今週からは、再び観念回路の獲得を扱っていきたいと思います。まず、人類だけが獲得した観念機能とは何か?がこれから数回のテーマです。
はじめに、「観念」という言葉について、固定しておきましょう。日常では”固定観念”や”観念的”というような、概念や捉え方を指すことが多い言葉ですが、本ブログでは、見ているものの法則や構造を見い出したり、そこから発展して言葉や文字を生み出していった機能を観念機能と名づけ、扱っていきます。
以下は、もう少し踏み込んだ定義です。詳しく知りたい人は読んでみてください。
■観念機能
恒常的に生存の危機に晒されていた人類は、サル時代に形成された共認機能に全面収束すると共に、不整合な(=未知なる)自然との共認(対話、祈り)に先端収束し、遂に不整合な自然の背後に整合する対象=精霊を措定した(=見た)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する未知なる世界の背後に精霊を見るのも物理法則を見るのも、基本的には同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ事実認識=科学の原点だとも言える。
なお、観念機能はその後、話し言葉を生み出し、更には書き言葉へと進化してきたが、観念共認へと先端収束した人類はその観念内容次第で進化もすれば退化(あるいは絶滅)もする危険性を孕んでいる。
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今回の記事では、観念回路を獲得した始原人類にとって、言語の無いor発達してない世界とはどのようなものであったのか、いくつか事例をふまえながら、イメージを膨らませていきたいと思います。ひとつ挙げられるのが、言葉をもたない部族の事例です。
(1)数字を持たない民族「ピダハン」
ピダハンという民族は数字を持っていません。ある人物が、民族と接触し計算を教えようとしたそうですが、全く数字の概念を捉えることができなかったそうです。
おそらく、彼らには抽象化して、同じようなものを数に置き換えるという考え方はなく、直接経験できるものしか語らない思考をしていると思われます。
また、ピダハンには「色」の概念もありません。色が識別できないわけではなく、かなり具体的に色の違いを認識しているものの、まとめて「赤」と言ったりしないようです。
画像はこちらからお借りしました
(2)数字を持たない民族「ドドス」
遊牧民族のドドスは1人で200頭あまりの牛を買っているそうですが、数字を知らないので牛を数えたりすることがないそうです。しかし、牛の特性や家系は全て細かく記憶・把握できているそうです。
これらの民族の事例から分かるのは、私達が観念を使って、見ている対象を分類したり、複数の対象の関係性を見出そうとするときに、抽象度をあげていると同時に、多様性をいくつか捨象しているということです。
始原人類は、その逆で、例えば同じように見える植物にも全て違う特徴を見つけ記憶・認識するなど、対象を注視する能力の高さから、それぞれを分類されずに別々のものとして捉えていたのではないでしょうか。
次回はもう少し、事例を深めながら、観念回路が無い世界のイメージを膨らませていきます。