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2010年10月16日

縄文文明こそ日本文明

みなさんこんにちは。
今日はるいネットからの記事を紹介しようと思います。
「縄文文明こそ日本文明」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=237644

日本人や日本の歴史に次代の可能性を見い出そうというという潮流が顕在化しつつある中で、「縄文」の文化や気質に対する可能性が高まっています。
縄文気質とは何なのでしょうか?
以下の引用文には、日本の文明とは縄文にあるという内容の記事です。
あえて縄文文明と表現していることにも意味がありそうです。
では、記事の中味を見ていきたいと思います。
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「先日発掘された6000年前の人骨(富山県)」

るいネット
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以下、るいネットからの引用です。
「縄文文明こそ日本文明」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=237644

(中略)

■稲作は縄文の社会では普及しなかった

地層の分析から、6千年前に稲作が日本列島に伝播している可能性が高いのに、なぜか稲作は縄文の社会では普及しないのである。
それは、縄文人がこうした稲作農耕社会に潜む残虐性や不平等性を受け取ることを拒否したからではあるまいか。
それは縄文人が人にも自然にも優しい心を持っていたからではないかと思うのである。日本人はグローバル化に際して、賢く取捨選択する智恵を縄文時代から身につけていたのである。

■人にも自然にも優しい縄文時代が日本文明の根幹を形成

このように人にも自然にも優しい縄文時代が1万年以上も継続し、日本文明の根幹を形成しているのである。
しかし平和で優しい社会は、同時に停滞的・保守的でもある。そうした停滞性や保守性を打破する新たな刺激は、たしかに外部からもたらされた。

古代文明のベースとなっていた稲作や農耕は、私権強者(地主)が弱者(小作人)に対して搾取するという序列社会でした。
共同性をベースにした縄文人が、それをそのまま受け入れてしまっては集団が解体されてしまう事は当然ながら知っていたと思われます。


■縄文文明に外部から刺激を与え活性化させる時代も出現

日本文明の根幹を形成する縄文文明に、外部から刺激を与え活性化させる時代があった。
それが弥生時代・古墳時代・奈良時代・室町時代・安土桃山時代そして明治・大正・昭和の時代である。
これらの外部からの刺激の時代は、ともすれば安寧と豊かさのなかに停滞しがちな縄文日本丸を推進・発展させる帆の役割を担った。この点が、これまでの日本文明論とは根本的に相違するところである。

■これまでの日本文明論の主役は、外圧の文明

これまでの日本文明論の主役は、こうした外圧の文明であり、基層となる縄文文明の姿は見る影もなかった。
しかし、いまや主客の逆転が必要なのである。西尾幹二氏が指摘するように、中国文明や欧米文明を他者として対象化する視点が必要なのである。
中国文明や欧米文明は日本文明に刺激を与えた外圧の文明にすぎず、日本文明とはまったく異質の文明だったのである。
たしかに、これらの外圧の文明は、縄文日本丸の帆の役割を果たし、日本文明に活力と刺激を与え、その進路にも大きな影響を与えたが、日本文明の根幹を根本的に揺るがし、これを根本的に変革するほどの影響は及ぼさなかった。

■外圧の影響の小さな時代は、縄文文明の伝統が大きく開花

また、外圧の時代が激動と殺毅の時代であったのに対し、外圧の影響の小さな平安時代や江戸時代は、縄文文明の伝統が大きく開花し、戦争のない平和な時代であった。
日本人が魂の安寧をもっとも感じ、その魂の琴線に語りかけ、日本独自の文化が花開いたのが、この時代である。
平安時代の10世紀初頭に始まり12世紀に頂点に達した「蟻の熊野詣」といわれる熱狂的な熊野崇拝も、やはり縄文文化への回帰の現れではなかったかと梅原猛氏は指摘する。
「それはもう一度日本の深淵文化の根底に触れて、根本的に歴史を新たにしたいという個人を越えた巨大にしてひそかなる意志に左右されてのことであったと思う」と。


■縄文文明の伝統は、21世紀の時代の精神

それはまた21世紀の新千年紀をむかえる現代日本人が共有する時代の精神でもある。現代の縄文への回帰は、まさに梅原氏が指摘するように「根本的に歴史を新たにしたい」という願望から発するものなのであろう。
それにしても熱狂的な熊野崇拝が起こり、縄文への回帰が引き起こされた10世紀から12世紀は、中世温暖期といわれる地球湿暖化の時代に相当しているのが、私には興味深い。
きたるべき21世紀も地球温暖化の時代である。その地球湿暖化の時代になぜか、日本人は基層文化としての縄文に回帰する。
そこにはきっと海洋的な気候風土、とりわけ森の風土に特色づけられる日本の自然と、森の民、海の民としての日本人とのかかわりあいの特殊性の謎が隠されているにちがいないと思う。

■縄文文明こそ日本文明である

このように日本文明の根幹には、縄文時代以来の文化的伝統が巨大な潮流として存在し、弥生時代の稲作文化も安土桃山時代の南蛮文化も、そして明治以降の近代ヨーロッバ文明も、この縄文文明の伝統に刺激を与え活性化する役割は果たしたが、結局のところ縄文文明にとりこまれ、のみこまれていったのだ。
そのように見るならば、縄文文明こそ日本文明であるといっても過言ではない。縄文文明こそ、日本の内なるフロンティアなのである。
(中略)

数ヶ月前の「なんでや劇場」では『物を考えない日本人』という内容が議論されました。そもそも縄文体質ゆえに様々な文化や文明を受け入れて発展してきたが、『考えない(=統合できない)』という弱点を孕んでいるのではないか?という問題意識です。
それに対して、日本人特有のこの「縄文体質」を、上記の引用文からの解釈によれば、諸外国の良いところをのみ込んでいく文化とあります。
「のみ込まれる」ことなく、「のみ込んでいく」事で自分たちに合う様に改良しながら受け入れるのが上手かったのでは無いでしょうか?
(↑この事をもって文明と表現していると考えられます)
例えば、稲作の文化を初めは拒否したというのも、縄文体質に合わないと判断されたのでしょう。
後に稲作は受け入れられていきますが、自治共同体「惣村」というシステムを作る事で、自然や人々を支配することない運営に改良している事が伺えます。
さて、『物を考えない日本人』はどちらが本質的なのでしょうか?

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