2007年07月12日
江戸時代の士農工商、各々の婚姻制はどうだったんだろう?
江戸時代から、明治時代への転換時期に、時の明治政府は西洋文化に後れを取っては、日本が危ない(植民地化される)と言う危機意識で一杯であった。そして欧米文化の緊急輸入が政策的になされた。
明治政府は、士農工商を廃止して、政府主導で日本本来の婚姻制を急変させました。
『この時期に統制や規制が盛んなのは、裏返せば、実態がいかに(統合者からみれば)乱れていたかを物語っています。従って、当時の庶民への習俗(特に性習俗)への弾圧や抑圧の実態が判れば、逆に一般庶民の性意識も見えてくると思います。』
: るいネット「文明開化の民俗信仰の介入」
江戸時代のおおらかだった婚姻制 から、現在の一対婚 への移行である。
元の江戸時代の日本の婚姻制は、「夜這い婚」に代表される開かれた性生活であったという漠然とした意識が有る。確かに、大多数の農民は村落共同体でありその中では「夜這い婚」であった事は赤松啓介氏の数々書籍からも明らかである 赤松啓介~大衆の大らかな「性」を伝えたかった学者~ 。(昭和初期まで田舎では残っていたらしい)。
また、武士階級の家中心の見合い婚だったのだろう。
『庶民が縄文以来の夜這婚=集団婚の実質を持ち、恋愛観念から無縁であったことは勿論のこと、武士階級といえども家意識で統合されていた訳で、結婚の実態は見合いであったことを思えば、江戸までは間違いなく男女関係の中心軸は性市場での恋愛ではなく、規範=役割意識に支えられた和合共認であったことは疑いの余地がない。』:るいネット「日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?~明治編①」 山澤氏
とすると、士農工商での、農民、武士は分ったが、町人、職人はどのような婚姻制を取っていたのかが気になるところです。と言うのも、この商人たちの文化は、江戸の吉原、花魁(おいらん)などは、明治以降の一対婚から始まる恋愛至上主義が、既に欧米から輸入する前からあった?との感じられる。
少し「江戸時代の商人、職人の婚姻制」について調べたいと思っています。また何方か、詳しい方は是非お教えください。
- posted by koukei at : 2007年07月12日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
●視覚上のちがいは、
『最も目立つ対象に視覚上意識が集中』する西洋人と、
『周辺の状況や周りとの関係を重視』する東洋人。
●医療では、人体を
『局部的』に扱う西洋医学と、
『全体的』に扱う東洋医学。
●『個人主義』の狩猟民族と、『集団主義』の農耕民族
とも、対比が妙に一致しますね。
コメントありがとうございます。
>●『個人主義』の狩猟民族と、『集団主義』の農耕民族
とも、対比が妙に一致しますね。
確かに、この点も見逃せませんね。やっぱり正反対です。
西洋と東洋。
対比して考えると「どちらが優れているか」というところに話がいってしまいがちです。でも、大事なのはそういうことではなく、「なんでそうなったのか」ということですよね。
そこには、「こうなるしかなかった」という必然性が隠れているのだと思います。
偶然ではなく必然。その結果が全く対照的で正反対のものの見方につながる。とても面白い追求テーマだと思っています。
>対比して考えると「どちらが優れているか」というところに話がいってしまいがちです。でも、大事なのはそういうことではなく、「なんでそうなったのか」ということですよね。
確かにそう思います。
比較検証していくと優劣の話になってしまいがちです。
追求の目的が何であるかが重要だと思いました。
>「根本には、視覚的な見方の違いがある」とまでいうとちょっと乱暴な気がします。が、あながち否定も出来ない。私たちが最初に事実として認識するのは、五感を通じた外界との接触なわけですからね。<
視覚etc.の外識機能の使い方にまで違いがある。これは相当に深い(根本的な)違いなのだなと改めて感じます。
どう捉えるか(外識機能)は、どう考えるか(観念機能)に密接に関連していると思われます。
ますます「では、なんでそうなったのか?」が気になります。
追求していきたいテーマですね。
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