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2009年10月07日

本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<生物にとっての「性」とは?>

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人類の「性の本質」を考えるシリーズの第1段は、生物にとっての「性」についてかんがえてみたいと思います。
人間の場合男女という「性」があるのはあたりまえですが、生物全般を見渡した場合、オスメスという性をもたない生物は無数に現在も生存しています。
生物進化全体からみても、オスメスという性を獲得したのは概ね6億年前で、生物史40億のタイムスパンでみれば比較的最近?とも考えられます。
◆ではなぜ生物は「性」を獲得していったのでしょうか?
この問題を生物進化の視点で見ていきます。

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生物史上の大進化はいくつもあるが、中でも生命の誕生に次ぐ様な最も劇的な進化(=極めて稀な可能性の実現)は、光合成(それによって生物界は、窒素生物から酸素生物に劇的に交替した)であり、それに次ぐのが雌雄分化であろう。生物が雌雄に分化したのはかなり古く、生物史の初期段階とも言える藻類の段階である(補:原初的にはもっとも古く、単細胞生物の「接合」の辺りから雌雄分化への歩みは始まっている)。それ以降、雌雄に分化した系統の生物は著しい進化を遂げて節足動物や脊椎動物を生み出し、更に両生類や哺乳類を生み出した。しかし、それ以前の、雌雄に分化しなかった系統の生物は、今も無数に存在しているが、その多くは未だにバクテリアの段階に留まっている。これは、雌雄に分化した方がDNAの変異がより多様化するので、環境の変化に対する適応可能性が大きくなり、それ故に急速な進化が可能だったからである。

事実、進化の源泉はDNAの多様性にある。つまり、同一の自己を複製するのではなく、出来る限り多様な同類他者(非自己)を作り出すことこそ、全ての進化の源泉であり、それこそが適応の基幹戦略である。しかし、同類他者=変異体を作り出すのは極めて危険な営みでもある(∵殆どの変異体は不適応態である)。従って生物は、一方では安定性を保持しつつ、他方では変異を作り出すという極めて困難な課題に直面する。その突破口を開いたのが組替え系や修復系の酵素(蛋白質)群であり、それを基礎としてより大掛かりな突破口を開いたのが、雌雄分化である。つまり、雌雄分化とは、原理的にはより安定度の高い性(雌)と、より変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)に他ならない。従って、雌雄に分化した系統の生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、安定と変異という軸上での性の差別化をより推進してゆくことになる。(注:差別化という概念は、優劣を捨象した客観的な概念として用いる。)

実現論 序ロ.雌雄の役割分化
「同一の自己」を複製するのではなく、出来る限り多様な「同類他者(非自己)」を作り出すこと こそ、全ての進化の源泉であり、適応の基幹戦略。
しかし、変異体が必ずしも種の保存に適応的であるとは限りません。
生物につきまとう大きな課題の一つが、分裂時の 『安定と変異の両立』 であり、この課題の高度化こそ、生物の適応可能性の鍵を握ることになるのです。
それが、オスメスという性(=有性生殖という変異システム)の構築であり、生物史に残る大進化です。
ではこの安定度の高い性(雌)と、変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)がどのように生物を進化させていったのでしょうか?

事実、この系統の生物は雌雄の差別化をより推進してゆく方向で進化してきた。それは、雌雄が同じ役割のままでいるよりも、安定性の求められる生殖過程はメス、危険性の高い闘争過程はオスという風に役割分担を進めた方が、より種としての環境適応が高くなるからである。例えば脊椎動物の系統では、魚のメスは卵を産み落とすだけで子育てなどしないが、爬虫類になると卵を温めて孵化させる種が現れ、更に哺乳類になると胎内保育をし、その上かなり長期間子育てに携わる様になる。つまり、進化するにつれてメスの生殖負担がどんどん大きくなってゆき、そのぶん闘争負担は小さくなってゆく。他方のオスは、それにつれて生殖負担が小さくなり、そのぶん闘争負担が大きくなってゆく。例えば哺乳類は、一般に内雌外雄の集団編成を取っているが、これは外敵には闘争存在たるオスが対応し、その集団(オスたち)に守られて生殖存在たるメスと子供が存在するという、外圧に対する二段編成の構造(=同心円の構造)である。だから、オスが子育てをする哺乳類など、殆どいない。
この様に、哺乳類は(自然界でも一般には)メスが生殖過程を主要に担い、オスが闘争過程を主要に担うことによって、メスとオスが調和し、種としてのバランスを保っている。それが、オスとメスを貫く自然の摂理である。

実現論 序ロ.雌雄の役割分化
出来る限り多様な「同類他者(非自己)」を作り出すためにオスメスという異なる性は、その差異を促進していく。
これは遺伝子の違いにも見ることができ、(哺乳類~サル・人類の場合)変異を担うオスは変異性に富む「Y」染色体を有する。
(「Y」染色体は対になれないので相互に修復することが不可能になる。
修復されないがゆえに変異が残存し、その結果、多くの変異情報を蓄積するようになり、有性生殖によって多様な「同類他者(非自己)」を作り出す要因となっている。)

このDNAレベルの差異にもっとも適応的なオスメス役割分化が、安定・生殖・出産を担うメスと、変異情報を蓄積する⇒環境の変化を察知する⇒捕食・外敵(圧)闘争を担うオスという役割に収束していく。
このように生物にとっての「性」とは、変異・安定という異なる役割をオスメスで担う ことで、種として環境に適応していくためのシステムである、と考えられます。
【参考投稿】
生物の起源と進化に学ぶ-5-安定と変異の両立
「性」染色体に騙されるな
◆あとがき
以上「外圧適応のための変異と安定」⇒「種の保存」が、生物にとっての(本能次元での)「性」であり、「性」を獲得し、進化してきた生物史の本質です。
当然人類のオスメスの性の役割も、本能(DNA)のレベルではこの役割機能を踏襲しています。
しかし、生物としての性システムだけで、人類のオスメス関係を語ることはできません。
オスメスという言葉と男女という言葉の差 には様々な意味が含まれていると思います。
男性が女性に感謝する気持ち、女性が男性に感謝する気持ち、異性に惹かれあう情動、充たしあえる充足感・・・など、本能の上に塗り重ねられた、心や感情、さらには観念として捉える性や婚姻形態などより複雑な関係性の中に人類の男女の役割が存在しており、この部分に踏み込んで追求していくことが不可欠です。
この複雑な男女の役割を今後順を追って解明していきます。
最後に生物にとってなぜ変異と安定が必要なのかについてふれておきます。

また進化とは、その存在を構成する多数の古い実現体の無数の組み替え可能性の中の一つの外圧適応的な実現である。その無数の可能性の内、外圧適応態たり得る可能性は極めて小さいが、しかし決して唯一ではなく、幾通りもの適応の仕方=進化の方向が存在する。と同時に、完全なる適応態など存在せず、全ての適応態は外部世界に対する不完全さを孕んでおり、それ故より高い適応を求めて進化を続けてゆくことになる。とりわけ外圧が変化した時に、存在の不完全さと進化が顕著に現れるのは当然である。人類の最先端機能たる観念機能による『事実の認識』も同様であって、完全なる認識など存在せず、人類史を通じてより高い適応を求めて無限に塗り重ねられ、進化してゆくことになる。

実現論 序イ.可能性への収束=統合
「全ての適応態は外部世界に対する不完全さを孕んでいる」という認識は生物の進化・人類の進化を考える上で重要な認識。
だからこそどの時代・どの生命にとっても変異・安定の実現こそが最重要課題となるのです。
変異のない安定は硬直状態であり、安定のない変異は単なる無秩序状態です。
社会の大きく変化しつつある現代は、存在の不完全さが顕在化した状態である一方で、より高い適応を求めて塗り重ねられ、進化していくチャンスでもあります。
人類の”性”の本質を探ることは、新たな性のありかたを創造していくテーマだと思います。

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■男女共学について調べてみました。
<Yahoo百科事典からの抜粋>
【戦前の男女別学の教育体制】
強い儒教主義道徳のもとに、明治以降別学の方針がとられてきた。
1891年(明治24)の文部省令第12号「学級編制等ニ関スル規則」で、同学年の女子の数が1学級を組織するに足るときは男女別学級をとることにした。(ただし、小学校の1、2年は例外として共学級をとってきた。)
中等学校においては、男女別学がさらに徹底して、いわば男女の隔離主義がとられ、両者の交流の機会はほとんどみられなかった。
なお、旧制の高等学校は男子の独占するところであり、したがって帝国大学への女子の入学はほとんど認められないなど、性別による教育機会の差別がはっきりと存在していた。
【戦後の男女共学の教育体制】
◆法的根拠
①【憲法】の掲げる個人の尊厳と両性の本質的平等の精神(第13条、第14条、第24条)
②【教育基本法】は性別による教育機会の差別を禁じ(第3条)、さらに男女の共学を奨励した。
すなわち、「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」(第5条)。
<以上,Yahoo百科事典からの抜粋>>
①②共、終戦後のアメリカ(GHQ)が日本に作らせた内容です。
儒教的な男女区別の文化から、「男女共学」には反対意見も多数あったようですが、「男女同権」と共に日本の大衆もこの文化を一気に受け入れていきます。
つまり、「男女同権」「男女共学」を支持・発信する人たちは「進歩派(≒エリート)」文化人であり、反対する人たちは、「封建的」で、古臭い考え方を持った人であると言う世論が形成され普及されました。
★しかし、最近は「男女共学」のメッカともいうべきアメリカで、実は男女別学の良さが見直され始めています。公立校の中には試験的に男子クラスと女子クラスに分けて授業を行って良い成果を上げている事例があるそうです。
背景には、この投稿でも言われているように、「男女同権論」「ジェンダーフリー」などの観念が間違って社会を歪めているという考えが、アメリカでさえ、さらには大衆にも広がってきたからだと思います。
★一方で、日本においては、教育上の理念からではなく生徒数確保のために、男女共学に移行する流れがあります。
★明治時代に取り入れた「男女同権」「男女共学」等が、似非の観念であると言うことがわかり始めてきました。
日本においても、社会における根底部の「男女の役割」「婚姻形態」「男女別学」など改めて戦後の社会システムを再考して作り替えていく時期に来ていると思います。
その様な見直し議論が期待されているのだと思います。

  • いちもんなし
  • 2010年1月16日 20:20

いちもんなしさん、早速コメントありがとうございます。
おっしゃるように、「男女同権」という言葉の偏った見解によって、もともとあるべき男女の役割(違い)を覆い隠してきたのが戦後の意識潮流だったという気がします。
しかし問題の本質は、背景となる社会の圧力(期待)の中身(=市場拡大)が、そうさせたともいえそうですね。

  • saah
  • 2010年1月18日 09:51

共同体であれば各成員の役割は明解になる。
役割が明解であれば、それに応じた能力の取得が必須になる。
また、その能力の取得の為の教育も重要になる。
よって共同体であれば男女別学は必然となる。
男女別学→男女共学の流れは戦後のGHQ支配や1947年(昭和22年)の教育基本法、昨今の少子化対策としての学校経営問題の観点から取り上げられることが多いが、その背景には集団(共同体)の解体がある。集団が解体され個人が単位となった今、各個人に明確な役割期待があるだろうか?これが男女別学が崩れてきた本質だ。

  • R
  • 2010年1月19日 19:10

Rさん、なかなか本質を突いた御指摘だと思います。
私も、そもそもの役割期待の出所となるべき集団=共同体を失ったことが、期待を不鮮明にしてしまい、目的を見えなくさせてしまった原因ではないかと考えています。

  • saah
  • 2010年1月20日 18:08

いや、日本は儒教思想なんかありませんでしたよ。
儒学ならありましたが。
「儒教」と「儒学」は全くの別物です。

  • 匿名
  • 2011年1月24日 12:32

>皮肉としかいいようがない。共学校にはジェンダーの固定>観念を強化する傾向があり、男女別の学校にはジェンダー>の固定観念を打ち破る傾向があるのだ。
此れは逆だと思いますよ。
共学が男女の役割を無くし、
別学が男女の役割を強化する。
兎に角、早急に男女別学化にするべきでしょう。

  • 匿名
  • 2011年1月25日 12:10

皮肉としかいいようがない。共学校にはジェンダーの固定>観念を強化する傾向があり、男女別の学校にはジェンダー>の固定観念を打ち破る傾向があるのだ。
此れは逆だと思いますよ。
共学が男女の役割を無くし、
別学が男女の役割を強化する。
兎に角、早急に男女別学化にするべきでしょう。

  • あsddfsfg
  • 2012年5月18日 07:56

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共同体社会と人類婚姻史 | 男女別学を見直す

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