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2019年09月08日

逆境進化説(弱者進化論)1~河口→川へと追いやられた硬骨魚

生物史では強者が先に滅び、敗者の方が生き残ってきた。その象徴が地上への進出である。最初に上陸した脊椎動物は原始両生類である。
以下、 『THE21 ONLINE』「敗者こそが生命史をつむいできた」の要約。出典は稲垣栄洋『敗者の生命史38億年』PHP研究所

【1】巨大オウムガイと6メートルの甲冑魚が支配する世界

古生代、海を支配していたのは、巨大なオウムガイであった。魚たちは、オウムガイの餌食になっていた。また魚の中にも、頭部や胸部を厚い骨の板で武装した甲冑魚と呼ばれる種類が出現した。彼らの最大の武器は「あご」である。それまでの魚は、現在のヤツメウナギのようにあごを持たない魚であり、甲冑魚は力強いあごで捕えた魚をかみ砕く。生態系の頂点に立った甲冑魚の中には、6メートルを超えるような巨大な体で悠々と泳ぐものもいた。
次いで、サメのような大型の軟骨魚類が現れ、甲冑魚に代わって海の王者の地位を奪った。

【2】過酷な汽水域に追いやられた弱者たち
弱い魚たちは、川の河口の汽水域に追いやられた。海水と淡水が混じる汽水域は、浸透圧が異なるため、海に棲む天敵も追ってくることはできないからである。しかし、そこは海水魚こが生存できない過酷な環境である。幾たび挑戦しても、多くの魚たちは汽水域の環境に適応できずに死滅していった。

汽水域で最初に問題となるのは浸透圧である。海中で進化した生物の細胞は、海の中の塩分濃度と同程度の浸透圧になっている。ところが、汽水域では細胞内の塩分濃度が体外より高いので、水が細胞の中へ侵入する。そこで魚たちは塩分濃度の薄い水が体内に入るのを防ぐために、うろこで身を守るようになった。さらに、外から入ってきた淡水を体外に排出し、体内の塩分濃度を一定にするために腎臓を発達させた。

それだけではない。海の中には生命活動を維持するためのカルシウムなどのミネラル分が豊富にあるが、汽水域ではミネラル分が足りない。そこで魚たちは体内にミネラルを蓄積するための貯蔵施設として骨を使った。こうして生まれたのが、骨を充実させた硬骨魚である。こうして、魚たちは逆境を乗り越え、汽水域への進出を果たした。

【3】汽水域から川や海へ追いやられた硬骨魚たち
しかし、汽水域に逃れた弱い魚たちの中にも強者、弱者が存在し、より強い魚が生態系の上位に陣取る。より弱い魚たちは、より塩分濃度の薄い川の河口へと侵入を始める。しかし、そこでも弱肉強食の世界は築かれる。さらに弱い弱者中の弱者は、天敵に追われながら川の上流へと新天地を求めていった。

中には、同じ食われるのであれば、海も同じだとばかりに、再び海へと戻った種も現れた。
浅瀬で泳ぎ回る敏捷性を発達させていた魚たちは、海に戻ってからも、サメなどから身を守る泳力を身につけていたため、海でも適応できたのである。こうして、汽水域に追いやられて進化を遂げた硬骨魚の中から、川や湖を棲みかとする淡水魚と、海で暮らす海水魚とが分かれてゆく。サケやマスなどが、川を遡って産卵をするのは、彼らが淡水を起源とするからである。

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