2009年01月12日
縄文人の出自は北方か南方か(1)
日本人の起源については、従来から埴輪和郎・東大名誉教授によって提唱された二重構造モデル(南方起源の縄文人と、北方起源の弥生人)という考えが支配的でした。
今回は、騎馬民族論争でも有名な佐原眞氏(元国立歴史民族博物館館長)の著書『日本の歴史~日本人の誕生~』を参考に、縄文人(Y染色体D2系統)は、北方出自であるという仮説を提起します。
y染色体分類による縄文人の系統*****************
近年、分子生物学の進歩により、日本人の起源は北方・南方という単純なモデルではなく、縄文期に流入した系統(Y染色体によるC3・D2・C1・N)と、弥生期以降に流入した系統(O2b・O3)によって構成されてることが明らかになっています。
※参考『DNAでたどる日本人の成り立ち』
★縄文期に流入した系統を、年代順に再整理すると以下のようになります。
【系統】 【故地】 【流入ルート】 【流入時期】 【人口比率】
◆C3 北方・シベリア サハリン・樺太 1.8万年前~ 3%
◆D2 ???? 朝鮮半島 1.2万年前~ 34%
◆C1 南方・島嶼部 黒潮海流? 1.0万年前~ 3%
◆N 北方・ウラル 朝鮮半島 1.0万年前~ 5%
縄文期には、ユーラシア大陸各地や一部南方島嶼からも日本に流入していますが、人口比率の最も大きい(=従って縄文分化を担ったと考えられる)D2系統は、世界的にみても日本にしか存在せず、その出自については依然として謎が多く残ります。
※D系統の亜種であるD1・D3系統はチベットに偏在します。
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画像引用元: 『Native Heart』
北・東日本に集中する縄文遺跡******************
縄文初期(1.2万年前~8000年前)の遺跡は、九州と北・東日本に分布しています。このうち、九州遺跡群は貝文土器文化と呼ばれ、南方出自のC1系統だと考えられます。但しC1系統は、6300年前の鬼界カルデラ火山の噴火で壊滅的な打撃を受けます。
縄文中期以降(6000年前~)の遺跡は、北・東日本から西日本に広がっていきますが、縄文時代全体としては、遺跡の8割が北・東日本の落葉広葉樹林帯に集中します。
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※画像引用元『比較分化史』
縄文時代の遺跡が北・東日本に集中する事実は、落葉広葉樹林帯の食料資源とのかかわりで説明されていることが多いのですが、食料資源を出自との関係から捉えてみます。
縄文人の日本への流入・移動の状況を、 『人口構成比の試算』 と 『気候変動と植生の変化』のグラフに当てはめると、面白い事実が浮かび上がります。
【草創期】 1.2万年前~ 寒冷化に伴い、ユーラシア大陸から朝鮮半島~九州に南下
【初 期】 1.0万年前~ 温暖化に伴い、北・東日本に北上
【中 期】 6000年前~ 寒冷化に伴い、西日本に拡散
縄文人は気候変動に応じて、落葉広葉樹林帯を追いかけるかのごとく、日本へ流入・移動しています。
∴こうした事実から、縄文人(D2系統)は、日本に流入する以前にユーラシア大陸で北方適応していた!と考えた方が自然ではないでしょうか。
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読んでくれて、アリガトウ
次回、更に縄文時代の文化面から、北方出自説を補強します。(マツヒデ)
- by matuhide
- at 17:00



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comments
なるほど~!縄文人は南方からやってきた人たちと今まで思ってましたが、気候変動からみると、北方適応していた人々と考えた方がすっきりするんですね☆
つづきを楽しみにしてます♪
まりも☆さん、コメントありがとうございます。
私自身、ここれまで何となく、縄文人=温厚で平和的=南方出自というイメージで捉えていました。
DNA系統、遺跡分布、気候変動を付き合せてみると、縄文人=北方出自の方がスッキリするんですよね。
>縄文人(D2系統)は、日本に流入する以前にユーラシア大陸で北方適応していた!
縄文人(D2系統)って、意外と謎なんですね。昔みた髭面のごつい感じの縄文人の顔のイラストから、南方系なんだとなんとなく思っていました。驚きです。
マニマックさん、コメントありがとうございます☆
縄文顔と弥生顔を対比させたイラストの構図ってよく見かけますよネ。縄文人の骨格は遺跡から1万体くらい発見されているらしく、復元図そのものは比較的正確なんだと思います。
北方適応と骨格についても(難題ですが・・・)引き続き追求していきたいと思います☆