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2011年04月05日

日本人の起源を探る 5 ~遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より~

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みなさん、こんばんは。
ちょっと時間があいてしまいましたが、「日本人の起源を探る」シリーズの5回目です。
これまで、
日本人の起源を探る 1 ~シベリアからの狩猟部族(替え刃式砕石細石器)
日本人の起源を探る ② ~2万年前に南からも移住していた
日本人の起源を探る 3~スンダランド海洋航海民の誕生
日本人の起源を探る 4~縄文時代以前から複数のルートで移住してきた?
とお話をしてきました。
で、今日は、アフリカを出た人類がどのようにして拡散したのか、その経路を遺伝子から探るとこうなりますよ、という内容です。次回以降の記事では、本ブログで話題になったことがある「日本人の特異性」にも通ずるところが出てくるかもしれません。本稿はその前振りです。今後とも是非、ご覧ください。
本文に入る前に、いつものやつをお願いします。

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るいネットの投稿『遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より』から引用します。

近年、人類史の拡散経路を明らかにする上で崎谷氏のY染色体による分類が注目を浴びている。また、崎谷氏の論説によると日本は世界的にも極めて珍しい多様な人種が集まっており、日本人を見ることでアフリカから出て今日まで至る人類の分化の経路が見えてくる言及している。以下、崎谷氏の著書「DNAでたどる日本人10万年の旅」の中から、いくつかの投稿に分けて紹介していきます。

■出アフリカ三大グループが共存する日本列島の多様性の高さ
DNA多型分析を人類学に応用する事は、まずミトコンドリアDNA研究者の手で始められた。しかし、その後、長期にわかるタイムスパンの追跡にはY染色体分析が適している事がわかり、10年ほど前から多くの研究者が急速な進歩を示して、今では世界的な人類の移動の歴史がほぼ再現できるところにまでなった。
なお、ミトコンドリアDNAは母方だけの遺伝様式を、またY染色体は父方からの遺伝様式を追跡する事になるので、これらはちょうど補い合う事になる。しかし、ここでは詳細なことには立ち入る事ができないので、Y染色体によるDNA多型分析を中心に話を進める事にする。
Y染色体は大きく分けてAからRまでの18の系統に分けられる。
大別すると
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・D,E系統(出アフリカの第二グループ)
・F~Rまでの系統(出アフリカの第三グループ)
の5つのグループに分かれる。
現生人類の発祥の地アフリカに留まったA,B系統を除くと、アフリカから出ていったグループは3つの系統、つまりC系統、D系統、E~R系統に分かれる。この出アフリカ三大グループの末裔が全世界に広がっていった結果、現在の全世界的なヒト集団の分布に繋がっている。
Y染色体亜型の分布は世界各地で大きな地域的差異を生んでいる。たとえばパプアニューギニアには地域特性としてM系統やC系統が見られる。またアメリカ大陸の先住民にはQ系統が広く分布し、C系統と合わて地域特異的な亜型分布を示している。アメリカ大陸へ移住したQ系統とC系統はシベリアを経て移動したことが推定されており、シベリアには特にC系統(いわゆるアルタイ系言語集団)の高い集積がみられる。なお、シベリア北部から北ヨーロッパにかけてN系統(ウラル系言語集団)の特異的分布が見られる。ヨーロッパではR系統が高い頻度で見られ、ヨーロッパ系言語が流入する以前の先住系ヒト集団を示すようである。なお、地中海世界の南ヨーロッパ、北アフリカ、中東にはE系統の集積が見られる。
このE系統と近縁のD系統が世界的にも稀な例として日本列島とチベットに今でも高い率でみられる。
日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は高いD系統の分布だけに限らず、この出アフリカの3系統のいずれにも由来するグループ、つまりC系統、D系統、およびN系統、O系統が今でも共存していることが全世界的に見て非常に珍しい状況を生んでいる。ヨーロッパは非常にDNA多様性が高い地域ではあるが、出アフリカの二系統しかみられない。パプアニューギニア、アメリカ先住民、シベリア、インド、中国その他ほとんどの地域が出アフリカの二系統までしか見出せないのに対して、ここ日本列島では出アフリカの三系統の末裔が今でも認められる。これは歴史上の不思議である。
なぜ、日本列島には遠く隔たったヒト集団が歴史的に消滅せずに今でも存続してきたのか、あるいは存続することができたのかは、非常に興味をひく現象である。それがどのような意味をもつのか、それを考えるのが本書の課題である。

著者が指摘しているD系統は世界的には極めて少数の頻度でしか出現せず、チベット、日本にしか見られないという特徴を示しており、このD系統が縄文時代に日本に渡来している。D系統の経路は出アフリカをした後、13000年前(新石器時代への移行期)にE系統から分岐しユーラシア大陸南方を東に移動してインドー東南アジアー中国南部を経由してモンゴル高原で西と東に分かれる。モンゴルにもD系統が発見されているが、多くはD1,D3がチベットに、D2が日本列島に見られる。大陸から日本への渡来経路は中国華北から朝鮮半島を経由して北九州に入ったと推定されている。

アフリカを出た人類がどのような経路で拡散したのかを示したのが以下の地図です。(すみませんが、アメリカ大陸はありません)

これを見ると、日本人のご先祖様の渡来ルートとY染色体タイプもわかります。
・パミール高原→アルタイ山脈→バイカル湖→樺太 経由で北海道に至った「C3」
・スンダランド→東シナ海→沖縄 経由で九州に至った「C1」
・スンダランド→チベット高原→モンゴル高原→朝鮮半島 経由で九州に至った「D」(その後のD2)
・スンダランド→中国東岸→朝鮮半島 経由で九州に至った「O2b」
・スンダランド→チベット高原→モンゴル高原→朝鮮半島 経由で九州に至った「O3」
我々のご先祖様の出自は「南方系」であり、樺太経由、東シナ海(~沖縄)経由、朝鮮半島経由の3つの移動ルートから訪れたということになります。
また、引用文にもありましたが、出アフリカのY染色体のグループのうち、3系統が同時に生存しているのは、世界的に見て大変稀であるとのこと。
ウィキペディアでは・・・

現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。それを最大とし、その他では遠く西に離れたチベット人等に存続するだけである。これは後に両者を分ける広大な地域に、アジア系O系統が広く流入し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられている。奇しくも大陸で駆逐されたD系統は、日本人として現在まで長く繁栄する事になった。
なお東西に引き離されたD系統は、長い年月により東(日本)がD2、西(チベット等)がD1、D3となった。D2系統はアイヌ人・本土日本人・沖縄人の日本人集団固有であり、他地域には見られない。

と、「D2」タイプは日本人固有であると示されています。「D2」は日本人にもっとも多いタイプなので、日本列島で純粋培養されたようなY染色体タイプが今でも生き続けている、ということになります。
なぜ、日本で多様なY染色体タイプが存続しているのか? 
逆にいえば、なぜ、対地域では多用なY染色体タイプが存在しないのか?
D2タイプに象徴される世界的に珍しい事象が、日本でみられるのはなぜか?

次回はこのあたりを扱ってみたいと思います。

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comments

何十年も前、高校の生物で、単細胞が他の単細胞と同棲し始めると離れなくなって、無理やり離すと両方とも死んでしまうとの話が記憶に残っています。精子が卵細胞に入りこむ=受精も同じ理屈ですかと聞きそびれて今日に至っています。遠い遠いあの頃が青春。

>佐々木さん
かなり前のことをよくご記憶されているのですね。よほどの感銘があったのでしょうか。
精子と卵子、つまり雌雄に分化して受精するというシステムは、単細胞が他の単細胞と接合して遺伝子を交換するしくみと同じ理由だと考えられます。いずれも外部環境の変化に適応するための変異可能性を獲得するためなんだと思います。さらに単細胞から進化した点として、受精というDNAの変異可能性の獲得と合わせて、「無理やり離すと両方とも死んでしまう」といった不安定さを解消して安定的に生存できるようにもなったのだと思われます。このあたりは次回の記事でご紹介する予定ですのでお楽しみに!

  • TripleH
  • 2012年1月26日 22:57

サッカースパイク ミズノ

共同体社会と人類婚姻史 | 【共同体社会の原点(集団)を追求する】1~原初生物は群れ(集団)そのものが生命体だった~

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