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2009年01月18日

骨が語る古代の家族と社会4 古墳時代

骨が語る古代の家族と社会3 弥生時代に続いて、いよいよ古墳時代です。田中良之著『骨が語る古代の家族-親族と社会』(2008年)より。
古墳時代の親族関係は、以下のように3段階にわたって変化している。なお、田中氏の分析事例はほとんどが中小古墳なので(首長墳ではない)、基本的には被支配層の集落墓地としてよいと思われます。
1 古墳時代前半期(3~5世紀代) 基本モデルⅠ=キョウダイ

2 古墳時代中期(5世紀後半~6世紀前半) 基本モデルⅡ=父とその子

3 古墳時代後期(6世紀前半~) 基本モデルⅢ=夫婦とその子
初めて夫婦が同じ墓に葬られるようになる。しかし、第二世代は基本モデルⅡのままであり、それぞれの配偶者は同墓とはならない。
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1 古墳前半期(3~5世紀) 双系社会
基本モデルⅠ
△男、○女、□男or女、=配偶関係、┌─┐キョウダイ、┌┴┐上が親・下が子
   で塗られたところが同墓に埋葬されている。
下図は同墓埋葬のいろんなパターンを示す。
┌-─┐
○=△  ○=△      △=○  △=○
┌┴┐  ┌┴┐             
△  ○  △  ○             
┌─┐  ┌─┐  ┌─┐  ┌─┐  ┌─┬─┐
△  △  ○  ○    ○  △    △  △  ○
岡山県久米郡久米三成遺跡(前方後方墳)、山口県赤妻古墳、大分県日田市陣ヶ台遺跡、広島県府中市山の神遺跡より。
前半期(3~5世紀代)は、複数埋葬の場合はいずれも血縁者が埋葬される。被葬者の構成は、男と女、男性同士、女性同士や、男性2体と女性1体、女性2体と男性1体などがあり、他にもこれらの構成に子供が伴うなど多くの変異があるが、同世代が基本となる。すなわちキョウダイが基本なのである。
配偶者は同じ墓には入らず、実質的な血のつながりを重視する点に特徴がある。また、子供を含む場合には父子とともに母子の例もあることから、父系でも母系でもない双系であったといえる。
古墳への埋葬が複数埋葬ばかりとは限らず、むしろ1人だけ埋葬した事例のほうが多い。男性の単体埋葬だけでなく、女性の場合も多く、6対4の比率である。これは首長墳においても同様で地域差もない。男性とともに女性も集団の代表となることが普通であったことを示している。
このような親族関係は弥生時代から連続するもので、前半期古墳の被葬者構成も、北部九州の弥生時代後期のそれと同様である、おそらくは中期後半の男女のペアや近畿地方などの方形周溝墓被葬者に通じるものと考えられる。
家族か氏族か
古墳時代前半期は、家族単位の墓もあれば、親族に広がる範囲で同墓を営むこともあった可能性が高く、まさに親族集団(氏族が分節した出自集団)から家族が析出されていく過程にあった。首長は最有力の出自集団の長であると同時に、これら出自集団を血縁紐帯で結合した集団、すなわち氏族を代表して古墳へと葬られ、さらには地域集団をも代表した。
2 古墳中期(5世紀後半~6世紀前半) 父系化①
基本モデルⅡ
同じ色で塗られたところが同墓埋葬で、家長+子次世代家長+子次次世代家長+子と隣接する。
=○
┌──-────┴───┬──-──┐
│                        
=○              =○    =△
┌──────┴┬────┐      ┌┴───┐
│                       │       │
=○       =○    =△  △=○    ○=△
┌───┬─┴─┐    ┌─┴─┐       ┌─┴─┐
│               │     │       │     │
△=○  =○  =△  △=○ ○=△    △=○  ○=△
大分県上ノ原横穴墓群5世紀後半 ~農民=被支配層の墓群~
横穴墓群は、それぞれの家系の連続の結果と見なされる。その原理は父系の血縁原理であり、二世代モデルを基調として、家長と家長の地位を継がなかった子供たち(男女、小児~若年あり)が葬られる。各々の配偶者は葬られない
次世代の家長は隣接して築造された新たな横穴墓に葬られるが、同一横穴墓に二代以上の家長が葬られることもある。
実際に居住する家族集団の規模は、横穴墓に葬られる直系血族のみではなく、傍系親族をも含めたもので、概ね20~20数人程の人数で構成されたと考えられる。住居跡や集落の研究から導き出された数軒の住居+倉庫+菜園からなる「世帯共同体」あるいは「小経営単位」のイメージと一致するので、家父長制的世帯共同体に相当する。
父系の直系継承が浸透していたと評価できる一方で、家長の妻を葬らず、結婚し出産を終えた娘が父の墓に葬られるなど血縁性を重視する点で、典型的な父系社会とは異なっている
3 古墳時代後期(6世紀前半~)父系化②
基本モデルⅢ
同じ色で塗られたところが同墓埋葬で、家長・妻+子次世代家長・妻+子次次世代家長・妻+子と隣接する。
△=○
┌──-────┴───┬──-──┐
│                        
△=○              =○    =△
┌──────┴┬────┐      ┌┴───┐
│                       │       │
△=○       =○    =△  △=○    ○=△
┌───┬─┴─┐    ┌─┴─┐       ┌─┴─┐
│               │     │       │     │
△=○  =○  =△  △=○ ○=△    △=○  ○=△
山口県朝田墳墓群 6世紀前半~中葉
被葬者構成は二世代を基本としながら、基本モデルⅡと異なり第一世代が男女で構成され、この男女は血縁関係にはない。家長の妻で、おそらくは次世代家長の母と考えられ、はじめて夫婦が同じ墓に葬られるようになる。しかし、第2世代は基本モデルⅡのままで、それぞれの配偶者は同墓とならない
朝田墳墓群は、上ノ原横穴墓群(基本モデルⅡ)と同じく横穴墓群であるが、隣接していたり同じ墳丘をもつ横穴墓が世代的に連続することから、家長墓の連続として捉えることができる。上ノ原と同様な家族の墓に家長の妻が葬られるようになったものなのである。
島根県安来市高広横穴墓、岐阜県大垣市花岡山古墳群も同様で、古墳時代後期の親族関係といえる。
しかし、地域によっては異なるケースもあり、古墳後期に一律的に基本モデルⅢに変化したわけではない。
例えば、福岡県宋像市浦谷古墳群(5世紀後半~末)や大分県直入郡直入町長湯横穴墓群(6世紀前半、上ノ原横穴墓群から隔たった山間部の遺跡)、島根県八束郡岩屋遺跡は、古墳時代前半期のもの(モデルⅠ)で、双系的親族関係を基礎とするもの。
このような事例は、父系化と家父長制家族への変化が必ずしもスムーズではなく、保守性の強い地域では、前代の関係を維持していたことを物語っている。しかし、そういう事例はあっても、6世紀後半に島根県の山間部でも基本Ⅱへと変化し、平野部では基本モデルⅢへと変化していること、7世紀代には東京都まで基本モデルⅡが及んでいることを考えると、全体としては古墳時代後半期には父系化し、家族経営へと変化していたと考えていいだろう)。
※引用者注
家長のみが妻を同籍(あるいは同居)し、非家長は配偶者を同籍しない(双系)という縄文以来の性格を残す親族関係は、奈良時代まで連続しており、本来の父系社会とは程遠い状況が続きます。

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