2011年08月09日
◆「アジア諸国の民族の実態」②【ベトナム】~侵略・戦争によって共同体・母権制が破壊されなかった国
「アジア諸国の民族の実態」2回目はベトナムです。
1回目は「アジア諸国の民族の実態」①【マレーシア】を参照して下さい。
近年の日本とベトナムの関係は、投資や企業進出という形で話題になる事が多いと思います。
1997 年のアジア通貨危機の影響で、海外投資が急減したが、 2003 年から再び進出は増え、2006 年の時点で 555 社までになっているらしい。
企業進出する上で重要となってくるのが、その国の政治経済状況や民族性・価値観です。
特に現地に進出し、現地人を社員として採用する時は民族性・価値観が重要になってきます。
そこでまず、彼らの民族性・価値観を探る上で、1994年からベトナムに渡って、仕事をしている人の「ベトナム人とスムーズに仕事をする10か条」から紹介したいと思います。
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■ベトナム人の民族性
「ベトナム人とスムーズに仕事をする10か条 三菱商事株式会社 業務部アジア大洋州チーム 佐橋 拓哉」より
Ⅰ.ベトナム人とスムーズに仕事をする10か条
1.ベトナム人は若い
国民性に踏み入る前に、ベトナムの人口と平均年齢を確認する。2003年のベトナムの人口は8,131万人でASEANではインドネシアに続いて第2位、世界で見ても13位にランクされる人口大国である。また、ベトナム戦争の戦後世代(1975年~)、つまり30歳未満の人口が国民の6割を占める若い国である。ベトナムの中心年齢は24.9歳と、日本より17歳以上も若く(同42.3歳)、あの中国よりも7歳若い(同31.8歳)。因みに筆者は今年35歳で、日本では若造と見られるが、ベトナムに行けば上位40%に入りすっかりオジサン扱いであることからも、ベトナムの若さが見て取れる。若齢比率の高さは外資企業に取り生産人口および消費者として魅力的であり、ベトナムが坂の上の雲を目指し疾走を続ける最大の原動力となっている。
2.4Kの国民性
ベトナム人の国民性は4つのKで示される。器用であること、向学心旺盛であること、近視眼、ついでにカカア天下である。
① 器用
ベトナム人の手先の器用さは、縫製品や着物の手縫いなどで、不良品率が1%未満と極めて低いことが知られている。ものづくりの分野でも、自動車メーカーが全世界の現地社員を対象にした技術コンテストを開くと、必ず上位にベトナム人従業員が入るとの事である。また、ベトナム人は記憶力に優れており、OA・精密機器メーカーの流れ作業でも、一人で担当する部品数が周辺国に較べ多いのが特徴である。
② 向学心旺盛
儒教の影響が強いため、ベトナム人は教育熱心で新しい知識を貪欲に吸収する。老いも若きも習い事が大好きで、学校や仕事が終ると英語やOAを学びにいそいそと通う。この10年で都市部では驚くほど英語が通じるようになり、観光客の多い土産物屋では日本語や中国語でもコミュニケーションが取れるようになってきた。
③ 近視眼
端的に言うと、ベトナム人の金銭感覚は「明日の100万円より今日の100円」である。約30年にわたり戦争を続け、今日を生きるか死ぬかの生活を続けた負の遺産かもしれないが、中長期的な投資の話をしてもピンと来ないけれど、期近な現金商売の話をすると熱心に身を乗り出す傾向が強い。身近な例では外国人が青空市場に行って何か商品を買おうとすると、思いっきり吹っかけられる。2~3倍は当たり前で酷いときには10倍にもなり、客が逃げてしまっても市場の売り子は一向に気にしない。これは青空市場に限らず、官公庁や国営企業の一部に依然として蔓延っている。元来、頭の回転の速い人達なので少し頭をひねれば、「損して得取れ」の精神で最初はあまり儲からなくても、常連になって貰うことで中長期的に儲ける仕組みを考えつきそうなものだが、ベトナム人はついつい近視眼で物事を捉えてしまう傾向がある。改善していただきたいものである。
④ カカア天下
ベトナム社会を理解する上で大切なキーワードがカカア天下である。相次ぐ戦争で男手を戦場に取られ女性が銃後を守った歴史の賜物だろうが、ベトナム女性は強く男性はこぞって恐妻家である。ベトナムはアジアでも有数の美人の産地だが、美しいバラには棘があるように、笑顔の下にはすさまじい嫉妬心が隠されている。「ベトナムには辛くない唐辛子はない、旦那に嫉妬しない妻はいない」という諺がある位で、旦那の浮気が発覚した際の妻の怒り心頭ぶりは凄まじく、定期的に阿部定事件が発生し地元紙の社会面を賑わせる、といった具合である。
~以下省略
平均年齢が若く、近視眼的な民族性は、近年の戦争の影響が未だに色濃く残っているためだと思われますが、「かかあ天下」は、父権社会と言われるベトナムにおいて、少し不思議な感じがします。
右図にあるようにベトナムは東南アジアの中でも唯一「儒教・仏教・道教」の混成宗教で、日本に近い宗教観を持っている国です。
儒教の影響もあって、父権社会と言われていますが、ベトナム戦争時の状況を調べてみると実態はかなり違うようです。
■共同体&母権社会が破壊されなかったベトナム「書評空間」より
『ベトナム女性史-フランス植民地時代からベトナム戦争まで』レ・ティ・ニャム・トゥエット著、藤目ゆき監修、片山須美子編訳(明石書店)
本格的な総力戦となった第一次世界大戦中に、軍需工業などにも女性が動員され、戦後女性の社会進出が顕著になった。ベトナムの対フランス、対アメリカの戦争は、第一次世界大戦時にヨーロッパが体験した総力戦の比ではなかった。それだけ、女性が担った役割は大きかった。悲しいことに、ベトナム女性の「活躍」の背景には、悲惨な戦争があったことを、まず心得ておかなければならないだろう。
しかし、それだけではないことを、著者は「日本語版への序」で、つぎのように説明している。「ベトナム社会の歴史のすべての段階におけるジェンダーの特徴を分析した資料から、ベトナムは東南アジアの各文化と同様に、世界の他の多くの地域と比べて明らかな相違があるということができます。それは女性の相対的に高い地位です。この相違点の文化的な特徴は、対立性よりも相補性があることで、権力はジェンダー関係よりも、社会や家庭や年齢のヒエラルキー関係に基礎をおいています」。
「ベトナムの女性の、社会と家庭での地位を決定する要素は、まさに女性の重要な役割にあります。女性たちは、文化のすべての様式-精神文化、物質文化、社会と家庭の文化-を含む民族文化を守り、発展させた人々です」。「この相違点は以下に述べるいくつもの原因から生じています」。「第一に、外国の侵略、とりわけ同化に対抗しようとする民族の抵抗が、死守といえるような状況を、特に村単位で作り出したことです。したがって、母権制の時期から女性が建設してきた最初の貴重な伝統が、ベトナムでは他の多くの場所におけるように除去されることがなく、絶えることのない伝統になったのです」。
~以下省略
ベトナム戦争でアメリカ相手に負けなかったのは有名な話ですが、その原動力は母権制の村落共同体だったようです。
ベトナムはアメリカに戦争を仕掛けられる前にもフランスの植民地時代もあったのですが、それでも長い間、母権制の村落共同体は崩れずに残っています。
この強かな共同体の出自を歴史を遡って追ってみると、かなり日本と近似性があることが解ります。
現在のベトナム国民の96%占める「キン族」は、別名「越族」と言われ中国春秋時代(日本弥生時代)に長江南部から日本・韓国、ベトナムに渡った民族のようです。
この民族がもたらした風習(稲作、断髪、鯨面(入墨))は、日本・ベトナムに残っています。
民族学伝承ひろいあげ辞典「倭人と南越人1 百越・南越国はベトナム(越南)北部王朝になった・考古学から」より
■百越
「百越(ひゃくえつ)または越族(えつぞく)は、古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナムにいたる広大な地域に住んでいた、越諸族の総称。越、越人、粤(えつ)とも呼ぶ。
~中略~
周代の春秋時代には、呉や越の国を構成する。秦の始皇帝の中国統一後は、その帝国の支配下に置かれた。漢代には、2つの越の国が確認できる。1つは中国南部、すなわち現在の広東省、広西、ベトナムにかけて存在した南越、もう1つは、中国の閩江(福建省の川)周辺の閩越(びんえつ)である。この時代、中国の南方を占めた越人は、北方民族による力の支配とぶつかり、しばしば反乱がおきている。チュン姉妹の乱は、現代に伝わる当時の反乱の1つである。
その後は、徐々に北方からの人々の南下とともに、越人の一部は彼らと混じり、また他の一部は山岳の高地や丘陵地帯などに移り貧しく厳しい暮らしに身を投じる人々に分かれるなど、越人の生活圏には変化が起こっていく。北部ベトナムは中国王朝の支配が後退すると、939年に最初の民族王朝である呉朝が呉権により成立している。」
「文化面では、稲作、断髪、鯨面(入墨)など、百越と倭人の類似点が中国の歴史書に見受けられる。現代の中国では廃れたなれずし(熟鮓)は、百越の間にも存在しており、古い時代に長江下流域から日本に伝播したと考えられている。」
~以下省略
上記のように弥生時代に日本とベトナムは同じ所から民族が渡来しています。
この共通性が、同じ宗教観・価値観を生み出している一因ではないでしょうか。
また、近代まで共同体が破壊されずに残っている所も共通です。
一方、日本は戦後、立ち直り貧困を克服しましたが、ベトナムは未だに戦争の爪痕を残し、未だに貧困にあえいでいます。
将来、日本とベトナムは良きパートナーとなることは間違いないと思いますが、現在起こりつつある経済破局をベトナムが乗り切れるどうか最も大きな局面に差し掛かっていると思います。
- posted by moihs at : 2011年08月09日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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comments
まとめ部分で、
>原始仏教が現実を否定し観念上で充足する為の道具である
とおっしゃってますが、仏教の経典を少しでも読んだことがあるのでしょうか?
読んでみると、そこに書いてあるのは、釈迦が現実に苦悩している人に対して、それを乗り越える方法を、具体的に比喩を交えて説き、それを受けて、現実の苦悩を乗り越えていく人々の姿です。
まして、釈迦の言葉には、死んで仏になるなんていう考え方は出てきません。
現実否定に堕してしまったのは、密教化及び日本に入って来てからが特に顕著です。「死んで仏になる」、「死んで浄土へ行く」という思想は日本ならではです。
日本にこそ、現実を否定する思想が広まる土壌があったと言えるのではないでしょうか。
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