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2008年05月04日

南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~母系社会の変容と崩壊

『南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~ヒンドゥー父系社会の中の母系社会』に続き、ナーヤルの母系社会のの変容・崩壊過程、その背景に迫ってみます。
アーリア人:ナンブーディリを頂点とする身分序列による私権社会体制の中で、数世紀にわたって機能してきたドラヴィド人:ナーヤルの<母系社会>は、イギリス支配下で大きく動揺し、最終的にインド独立後、1976年の「ケーララ合同家族制度(廃止)法」によって法的には消滅しました。
18世紀の終わりから他のインド同様ケーララが植民地としてイギリス支配下に入ると、ナーヤル<母系社会>を取り巻く状況は大きく変化しはじめます。
・政治的変化によって生じた急激な人口増加
・市場経済の導入による収入の増大
・ギリスが導入した近代的な司法制度により、サンバンダム婚(妻問い婚)は正式な結婚から除外される
・女性の「貞節」を重んじる西洋価値観の流入(逆に開かれた性に対する否定意識の発現)
・「核家族」という新しい家族像の浸透
など。
それらにより、ナーヤルの母系大家族:タラワードがどのように変容し崩壊していったのか?
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ナーヤルの母系大家族:タラワードの成立にとって必須の条件をあげると、次の5点になります。
1.母系による血縁集団
2.全成員の共同生活
3.最年長の男子を長とする家族集団
4.財産の共有
5.祭祀共同体
まず、初めに崩れだすのは「2.共同生活」。タラワードの一つの建物に収容できなくなった人口は、それぞれより近い血縁関係によるグループに分かれて、タラワードから独立した建物に住み、食生活を個別化させる。さらにそれが進展すると、分散したそれぞれの土地に住み、収入もタラワードから独立するようになり、独立した経済を持つようになる。
次に、「1.母系による血縁集団」の条件が崩れる。タラワードは母系成員だけを収容すべきであったが、成人男子全員の妻子をタラワードに居住させる習慣が顕著になっていく。
これらの二つの条件が崩れることで、共有財産の管理を担っていたカーラナヴアン(最年長の男性)の家長的立場を困難とさせ、アナンダラヴアン(カーラナヴアン以外の成員)との不和を招き、一方、カーラナヴアンによる家長権乱用という弊害ももたらした。
こうした傾向に拍車をかけたのが、個人所得を持つナーヤルの増加で、それがさらに夫婦を中心とする新しい核家族を生み、タラワードから個人が分離し、独立した生活を営む様になる。
このような状況は、「4.財産の共有」の意義をなくすとともに、カーラナヴアンの機能を失わせ、「1.母系による血縁集団」「2.共同生活」の崩壊と重なり、ついにタラワード共有財産は個人単位による分割を推し進める。
それらの条件の消失により「3.最年長の男子を長とする家族集団」が消滅することで、タラワード:母系大家族制は消滅した。ただし、「5.祭祀共同体」としての機能だけは現状においても維持されている。
このタラワード:母系大家族制の崩壊過程は、同時に全インドで進行した父系大家族制度の崩壊と、本質的にその原因と過程は同じです。



イギリス支配のもと導入された近代思想は、「進歩」「発展」のあくなき追求を善とし、そうした思想潮流において母系制が文明の低次元としてみなされたとき、西洋的な近代思想の洗礼を受けたナーヤル知識層にとっては、<母系社会>とは脱却すべき過去の制度となりました。
夫・父を中核にすえた夫婦と子どもからなる核家族モデル、および、ヴィクトリア朝的なモラルにも、オーソドックスなヒンドゥーの理想にも共通した、近代的な女性の性的規範が浸透する状況下、母系社会の本源的な性的規範は顧みられることはありませんでした。
タラワード:母系大家族制の変容と崩壊の過程とは、ナーヤルの人々が近代思想や西洋的価値観を受容し、私権(自分のお金や地位)に収束していく過程に他なりません。
現在、ケーララはインドの中でも低い経済成長率を示す一方で、識字率、幼児死亡率、出生率、平均余命などさまざまな社会指標において、に近く、インドのなかで特殊な数値を示しています。その様子は「ケーララ・モデル」と称され、国際的にも高い評価を受けています。一方、ケーララは自殺率が高く、インド平均は10万人あたり10人に対して、ケーララでは31.5人で3倍以上も高いようです。
現在のケーララの置かれた状況の背景には、20世紀半ばまで<母系社会>という基盤が存在したという事実、そして市場社会の拡大とともに<母系社会>を失ったという事実、が大きく係わっているように思います。(@さいこう)
参考文献
「ナヤール母系大家族制度の崩壊について」中根千枝
「世界歴史体系 南アジア史3 南インド」(辛島昇・坂田貞二編 山川出版社)

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yidakiさん、こんにちは。
>主食は常の食物だから、握りしめた石は常にもっていなければなりません。
は、ちょっと???です。
捕食者が活動しない炎天下の昼間あっても、おそらくサバンナが危険であることに変わりなかったと思います。
だから、危険なサバンナで骨を食べていたとは考えにくく、サバンナで骨を拾ったとしても、とりあえず安全な洞窟に持ち帰ってそこで骨をたべた、と考える方が自然ではないでしょうか。
だとすれば、必ずしも石を常に持っている必要はない。ということになるのですが・・・いかがでしょうか?

  • さいこう
  • 2008年8月17日 14:06

ついに直立二足歩行の謎に辿り着きましたね。
常に石を握りしめていたとの説は結構納得です。
ただ、さいこうさんのコメントにもあるように、移動食を得るためというより、持ち帰るために骨を小さく打ち砕いたり、武器にもなるから、という気がしています。
続きを楽しみにしています。

  • 大杉
  • 2008年8月17日 18:14

>さいこうさん
コメントどうもです。
>主食は常の食物だから、握りしめた石は常にもっていなければなりません。
ですが、大杉さんが推測されているように、握り閉めた石は、時として武器としても活用したのではないか?と著者の島泰三さんも考えておられるようです。
炎天下とはいえ、さいこうさんのおっしゃるように常に危険はつき物です。石を投げて身を守るケースも考えられるのではないでしょうか?
そして骨を洞窟に運ぶためにも、直立二足歩行が必要であると考えられますよね!

  • yidaki
  • 2008年8月18日 10:51

>大杉さん
いつもコメントありがとうございます。
島泰三さんも著書の中で、書かれていますが、大杉さんの推測のように、私も当時のサバンナの外圧状況をイメージすると、常に石を持っていたと考えられるのではないかと感じています。
「わらをもつかむ」という言葉もありますが、当時の状況は過酷なものだったのでしょう。

  • yidaki
  • 2008年8月18日 11:12

>さいこうさん
>大杉さん
追記ですが、島泰三さんの説によれば、サバンナの落ちている骨には大きいものが多く、そのまま持ち帰るのは難しく、その場で砕いたり、ばらすためにも石は常用品として活用していたのではないかと推測されているようです。
あと、ご意見を伺いたいのですが、
>骨を主食として生存する為に二足歩行に移行していった
という点においては、どう思われますか?

  • yidaki
  • 2008年8月18日 11:44

>>骨を主食として生存する為に二足歩行に移行していった
>という点においては、どう思われますか?
骨を主食に⇒二足歩行へ の間には何かが必要ですね。
「小さく打ち砕くために石を持つ必要」だけでは不足しており(ナックルウォークでも可)、
「持ち帰るために手を自由にする必要」までいってようやくつながるかなと思います。
いずれにしろ「持ち帰らなければならない」理由が非常に重要になります。
私はもっとシンプルに「武器を手に持って自由に振り回せる必要」が第一かな、と考えています。次に「持ち帰り」かな。

  • 大杉
  • 2008年8月19日 01:28

> > 骨を主食として生存する為に二足歩行に移行していった
> という点においては、どう思われますか?
確かに人類が二足歩行を発達させた理由としては十分考えられるように思います。面白くなってきましたが、どこか引っかかります。そこで改めて整理してみると、
> 人類の足の指が拇指対抗性でないのは突然変異という説もありますが、むしろ樹上での生存闘争に敗れ、唯一の生存の可能性として見つけたニッチ(生態的地位)が骨で、その骨を主食として生存する為に二足歩行に移行していったのが人類なのではないでしょうか?
とありますが、
【1】木に登れなくなくなった(拇指対向性を失った)
【2】二足歩行に移行した
を考えてみると、
・【2】の出来事は必ずしも【1】を否定するものではない。
・【2】から拇指対向性を失った必然性は見つけられない。(二足歩行をするサルは拇指対向性を維持している)
と考えられます。とすると、
まず【1】がおこり、それ故に【2】が発達した、のではないでしょうか?
サルの二足歩行を見ると人類の二足歩行に繋がっていくように思えますが、実際は、サルと人類の足の形態は全くの別物。というのがその理由なんですが、、、
サルの特徴が木に登れることであれば、初期人類の特徴は木に登れないことだと思います。では、なぜ木に登れないのか?も、二足歩行への移行と一緒に解明する必要があるのかもしれませんね。

  • さいこう
  • 2008年8月19日 20:15

>大杉さん
>さいこうさん
なるほど!その辺りは非常に解明するのが難しいポイントですね。まだ推測するには情報が不足しています。
今後いろんな事象を調べていく中で、論理整合していければと思います。
アドバイスありがとうございました。\( ^o^ )/

  • yidaki
  • 2008年8月20日 21:53

共同体社会と人類婚姻史 | 初期人類は骨を食べていた!vol.7

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