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2011年07月18日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」11~縄文人は南方モンゴロイドの気質を温存している~

前回は、中国初の統一国家【秦】の成立の過程で、脱出した原中国人について見てきました。
今回は、日本に戻り、縄文人の起源から縄文人の気質とはどういったものか?縄文人から始まった日本人の可能性について考察してみようと思います。
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(↑クリックすると大きくなります。)
Y染色体による系統分布図を見て頂いて分かるように、現在の日本には様々なY染色体系統の人種が共存共栄していることが分かります。しかし、隣国でありながら朝鮮や中国は人種に偏りがあります。なぜこのような系統分布になったのか?
この日本列島における多様な系統分布は世界的にも稀なようです。このように様々な人種の共存共栄が可能だったのはなぜか?今日は、そのあたりを考えてみたいと思います。
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■日本人の起源(モンゴロイドの日本列島上陸史)
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(↑クリックすると大きくなります。)
これまでシリーズで展開してきた「モンゴロイドの歴史」を踏まえて、日本人、縄文人の起源について考えてみます。まずは日本列島への上陸した人種の年代的な流れを見てみたいと思います。
●5.0万年前~1.5万年前
原モンゴロイドがスンダランドやオーストラリアや中国南部に到達。それぞれスンダ・モンゴロイド、オーストラロイド、シナ・モンゴロイドになります。
その後、C1スンダ・モンゴロイドが波状的に南から日本列島に漂着しました。これが日本列島に入ってきた最初の南方モンゴロイドです。
●3万年前~ <寒冷期>
寒冷期により日本列島が草原化し、大型哺乳類が日本列島へ上陸してきます。そして、その大型哺乳類を追って、北方(バイカル湖)にいたモンゴロイドが樺太を経由して日本列島に上陸してきます。
(40万年前以降は、対馬海峡が陸地化した時期はないとする説が主力。1.2万年前には、宗谷海峡も海水面下に。)
●2.1万年前~1.8万年前 <最終氷期極寒期>
C3中亜モンゴロイドが南下してきます。樺太→北海道を通って、日本列島に上陸。
●1.4万年前~6000年前 <温暖化>→スンダランドが水没し始める
C1スンダ・モンゴロイドが拡散し、一部が海流に乗って日本列島に漂着。
●1.3万年前~1.15万年前 ヤンガー・ドリアス期
モンゴル高原のDスンダ・モンゴロイド(D2)が、朝鮮半島や北海道を通って日本列島に上陸。
⇒縄文人の主構成員に。D2スンダ:C1スンダ:C3中亜=5:1:1(北方モンゴロイドは消滅?)
●3000年前~(弥生時代が始まる) 
中国大陸の戦乱が激しくなる(春秋戦国時代)
 呉越が滅亡し、江南人(O2b)が南朝鮮や日本列島に逃亡⇒縄文人に同化し、早期弥生人に。(敗軍か?難民か?敗軍なら東日本漂着の可能性も)
●2200年前~ 
秦の始皇帝支配の下で、O2b倭人(徐福)が南朝鮮と日本列島に渡来(男女児童3000人、30隻の大船団、最先端の軍備と職工と穀物種)。
(徐福は、四国、紀州、伊豆、青森、出雲、舞鶴、越後、etc.日本各地に分散渡来→関東に大和に匹敵する日本国?) 
⇒縄文人に同化し、弥生人に(O2b倭人が支配)。
 
●1900年前~
高句麗からの圧力を受け、南朝鮮から亡命民(O2b)が日本列島へ
●1700年前~(古墳時代が始まる) 
朝鮮半島の戦乱が激しさを増し、高句麗、百済、任那、新羅の敗軍の王将O3eが日本列島に渡来。先住の弥生の首長と攻防を重ねながら最後は手を組んで支配階級となる。
 ⇒混血して、現日本人の基層が成立。
■共存共栄を可能にした南方モンゴロイドの気質とは?
上記のように、日本列島には年代に応じて様々な人種が上陸しています。まず、注目すべきは、日本には様々なタイプの遺伝子タイプが現在も共に生き残って共存共栄しているということだと思います。
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(↑クリックすると大きくなります。)
主力はD2タイプですが、原中国人の流れを汲むO1、O2も新モンゴロイドO3もいますし、原モンゴロイドに近いC1タイプもいれば、現在のシベリアに多く存在するC3タイプもいます。
まさに人種の坩堝であり、ユーラシア大陸の最東端という地理的条件もありますが、共存共栄しているそのあり様は、受け入れ体質で、共同性が強く私有意識が少なく、母系社会のまま、源郷スンダランドで形成された南方モンゴロイドの気質を強く残しているためだといえるのでしょう。
■多様性は日本の可能性
日本は動植物も生物多様性に富んでおり、南北に長く四季の変化にとんだ、その豊かな環境が、多様な民族の共存共栄を可能としているのではないでしょうか。この多様性は日本の可能性でもあると言えるではないでしょうか。また遺伝子的に多様な人々が交わることが、より高い適応可能性に向けて変化していく可能性の基盤をなしているという点も日本人の可能性といえるでしょう。
もう少し、詳しく見ていくと、主流をなすD2タイプが縄文人の中核をなしているものと考えられます。またO1、O2タイプは倭人と呼ばれる中国南方の稲作文化を日本に持ち込んだ人たちであると考えられます。そしてO3タイプは所謂、天孫族といわれる北方騎馬民族系の人たちです。
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■縄文人の主流は南方モンゴロイド気質
最近では、ブリヤート人と日本人の共通遺伝子C3に注目した日本人北方起源説が注目を集めていますが、この説は一面的だといわざるをえません。縄文早期にC3タイプが日本に入ってきたことは確かですが、縄文時代の中心勢力はD2勢力であり、彼らはモンゴル高原周りで入ってきているとはいえ、モンゴル高原に定着していた時期は温暖期であり、ほとんど北方適応することなく日本に入ってきている
つまり、「モンゴロイドの歴史」7でみた、厳しい北方適応により私有制を伴う父系氏族社会へと移行し、牧畜からの略奪性を持つ、現代の中国の大半をしめる新モンゴロイドO3は1900年前まで入ってきていません。
従って、縄文人の主流は、共同体意識の強く温和な南方モンゴロイド気質であるといっていいでしょう。
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参考記事:
『モンゴロイドの歴史⑥ 日本人は、どこから来たのか?』
『’10年末なんで屋劇場レポート4~縄文人の起源』
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次回は、日本語はどのようにして成立したのか?をお届けします。

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  • 匿名
  • 2012年8月15日 08:52

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