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2011年01月30日

シベリアの厳寒に挑んだモンゴロイド(マリタ人)

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氷点下50度以下になる真冬のシベリアにも、人々の確かな営みがあります。人類はいつ、そしてなぜ、この厳寒の地シベリアや北極圏へ進出したのでしょうか?
アフリカで誕生した人類が、ユーラシア大陸からこのシベリアを越えて、さらにアメリカ大陸へ拡散を続けてきたことはよく知られていると思います。このはるかなる旅の特徴は、異なる環境へのあくなき挑戦と適応だったといえるでしょう。そのクライマックスが、アメリカ大陸への中継地でもある、シベリアへ進出するために「極寒」への適応にあったことは疑いないでしょう。
今日はバイカル湖周辺の人類(モンゴロイド)マリタ人の北方適応を見ていこうと思います。
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■シベリアにおける旧石器時代の変遷
このシベリアの舞台にモンゴロイドの人影が現れるのは、「トボリスキー間氷期(約40万~25万年前)」といわれている時代まで遡ります。「ナマロフスキー氷期」「シルチンスキー間氷期」「タゾフスキー氷期」「カザンツェフスキー間氷期」がこれに続き、そして人類が本格的に登場する最終氷期(約8万~1万1000年前)に入ります。
最終氷期はさらに、「ズィリャンスキー氷期(約8万~5万5000年前)」「カルギンスキー間氷期(約5万5000~2万5000年前)」「サルタンスキー氷期(約2万5000~1万1000年前)」は三つに区分されます。
この最後の「サルタンスキー氷期(約2万5000~1万1000年前)」になって、モンゴロイドは厳冬を克服し、北緯60度にまで進出を果たしたと考えられています。
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今からおよそ2万5000年前、現在より平均気温が7~8度も低かった最終氷期に、人類は、シベリアに通年使用する「定住」的なムラを築き始めました。厳しい寒さを真に克服した記念すべき第一歩です。
シベリアで通年使用する「定住」的な最初のムラは、2万3000年前のマリタ遺跡だと考えられています。今日はこのマリタ遺跡を詳しく紹介しようと思います。
■バイカル湖のマリタ遺跡
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世界的に有名なマリタ遺跡はシベリアのバイカル湖近く(古都イルクーツク市の北西80k)に発見された遺跡で、その歴史は2万3000年前のマンモスハンターの遺跡です。縄文時代よりも一万年以上前までさかのぼると言われています。その子孫と考えられるブリヤート人と日本の縄文人とのDNAを比べてみたところ、類似点が多数見つかったそうです。
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小型の石刃、石錐、彫器など1万点を越す石器や剥片とともに、大きな板石やマンモスの骨と牙、鹿角などが集積したテント式住居の跡が数多く見つかりました。推定48~60人、8~10軒の家で構成されたムラは、何度か引越しをしながら長期間この地に存在したようです。
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(左)マリタの住居(右)マンモス骨格で作られた円形ドーム状の住居
■マリタ人の四季の暮らし
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マリタ遺跡での生活は、四季を通して復元することができます。春~秋における住居づくり、狩り、山菜取り、オーカー(鉱物性の赤色顔料)の入手、死者の埋葬、そして冬季における毛皮用の北極ギツネの捕獲、炉のある住居内での石器作りなどです。
マルタ遺跡は通年利用はおろか、厳しい寒さに対処できる炉つきの住居を築き、長期間にわたって大きな集落を維持していたようです。
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分析の結果、北極ギツネ50体の他に、マンモス16体、ケサイ25体、ウマ2体、トナカイ589体、野牛5体、洞穴ライオン1体、クズリ4体などが数えられています。仮にすべてが食用に供されたとしたら、肉の量は92トンを越えます。北方原住民の平均的食肉消費量は1日600~700グラムといわれ、ムラの推定人口48~60人の7年分に相当します。実際の捕獲数は、その10倍以上と推定されています。
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■フードつきの防寒具
マリタ文化のブレチ遺跡で発見された象牙製の女性像(ヴィーナス像)はマンモスハンターの衣服の様子を伝える貴重な資料のひとつです。高さ12.2cm肩幅1.9cmの痩せ型です。頭の周囲が深く縁取られ、頭巾をあしらっているようである。しかも頭巾に見られる斑点は、体から足までとぎれることなく続いており、フードつきの「つなぎ服(コンビネーション)を着ていたことが分かります。
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毛皮製のの防寒衣は、酷寒のシベリアに生活するための必需品であり、もっとも重要な装備のひとつであったのです。
気候の変化に伴い、食料となる獲物を求め新たな環境に適応していったのです。
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画像関係は『日本人はるかなる旅展』よりお借りしました。

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comments

【家督を継ぐのは、,,,タイではそれは末娘と婿の役割だ。】
母系とは聞いていましたが,末娘が跡継ぎとはビックしました。
何故,末娘なのだろう??

  • 猪飼野
  • 2011年9月6日 22:26

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Where did Mon people come from?
I know they went to Burma after Thailand.

  • kazuki sato
  • 2012年11月29日 02:33

共同体社会と人類婚姻史 | ◆「アジア諸国の民族の実態」③【タイ王国】~父権制なのに母系的な文化が営まれている~

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