2010年10月15日
共同体の原基構造-4~規範原理
『共同体の原基構造』に迫るシリーズの4回目です。前回は、500万年に亘る極限的外圧状況の中で生き延びるために、皆で課題(=食料の確保をはじめ、「生きる」という課題)を共認し、役割を共認し、集団を統合する為の評価を共認して、かろうじて生き残ってきた状況について見ました。人類は500万年に亙って、皆で充たしあい、支えあうことで生き抜いてきたのです。
今回は、集団を統合するためには欠かせない規範について考えてみたいと思います。
私たち現代人は、規範やルールと聞けば、反射的に自分にとってマイナスであるもの、他律的なもの(誰か自分と関係ない人がつくったもの、押し付けられるもの、縛り付けるもの)としてイメージしてしまいがちです。
しかし、最近話題になった、チリの落盤事故からの奇跡の救出劇でも、「新たな事故に備えるための見張り役や、記録係、メンテナンス係など作業員一人ひとりに役割を与え、集団生活の規律を保った。」 といいます。
地下700m の炭鉱に70日も閉じ込められるという絶望的な状況下で、役割と規律が、生きる支えとなり困難な状況を乗り越える力となったのです。
だとすると私たちは、規範に対する認識が大きくずれてしまっているのではないでしょうか。
そこで、今回は、るいネットの投稿を元に、本来の規範とはどのようなものなのか、また、そのような規範意識を形成する土台は何かを考えてみたいと思います。
応援よろしく
始原人類時代、人類は厳しい自然環境の中で、身を寄せ合いながら生活していました。※集団でないと生きられない環境・外圧
集団を維持するためには、何らかの行動様式が共有されることを前提とします。つまり、集団が集団として存在する限り、規範が自ずと形成され、守られます。逆に言うと、規範の逸脱は、集団の破壊、つまり集団構成員の死に直結するものであったのです。
従って、この外圧にさらされている原始集団では、規範の明文化は必要有りません。規範破りには、外圧(自然)が即座に罰を与えてくれるからです。従って、集団を守る・維持するための規範(もろもろの文化様式や、タブーも含む)は、集団内で言語化されずとも共認され、また規範の共認が集団を存続させているという、相互補完の関係にあったのでしょう。
②規範とは集団全体を生への可能性へ導き、秩序と充足をもたらすものであった。
また、規範は、よりよく生きるための評価軸の役割も兼ねられたと考えられます。集団が人間関係で構成される以上、役割分担が発生します。当時の外圧状況を考えると、生きるためには構成員全員ができることすべてをしなければいけないわけですから、自ずと能力ヒエラルキーに従って役割分担=規範も形成されます。
つまり、規範=評価軸=役割分担であり、それを守ることにより、集団は維持される。 ということは、規範とは本来の意味では“規制する”ものではなく、集団全体を生への可能性へ導くものであり、集団内の課題遂行の役割分担を円滑にするものであり、秩序と充足をもたらすものであったと言えるでしょう。
③規範は外圧の変化とともに変わっていく。
もちろん、外圧の変化により規範は変化せざるをえません。逆に言うと、当時の課題とは、自然外圧への対処の仕方そのものであり、それがすべてであったと考えられます。
とすると、規範とは端的に言うと、ある単位集団をとりまく外圧に対する対処の仕方そのものであり、外圧に対する集団の運営方針そのものなのではないでしょうか。
チリの事例を見ても、極限的な状況下で、役割と規律が人びとの生きる希望となり、支えとなったことが判ります。ではそのような規範意識はどのように形成されるのでしょうか。
④言葉以前の不文律としての規範意識は何を土台にしているのか。
規範意識が人の心の奥底から自ずと湧き上がってくる感情であり、相手のプラス視が人間の相手尊重の最も原点にあるとすれば(これは私の仮説ですが)、それは相手からの期待(を感じる機能と、それに応えることで充足を感じる機能)ではないでしょうか?
このことは赤ん坊が、幼児期の子供が母親や家族たちの表情を見ながら、物事や行動の善悪の判断を徐々に積み重ねていくことで、その後の規範意識の土台を作っていくということからの類推です。
もちろん規範意識は経験の蓄積によっても形成されるでしょう(経験認識や自然認識を元にした諸規範)。それは大脳の発達した動物から受け継いだ機能(記憶回路)を土台にしています。
しかし人間に見られる規範意識はそれとは必ずしも全てが重なるわけではないように思われます。
仮に上記の説に立つとすれば、冒頭に記したそれぞれの現象や機能は、母子のスキンシップを原点とする充足機能(取りあえず親和機能と呼びます)
→相手のプラス視
→それを土台にした、相手の期待を感じ、期待に応えようとする機能(規範意識の土台) という関係となるのではないかと考えられます。(これら全てを共感機能と呼んでもいいかもしれません)
つまり期待に応えようとする意識が、相互に働き合うことで、規範意識の土台が形成され、更にその土台の上で観念化された社会規範を受容していくのではないでしょうか。
画像はこちら からお借りしました
赤ん坊や子供の時代の、母親に期待し応えて貰う、また母親の期待を感じ応えるという期待と応望の充足体験の積み重ねが、規範意識の土台となるのですね。
⑤規範は充足可能性への道標
そもそも規範は、「あれはダメ、これはダメ」と行動を規制する規則のことではなく、課題や役割を共認したみんなが、それを担っていく中でより充足度を高める為に必然的に共認していくもの。みんな期待(充足可能性)の結晶そのもの。だから本来は「こうすれば充足できる」という活力の源になってる。
私たち現代人が、規範をマイナスに捉えてしまうのは、主体的な参加による集団形成の機会を奪われた私権時代の奴隷の思考方法から未だに脱却出来ていないからに過ぎないのです。
そして、「規範が外圧とともに変化していく」ものであるということは、外圧が生存圧力から同類圧力へと大きく変化している現代、規範も私権時代の禁止規範から、共認時代に相応しい充足規範へ、作り直すことが可能になったことを意味しています。
次回は極限時代の人類が、死や集団をどのように捉えていたかを探っていく予定です。
- posted by tama at : 2010年10月15日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
確かにそうだけど、国家みたいなものが出来てきたあたりから父権的になるのでしょうけれど、国家みたいなものは女性や母性に不利な状況だけを与え続けてきたとは限らないと思います。近代国家というのは共同体が行き着いた強烈な形態であり近年は際立って英米がおしつけてきたけど、いざ世界市民となるとしたらみんな英語を話さないといけなくなる。日本人が日常会話を真の意味で英語を話せることは、文法の構造上ありえない。ちなみに中国は似ているので文法構造レベルでは話せる率が高いが、末端に染み渡ることを想像すると、表音文字文化と表意文字文化のまさしく衝突である。日本文化は両方持っているという安定性も持つ。英文で活字を書くと、日本語の2倍ぐらいの量になる時がある。表意文字(=中華文明)の威力だ。一方、中国の識字率を下げているのはこの表意文字のせいであり、表音文字をある程度おぼえると、その先は自律的学習で表意文字が怖がらずに覚えられることも識字率の高さの要因だと思う。とにかくハイブリッドの言語構造を持つ日本の将来は明るいし、WHO、TPPとかNGOとか野暮ったい表意文字的なものをを作ろうとしているがこれらの認識範囲は、2~4文字ぐらいであろう。そのうち表意文字に格上げしないといけないかもしれないが。英米文化圏ではそれは出来ない。
その発明の源流が、古事記なのだと思う。
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