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2011年01月06日

長江中流域の彭頭山・大渓・屈家嶺・石家河文化

宮本一夫著『中国の歴史01 神話から歴史へ』を基に、新石器時代の中国について、集落と墓葬から集団規模や集団単位・婚姻制をシリーズで探っています。
黄河流域に続き、前回は長江下流域の遺跡文化を扱いました。今回は、同じく長江の中流域を扱いたいと思います。
長江中流域は稲作農耕開始の核心地域である可能性があり、注目に値します。
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 新石器時代前期の彭頭山文化(9500年前~8100年前)

・彭頭山文化を代表する八十垱遺跡では、大量の稲籾が出土している。栽培イネか野生イネは不明であるが、いずれにしても大量のイネが備蓄されていたことは確か。
・この八十垱遺跡では、集落の周りが濠で囲まれた環濠集落であり、中国で発見されている最古の環濠集落の1つ。環濠の目的は、野獣からイネを防御するためであると考えられている。

 新石器時代中期前半の大渓文化(7000年前~5000年前)

・灌漑農法(水路)が確立し、住居地が水の補給のための水辺から大規模に農耕を行う事の出来る平野部へ移動した。
・環濠がさらに発展し、土塁を持つ城址遺跡は、洪水対策であったと考えられる。
・墓地遺跡からは女性の比率が多く、母系社会であったと考えられる。副葬品には差異が少なく、集団内の個人に比較的平等な社会であったと考えられる。

 新石器時代中期後半の屈家嶺文化(5000年前~4600年前)

・同じ墓地が二つの墓群から構成されており、集団が半族として二分される双分制的な社会単位が存在していた可能性が高い。
・後期になると、稲作農耕の経営単位である血族を中心に社会格差が生まれ、次第に階層が分化していく。

 新石器時代後期の石家河文化(4500年前~4000年前)

・墓葬で男系の階層上位者が登場する。但し、長江下流域のような墳丘墓は存在しない。
・玉器は人物像や動物像があり、特定階層者の威信財と考えられる。
・大規模な都城を作った。この都城は南北1.3Km、東西1.1Kmという大きさで、上述の黄河流域の部族と抗争したのはこの頃と考えられる。
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※長江中流域では、下流域のような集約的農耕化を示すような石器生産の発展は見られない。
※墓葬分析でも、大渓から屈家嶺にかけて、等質的な社会であった。

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