合されるということになります。              

今まで『生産様式と婚姻様式の関係』とか言われてもピンと来ません
でしたがみなさんの意見を基に整理して行くと、        

本来あるべき人間の姿を探求する上で、人類の生存していた地域の
自然外圧⇒生産様式と婚姻様式の理解は重要な視点だと思います。

  • mukai
  • 2009年10月17日 13:15

 牧畜には貯蓄に基づいた利子生活や、基金による財団経営に通じる部分が多いという話を聞きました。
日頃、牧畜にあまりなじみの無い私たち日本人からすると、牧畜とは「歩く食料貯蔵庫」であり、動物性食料の資源を手元において生かしたまま貯蔵することにあると考えがちですが、それは貯蓄の元金を食いつぶすようなものです。
実際は、病気や怪我で目減りする元金(家畜)を出産による再生産で補いつつ、もっぱら家畜の乳という利子(乳製品)によって生活するというのが牧畜民の姿です。のどかな様子を牧歌的と言いますが彼らの外圧は決して低くはないのでしょう。
消費を増やす為、元金(家畜)を増やそうとしても牧草地の限界以上は頭数を増やすことはできず、再生産される頭数以上を消費すると元金(家畜)が減ってしまう。これを「牧人のジレンマ」と呼ぶそうです。

  • kato
  • 2009年10月17日 20:18

do mbt shoes work 共同体社会と人類婚姻史 | 始原人類の婚姻制  ③「風土、生産様式、婚姻制」

共同体社会と人類婚姻史 | 始原人類の婚姻制  ③「風土、生産様式、婚姻制」

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