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2007年08月30日

塩味の民族学-しょっぱいはおいしい-

ishige.jpg人間の生存にとってなくてはならない塩ですが、食塩という形で外部から補給するようになったのは、農業という重労働で汗をたくさんかくようになってからのようです。石毛直道国立民族学博物館名誉教授(農学博士:右写真)の塩味の民族学-しょっぱいはおいしい-講演会より紹介します。
動物の乳、肉、血から塩分を摂る民族
サルは塩なしで暮らしています。実は人間も、塩を知らない民族というのは世界中にたくさんいます。例えばアフリカの有名なマサイ族。彼らはウシを飼って、ウシの乳を飲んだり肉を食べている牧畜民ですが、塩を摂りません。必要な塩分はミルクから摂っているようです。

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ハッザという狩猟採集民は、家畜も飼わないし農業もしない。弓矢で獣を倒しその肉を食べる。それから自然にある木の実だとか、木の根っこ、そういったものを食料にしているわけで、これは旧石器時代の人々と同じ生活です。彼らも塩を摂らず、動物の肉や腸、血液に含まれている塩分で何とかやっていけています。
ハッザと同じような、農業や牧畜をする前の時代、百万年以上続いた旧石器時代の人々も、今の考古学の証拠で知ることができる限り、海の水から塩づくりをしていたということはまず考えられません。岩塩などを、ある地方の人は利用していたんでしょうけども、とにかく塩を積極的につくったりする技術はまったくなしで、人類は百万年以上生きてきたわけです。
日本で塩づくりが始まったのは、縄文時代の後期から晩期で、それも日本中でつくっていたわけではなさそうです。関東地方と東北地方では塩水を土器に入れて、それを煮詰めて塩をつくっていたらしいということがわかっていますが、西日本のほうでは塩をつくった証拠は、縄文時代ではまだ発見されていません。
塩づくりをしない民族、あるいは塩を食べない民族というのは他にもいます。例えばイヌイット(エスキモー)の人たちは、内陸に住んでいる時は別に塩を使っていません。南太平洋の民族、ポリネシア、トンガ諸島だとか、昔のハワイ、タヒチ、あるいはニュージーランドだとか、マルケサス諸島、こういった南太平洋の人々も、海辺に住んでいる人は塩水くらいは使ったでしょうが、別に塩づくりをせずにずっと生きてきました。アメリカインディアンにも、塩なしで暮らしてきた民族がたくさんいます。
農業化と塩への生理的欲求
人間が農業を始めるようになると、植物性の食べ物に頼ることになる。そうするとカリウムをたくさん摂る。どうしてもこれは塩を摂らなければならない、ということになってくるかもしれません。
私は以前、塩辛や熟鮨(なれずし)の研究のために、東南アジア中を回ったことがあります。日本人もそうですが、東南アジアの稲作民族というのは、植物性の食べ物であるお米を文字通りの主食として、いっぱい食べます。おかずはほんのちょっと、塩辛いものがあったらいい。お米はパンに比べて必須アミノ酸のバランスがいいから、お米をたくさん食べたら、微量成分は別として、とにかく体を持たせることはできるんです。そうすると稲作民族は、必ずどこかから塩を補給する手段を持っています。東南アジアの奥地でも、塩の補給手段があります。
モンスーン地帯の稲作民族は、インドを除くと牧畜をしません。ですから家畜を飼い、家畜の乳を利用することも、肉を食べることも大変少ないわけで、動物性のタンパク質といったら魚です。魚もかつての東南アジアの人々にとっては、海の魚よりも淡水魚が重要でした。そういった生活で一番のおかずは野菜です。淡水魚の塩辛や、塩辛からつくった魚醤を調味料にして、野菜と一緒に食べる。魚醤は日本の味噌や醤油より、かなり塩辛いものです。米と野菜という植物性の食べ物をたくさん食べる人間にとって、塩はどうしても必需品であったわけです。
農業は狩猟採集に比べて重労働です。狩猟採集民というのは、案外労働していなくて、平均すると4時間しか働いていない。それに対して農業というのは、とにかく額に汗して長時間働かなければいけません。とくに稲作農業というのはかなり労働がきついものです。そこで農業社会になると、ナトリウムの塩というのが大変重要になってきます。
生理的欲求から文化的嗜好へ
そこでひとつの仮説ですが、農業化の過程で塩味に対する嗜好が育ってきたのではないか。塩味に対する欲求は、生理的な問題であると同時に文化の問題、つまりこういう味がおいしい味だという、文化が決めているようなところがあります。かつて世界のいろんなところで塩は貴重品でした。日本でも塩の道というのがありますし、大陸だともっと遠いところから塩を運んでくる。
現在では、塩は一番安い調味料になっています。おまけに現代の日本人は、あんまり汗をかいて労働することもなくなった。そうすると、生理学的な問題としてはそんな塩を摂らなくてもいいかもしれません。しかし慣れ親しんだ嗜好の問題、やはり塩味がある程度ないと物足りないという、そういった嗜好として、我々は体が要求する以上の塩味を摂っている。で、それが健康問題ということになっているのかもしれません。
**********以上、石毛先生の講演会からでした。**********
原始時代(旧・新石器時代)に塩の“交易”があったのではとの疑問を持つ人があるかもしれませんが、動物の肉や血で塩分は摂れていたので、そんなものは不要だったんですね。そもそも必需品を交易に頼らざるを得ないなんて、原始時代では考えられないので、これでスッキリです。
また、狩猟採集部族では、大部分の食料を女の採集物に頼っていますが、たまに男が動物を狩猟してくるとみんなでお祭り騒ぎになるのも、不可欠な塩分が摂取できることを体を通して知っていたからかもしれません。
食塩という形で外部から補給するようになったのは非常に新しく、農業生産以降というのは気付きでした。狩猟採集は4時間の労働で、農業はそれより重労働という点も重要で、文明時代を作った生産性の高さもこの辺りにありそうです。
読んでもらってありがとう(^_^)。応援よろしく by岡

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