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2007年10月02日

江戸時代の教育熱心さ

江戸時代後期での文盲率は低かった。就学率は80%程度あり、世界一である。同時代のイギリスで大都市でも20%程度だったらしい。
しかし、何故そんな事が可能だったのでしょうか?
一般的な回答は、「寺子屋という、庶民まで教育をする施設が有ったから」。でもこれほどまでの庶民の教育意欲は何故だろうか?その必然性が分らないので調べてみました。
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まず、江戸時代の後期に爆発的に普及したと言う 寺子屋の概要から
公文のサイトから

江戸時代に庶民の初等教育機関として栄えた「寺子屋」。政治・経済の発達に伴い、読み書きの能力があらゆる階層において必要となり、損得にまで直結する社会へと移行した時代、「寺子屋」は庶民の強い要望に応じる教育形態として自然発生的に広まった。
 都市部から始まり農村部へ。寺子屋は江戸時代後期には全国で約5万か所に達していたといわれている。この寺子屋教育により、日本は世界で最も識字率の高い国の一つとなったという。
寺子屋では身分や年齢にかかわらず、誰もが、いつからでも「手習い」ができた。学習の目的も内容も、個人のニーズや能力に合わせたもので、学習スタイルも講義形式の一斉授業ではなく、各自が与えられた課題を自学自習で進めていく。師匠(先生)の役割は、講義をすることではなく、読み書きのお手本を示したり、子どもたちの学習状況を把握して個人別の適切な課題を与えることだったという。


供給側としては次のような状況だったようです。

当時は、庶民のために公立学校はありませんでしたから、寺子屋(今の私塾)に子供たちは通っていました。江戸だけで1500の寺子屋があったそうです。しかし、庶民が多額の学費を払えるはずがありませんよね。
 当時の寺子屋の経営は、経営者のボランティア。つまり、先生は、謝礼程度はあったものの、他の収入で生活を維持しながら子供たちを教えていたそうです。江戸は武家人口が高かったので、教育熱心な武士が、町民を教えていたことが多かったそうですが、全国平均では40%は庶民の先生だったそうです。
 もちろん、自由競争なので、人気の高い寺子屋に生徒は集まり、低い寺子屋は廃れてしまいます。寺子屋の先生は、努力の割に、金銭的にも割が合いません。
 しかし、寺子屋の先生となることは、メリットがあったのです。先生になれば、人別帳(住民登録)には「筆道指南」など明記でき、高級な職業として尊敬を集めていたのです。優秀な人なら、将軍に拝謁を仰せつかることもあったそうです。

ユキオ ウェブログ「江戸の子供たち」より
それにつけても庶民の、教育熱心さは何故でしょうか?

庶民の家庭では、主に寺子屋や郷校を利用して子どもに教育を受けさせていた。特に江戸や大阪などの都市では、学問を身につけていれば奉公に有利ということもあり、男女問わず寺子屋に子どもを通わせる傾向にあった。商人の男の子では、この寺子屋の入門期間を終了して10代で奉公に出ることが多かった。

gooマネー コラム・特集 「第12回:学費で見る江戸時代の教育事情」
江戸の中期以降は、農作力が向上して最低限の豊かさが実現されて、その上で全国の物流が活発とまり商品市場が発達した時代です。
その結果、庶民はより良い職業に就くためには最低限の読み書きが求められるようになった。
つまり、次の3点が実現して、江戸時代の教育が爆発的に普及したようです。
1)子供の労働力を期待しなく、教育に従事させられる経済的余力が庶民にまで行き渡った。
2)ボランティア教師が、名誉職として小額の授業料で教授してくれた。
3)商品市場が発達して、読み書きが出来る事で、競争社会を勝ち抜く可能性が開かれてきた。

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