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2011年01月24日

シリーズ『共同体社会と本源の心』8~共時一体感覚にささえられる文字による共認

シリーズで投稿しています『共同体社会と本源の心』、、今回で8回目になります。
前回までは「共同体の規範」について投稿されています。
これらを読むと「共同体」には「共認」が最も重要なことが分かります。
従って、共認域の広がりが共同体の大きさ、強いては共同体社会の規模を規定する、
と言っても過言ではありません。
その共認域を広げる方法として「文字」「言葉」そして「???」。
今回は「共認」について考えてみます。
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さて「共認」を広げる方法ですが、
るいネットの投稿「共時一体感覚にささえられる文字による共認1」を紹介します。

(省略)
はなし言葉に、文字が加わるともっと記憶量が増します。
時間と人数の制約を超えて記憶が保持できるようになります。
これにより、はなし言葉だけよりはるかに多くの人々に共認域を広げることが
出来ます。時間も超えられますから、継続性も確かです。
  
しかしその反面、文字による共認には弱点も持ちます。
それは、相手とつながっている実感が伴いにくいということです。
また、私権時代では、強制圧力による共認(法律の共認)、共認対象への
恒常的警戒心など本源的共認を阻害する要素の存在がそれを加速している
のも、もう一方の事実だと思います。

続いて「共時一体感覚にささえられる文字による共認2」を紹介します。

そこで、文字のなかった時代の言葉だけの共認状況を調べてみました。
アメリカインディアンの口承史(一万年間)には、文字のない時代に、彼らが
乗り越えてきた様々な外圧とそのとき獲得した知恵を次世代に伝えるために、
毎日車座になって話し合うのです。
 
それは、今で言う歴史の伝承にみられる、現象を記憶にとどめるだけの行為とは
大きく異なり、その体験の辛さ、みんなで乗り越えたときの充足感などが、
非経験者も追体験できるくらいの交歓の場であったようです。
 
その様子は下記のようであり、『そこで、一族の中には、苦労のすえに学んだ
知恵をうかつに失うことは、二度とすまいという、大きな決意が生まれた。
彼らは互いに歌いかけた。
 
われらが思いと呼ぶ(ところの)心の模様のこと、また〈火を囲む輪〉に集まる
たびに、それらの(心の)模様が新しく織り直されるかもしれないことを。
 
「一万年の旅路」より引用
 
お互いの心が共感するまで、何度も何度も歌を歌い続けていました。
そして、歌とはリズムのついた語りで、体験者みんなが共感できるまで推敲
されていました。
 
心の模様とは、言葉以前にそれぞれが感じた、対象に対する認識で、これを
互いに確認するために言葉を補足的に使っていたようです。
そして、その語りは、毎日長時間にわたり行なわれ、そのこと自体が集団の
共認を高める最大手段になっていました
 
>そこで発揮される対象把握能力が言語で説明できるレベルを超えたものだ
(つまり言語自体が限界を持っている)と考えれば、それが単なる擬似感覚
ではなく、後から科学的に検証しても正しいことが多いというシャーマニズム
の不思議さも理解できるように思います。(13951 田中素さん )
 
という田中さんの意見にもあるように、集団の統合者であるシャーマンも
上記の言葉以前の集団一体感覚を利用して共認形成を図っていたのではないか
と考えています。
 
そして、そのような一体感覚は時間を共有することで達成させるということも、
重要な条件ではないかと思っています。
この二つの要素『一体感覚』と『共時性』は、現代社会の共認に最もかけている
ものだと思います。
文字による共認の効果を最大限引き出すためにも、それを支える共時的一体感覚
の再生法を考えていく必要があると思っています。

 
 
この投稿は人類特有の観念機能や、その一部分である言語能力の真っ当な
使い方を考える上でも重要だと思います。
逆に言えば、観念や言語だけで独立した構造をもつかのような思い込みが、
倒錯的な観念思考を生み出している、ともいえると思います。
   
文字による共認の利点は時間と人数の制約を超えて、はるかに多くの人々に
共認域を広げることが出来るところです。
しかし文字による共認は相手とつながっている実感が伴いにくいという欠点が
あります。つまり追体験する行為や場が無ければ、他人事のままで解かった気に
なるという弱点を持ちます。これも一つの傍観者構造だと思います。
   
現代社会の共認に最もかけているものとして『一体感覚』と『共時性』この二つ
の要素が挙げられています。
文字が無く、言葉だけで共認を図っていた時代は言葉以前の【 全的な肯定視、
共感、安心感、充足感 】を重要視して全員が当事者となるまで語りあっていた
のです。
   
文字による弱点を克服し、さらに文字による共認の効果を最大限引き出す
(共認域を広げる)為に共時的一体感覚の再生法を考えていく必要があります。

 
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 斉唱テキスト【実現論】          実現論暗誦会風景
    
類グループで行なわれている「実現論暗誦会」はるいネットの「実現論」を
みんなで斉唱しています。
この斉唱の特徴は、皆で円陣を組んで座り、互いの声を意識しながら行う点です。
朝礼のように各人が宙をみて声をだすのではなく、互いの存在を感じて暗唱します。
 1.『周りの人の声を聞く』
 2.『みんなと声を合わせる』
 3.『(慣れてきたら)周りの人の口元を見る』
周りの声の音階やリズムに同調させるように声を発することで皆と一体になります。
「現時点の実現論暗誦会の方法」より
  
「斉唱」は共時的一体感覚の再生法と言うことになると思います。この「実現論暗誦会」について、るいネットの「暗唱会に共同体の真髄を看る」と言う投稿を紹介します。

暗唱会とは、何なのか?
色んな、表現の仕方、捉え方が出来ると思うが、ふと、“共同体”の真髄又は、
そのものなのではないかと閃いた。
 
共同体とは、何なのか?
これも、色んな、表現の仕方、捉え方が出来ると思うが、
自ら参加し、みんなと創っていく。
共認充足を誰もが求め、充足を創りだしている空間がそこにある。
全的な肯定視がそこにある。
 
こうやってみていくと、共通項がいくつも浮かび上がってくる。
お互いが委ね、いずれ、誰もが憶えられるようになり、お互いが導き手となる。
その空間に飛び込むだけで、お互いが委ね委ねあえる関係となり共認充足を
味わうことが出来、かつ成長していける。
例え、間違えようと、なかなか憶えられなくっても、否定する者は誰も居らず
温かく向い入れ導いてくれる。焦る必要も無く、安心感に包まれる。
自我を封印するなどまどろっこしいことをする必要も無い。
 
そんな空間が、共同体にはあったのではないだろうか?
翻って、私権時代はどうであっただろうか?
勝てば、官軍。相手を騙そうが、否定しようが、己が勝ち私権を獲得することが
第一課題であった。
  
委ねれば足元をすくわれる。間違えれば、問い詰めら責任を負わされる。
誰かを導くなんて私権を獲得する上では己にとってマイナスでしかなかった。
共同体・暗唱会とは、間逆の位相にある。
  
暗唱会は、何百万年とすごした過酷な外圧状況の中で、仲間(相手)を唯一の
手がかりとして生き延びてきた本源集団=共同体を蘇らせる。

 
この投稿で言うように
「実現論暗誦会」は言葉以前の全的な肯定視、共感、安心感、充足感を育み
共認回路の再生を行うものと思われます。
 
そして「実現論暗誦会」は共同体の結束を強め、文字による共認の効果を最大限
引き出す(=共認域を広げる)共時的一体感覚の再生法と言えます。
 

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