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2011年08月08日

歴史に学ぶ男女関係1 ~古代の対偶婚(1)~

現在、男女関係はプライベートなこととして、周りのみんなとは切り離されて存在していますが(この延長に密室家庭がある)、過去からずっとそうだったわけではなく、むしろ人類史的には家集団や氏族共同体といった集団の中に、男女関係も家族も存在していました。
今日から新シリーズ『歴史に学ぶ男女関係』を始めますが、「男女関係もみんな=集団の中にあった」をテーマに読み解きたいと考えています。
シリーズは下記の3部構成とし、8回前後の予定です。
第1部 古代の対偶婚
第2部 中世の家父長婚
第3部 庶民層の婚姻習俗~阿波地方の聞き取り調査を中心に~
では今日は、「第1部 古代の対偶婚」の第1回として、日本古代家族と婚姻形態を概観します。
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とくに前者は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の理論的枠組は一部誤りあるものの基本的に正しく、日本古代社会においても検証できることを証明する目的で執筆されたもので、
所有と経営の経済関係が家族を基本的に規定するとのエンゲルス説は正しいが、母系→父系の移行は現在では、母系・双系・非家父長的父系→家父長制下の父系と解するのが正しい」とする。
よって、
共有・共有下の占有           →私有
共同体・共同体下の非家父長制家族→家父長制家族
集団婚・対偶婚              →単婚(家父長婚)
への移行は不可分の関係にあるが、
具体的形態については多様な形態をとりえ、その社会の出自規制、前段階の具体的形態の規制性等のさまざまの要因により決定される、とする。
では、多様な形態の一つである日本古代家族の所有と経営、および具体的形態(血縁により結合した共住共食単位)がどのようであったかを見ます。
1 日本古代の家族
(1)所有と経営
日本古代における所有形態の、他の古代社会と比べての著しい特徴は、女性が男性同様に所有主体になりえた点である。所有するだけでなく、当然管理・運営権ももつ。
また全階層を通じて男女個人所有だが、なんの制約もない現在の私有と異なり、共同体ないし親族集団による所有に制約されていた
氏を形成することで結集した豪貴族層が氏寺等を中心として氏の財産を結集していた状況や、
一般農民層においても、国家的土地所有の基礎に存在したと推定される共同体的土地所有や、
田地売買文書で専買人と並び親族が相売人として署名している事実から推測される親族集団による土地所有から、
男女個人所有とは、これらのより上位の集団による重層的共有下の占有、といえるだろう
このような所有のうえにどのような農業経営が行われたか?
農民層の経営は、共同体支配者層に依存して初めて農業経営が可能であるような非自立的なもので、自己所有産をもちよった夫と妻が行っていた。
豪族層においても、自己所有産をもちよった夫妻が双方の所有を合わせたものを基礎として経営したが、その特徴は夫妻たる家長・家室の両者により遂行された点で、男女ペアによる経営方式であった。
貴族層の経営の特徴は、個人単位の所有のうえに展開される個人単位の経営たる点にあった。
国家給付(位封、位禄、位田)受給資格や家政機関の公置資格は、男女個人に対して与えられたもので、平安貴族にみられる夫婦間の政所別置の事実は、8世紀の男女個人単位の経営の実態が後代まで存続した例と考えられる。
このように8、9世紀の日本にはいまだ家父長制家族が成立していないが、では当時の非家父長制家族はどのような形態であったか?
(2)血縁により結ばれた共住共食の単位
当時の規定的血縁紐帯が母系であり、『万葉集』で柿本人麿が亡妻と共住した「…妹が木枕」の家が妻の里にあった事実、『日本霊異記』(平安時代初期に作られた日本で最初の仏教説話集)の妻方居住婚例等から、8世紀に妻方居住婚が存在したのは明確である。
8、9世紀の全階層を通じての母系紐帯の存在、なかでも8世紀の農民層についてのそれは、京畿計帳に記入された逃亡註記から証明できる。
現実に逃亡した集団の血縁紐帯は、擬制的に父系で編成された戸と異なり、実際に機能した血縁紐帯を反映していると考えられるが、そこでは母-男女、姉-妹の紐帯が圧倒的に強く、とくに成人(既婚)姉妹の結合による血縁集団の逃亡例は多く存するのに対し、成人兄弟例のそれは皆無である。
次に父系原理による戸の編成から落ちこぼれた破片的奇口グループを、現実のあり方を反映したものとして分析すると、そこでは母-女紐帯が圧倒的に多いのみならず、これら母娘の結合が成人(既婚)者間で成立している場合が多いのに対し、父-男の結合では例が皆無である。
この事実は、具体的家族形態の原理が成人姉妹および成人母娘の結合は許容するが、成人兄弟、成人父・息子のそれは排除すること、すなわち母系合同家族ないし母系直系家族は存在しうるが、父系合同家族ないし父系直系家族は存在の余地のないことを示している。
2 日本古代の婚姻
(1)婚姻居住規制からみた婚姻
8~11世紀中葉の婚姻居住規制は、(特定条件下での夫方居住を別にすれば)通いを経て→妻方居住→新処居住が一般的で、初発からの新処居住が併存した。
(2)婚姻の歴史的発展段階
プレA共同体→A共同体下の非自立的家族→B家父長制家族  →C個別家族
a集団婚 → b対偶婚           →c単婚(家父長婚) →c単婚(一夫一婦制)
a集団婚の存在は論理的に復元されたものであり、実在する最も古い婚姻形態はb対偶婚である。
このb対偶婚は、
①本人同士の合意により気の向いた間だけ同棲する、離合の容易な婚姻であるとともに、
②当面の結婚相手の性の独占が未成立で、性は当面の結婚相手以外の他の異性にも閉ざされていなかった。
貴族層においても10世紀以前には結婚相手(特に妻)の性の独占が未成立であった点は、当時いまだ姦通の観念が成立せず、みそか男(間男)が史料に現れるのは10世紀以降である事実から言える。
12世紀初頭には一般庶民にまで、夫による妻の性の独占化・私物化が定着する。
日本古代に対偶婚を現出させた規定的要因は、共有下での男女個人所有という所有形態で、男女個人が自己産の所有主体であったからこそ気が合えば結婚し、いやになれば離婚できたのである。
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次回は、古代の男女関係の詳細を見ることにします。お楽しみに~

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