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2006年10月09日

シベリアのマンモス・ステップ

アメリカ原住民の婚姻制を紹介したが、彼らのルーツを辿っておきたい。彼らの祖先は、約10万年前アフリカを出た新人(ホモ・サピエンス)が、西アジアから北東のシベリア平原へ向かった北方モンゴロイド=採集・狩猟部族。(インドを通って東南アジアのスンダランドへ辿りついたのが南方モンゴロイド=採集・漁労部族。)
西アジアから西に向かったコーカソイドとモンゴロイドに別れたのは、約5~6万年前とされている。
新人の世界進出図 ←「日本人はるかな旅展」より

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北方モンゴロイドは、5万年前には中央アジアからシベリアへの入り口に当たるアルタイ地方(西シベリア南部)に辿りつき、この辺りにはその時期の多くの山間洞穴遺跡が点在している。そして3万年前にはシベリアに到達する。
※因みに、新人の前に旧人(ネアンデルタール人)が既にシベリアに進出していたことは間違いないようだが、年代の特定など課題は残っているようだ。
一旦シベリアでの地歩を固めるや、2万3000年前のバイカル湖南のマリタ遺跡をはじめ、加速度的な速さでシベリア全域に広がっていった。
1万3000年前には北緯70度を超える北極海沿岸の地域まで進出する。
その後、ベーリング海峡を渡り、1万2000年前には北米大陸へ、1万1000年前には南米大陸の南端まで進出する。
シベリアへ進出した(最終氷期に当たる)当時の環境は、現在と異なり、ユーラシア北部から北アメリカ北部にかけて、マンモス・ステップあるいはツンドラ・ステップと呼ばれる大草原に覆われおり、マンモスゾウの他、バイソン、ウマ、トナカイなど実に多くの哺乳類が棲んでいた
マンモス・ステップにはヨモギの仲間をはじめ、イチゴツナギ属などのイネ科植物やスゲ類、ワタスゲ、チョウノスケソウなど多くの種類の草が繁茂し、一部には矮生のヤナギやカバノキなども生えていたと考えられている。
このように多くの植物が生育したのは、乾燥した場所や湿った場所、微高地や谷沿いの窪地など多様な環境があったこと、冬は寒いが積雪が少なく、永久凍土の発達が悪かったこと、夏の日射量が多く暖かくて植物の生育に適した条件があったこと、さらに夏に凍土がより深くまで融けて植物の根が土中に入り込みやすかったことなどによる。
しかし、寒冷のピークは2万年前頃で、その後は次第に温暖化し、1万1000年前頃に一時的な「寒の戻り」があったが、1万年前を過ぎるとさらに温暖化し現在とほぼ同じ状態になった。2万年前以降急激にマンモス・ステップは縮小していき、1万年前には完全になくなった。
現在ではその南半にタイガと呼ばれるエゾマツ、トドマツ、カラマツなどからなる広大な針葉樹林が広がり、北側に向かって次第に樹木がなくなり、その北半はコケ類、地衣類、イネ科の草本などの生えたじめじめしたツンドラになっており、当時とは全く景観が異なっている。
マンモス・ステップに適応し、豊富な植物資源を利用して生活していた植物食の哺乳類は、最終氷期が終わることで(他の地域へ移住できるものを除いて)絶滅した。
大型哺乳類絶滅の危機に遭遇し、
①シベリア平原にとどまった民は動物を飼いならす「放牧」という知恵を身に付けた。
②極東に住み着いたオホーツク海沿岸の人々はトドやセイウチなどの手つかずだった海獣狩猟に乗り出した。
③また大河アムール流域の一派は魚を捕る漁労を発明した。
④ずっと南に下った人々は植物を栽培する農耕に取り組み始めた。
シベリアに進出した北方モンゴロイドは、最氷期が終わり温暖化する過程で(2~1万年前)、生存の危機を迎え進化が促された。
(参考)『マンモスの時代』河村善也 「日本人はるかな旅」
読んでもらってありがとう(^_^) by岡 

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