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2011年01月27日

万里長城地帯に興った紅山文化が中国都市国家の先駆け

中国万里の長城地帯を調べるうちに、年末のなんでや劇場で扱った中国文明の起源を補強する論述を見つけた。
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るいネット『’10年末なんで屋劇場レポート5~中国文明の起源』より

新モンゴロイドの南下とチベット族の侵入によって母系から父系へ転換
5500年~5000年前は寒冷・乾燥化の時期であり、父系氏族社会への過渡期だと言われており、黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現した。これは新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)の南下による影響及び、タリム盆地からチベット高原に進出してきた印欧語族の遊牧部族によって押し出されて、黄河上流へ進出してきたチベット族の影響と考えられる。
黄河中下流域の龍山文化(4800年前~4000年前)にはモンゴル族の影響が、紅山文化(5400年前~4300年前)にはツングース族の影響が、黄河上流域の馬家窯文化(~4700年前)、長江上流域の三星堆文化(5000年前~3000年前)にはチベット族の影響が考えられる。
こうして、一方では父系転換と私有制が強まり、他方では、戦争圧力が強まる中、いわゆる中原地域において夏→殷→周の王朝が誕生し、中国私権文明の歴史が幕を開けることになる。

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◆蘇秉琦著・張明聲訳 『中国文明の起源』 第四章 「区系」説 (一)燕山南北長城地帯を重心とする北方 より引用

(前略)~遼寧省朝陽、内蒙古の昭烏達盟[今の赤峰市]、京津[北京・天津]地区と河北省張家口の四つの区系である。この地区は古代から農業に適し、遊牧にも適している地区であり、農業と遊牧の境界線であり、また農業と遊牧の交錯する地帯でもある。この地区の文化発展の法則性は、同一時代に異なる文化群体がここで交錯することに際立って現れている。
燕山北側の昭烏達盟と朝陽を中心とする2種の新石器文化[即ち紅山文化と富河文化]および2種の青銅器文化[即ち夏家店下層文化と夏家店上層文化]がかつて交錯し存在していた。~(中略)~
夏家店下層文化城堡の2種類の配置およびそれが持つ防禦機能と関所の設置は異なる経済文化類型、異なる民族文化伝統の人々が互いに補い、相互依存と特定の歴史条件のもとでまた互いに衝突していたことを典型的に映し出している。~(中略)~
内蒙古中南部はもう一つの農牧交錯地帯としてその文化の発展は遼西区と似ている側面もあるが、また独自の特徴をも有する。~(中略)~仰韶文化廟底溝類型のかいき図案の彩陶と紅山文化の龍鱗紋彩陶との共存も発見された。これは張家口地区が中原と北方古文化の接触する「三岔口」[3つの流れが交差する開口地]であり、また北方と中原文化交流の双方向通路でもある。~(中略)ここは中原の仰韶文化と北方の紅山文化が結合した花朶であるだけでなく、今より5000年前ほどに中原にもたらされた大変動の風源であり、オルドス青銅文化の揺り籠でもあるから、その重要性は遼西古文化に劣らない。~(中略)~
中国の中原とユーラシア大陸北部の広大な草原地区との中間接点を見つけだし、燕山南北長城地帯を重心とした北方地区が中国古文明の創出史上における特殊な地位と作用を認識させるものとなった。中国統一多民族国家の形成に関わる一連の問題は、最も集中的にこの地区に反映されており、秦の以前にそうであっただけでなく、その後、五胡乱華」から遼、金、元、明、清など、多くのクライマックスがみなこの舞台上で演出されていった。

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◆さらに『同書』 第六章 三部曲と三模式より抜粋紹介

紅山文化が今より5000年程前に率先して古国の段階に入った。祭壇、女神廟、積石冢群とロットとセットを成す玉の礼器を標識として「早くも5000年前の原始共同体氏族部落制の発展は、共同体に基づきつつ共同体を凌駕する一段高いレベルの組織形態に達した」が出現し、すなわち、早期の都市国家式の原始国家がすでに誕生したのである。しかし、これと同時代の中原地区では、紅山文化の玉の礼器に匹敵する文明遺跡は未だなお発見されていないのである。

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北方の紅山文化が、黄河中流域(中原)の仰韶文化と衝突するのが、長城地帯であり、この衝突=同類闘争圧力の上昇によって、中国の父系転換と都市国家時代が幕を開ける。
紅山文化がツングース族自身が作ったものなのか?その影響を受けたものなのかは判然としないが、これ以降にようやく「中国」という概念が形成されていくことから考えて、それ以前は主に西方と北方からやってくる異民族のぶつかる地域が中国(中原)だったのであろう。

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