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2009年06月11日

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆12☆婿の受難は続く…

09fuyu04.jpg こんにちは。とうとう、本格的な梅雨の季節になってきましたね
さて、前回まで、かなり悲惨な婿いじめを紹介してきました。日本のムラは閉鎖的 何でこんなことするの??って思った方、やっぱり理由があるんです。
※写真はうおぬま四季物語さんからお借りした、雪中花水祝 の様子です。新潟県魚沼市の、有名なお祭りのようですね
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★婚姻永続の成否を占う婿いじめ
わが国には外来人を嫌う神々が相当多く存していた。これは特殊の理由があるにせよ、民間伝承として有名な昔は下野の日光山には上野の人の参詣を許さなかったとか、陸奥の岩木山へは丹後の人の登山を禁じたとかいう例は、少し誇張して言えば枚挙に暇がないほどおびただしく存在している。
わが国の神々が何故にこれほど外来人を忌み嫌ったか、その理由は極めて簡単なものである。わが国の神々は原則としては神の血筋を承けた者―反言すればその子孫以外の祭祀を受けることを好まなかったことに由来しているのである。詳言すればわが国の神々は子孫以外の祭祀は、ことごとく非礼として退けるのが古義であった。まことにおそれおおいことではあるが、伊勢の皇太神宮が私幣を禁断して、皇室以外の祭祀を受けさせられなかったのは、他にも種々の理由のあったことは言うまでもないが、とにかくこの信仰が重大なる一理由であったことは明白である。
したがって、祭神と血筋を同じくせぬ者が、その祭祀に加わるには相当の試練が科され、果たして祭神の冥慮に叶ったものか否かを占うべき必要がある。血でつながれぬ外来人である入婿が、この試練の対象とされ、さらに神占されるべき運命に置かれるのはけだし当然であらねばならぬ。

 余所者が自分たちの女を独占することに対する制裁というだけでなく、氏神様のお眼鏡にかなうか、自分たちが神様に代わって判断するという意味合いもあったようです。特徴的なのが次の事例です。

羽前の国東村山郡増村矢野目
古くは籾井村と称した。これは古井から籾が出た為である。昔は同村では毎年旧正月七日に、前年中に入婿した者をこの古井に入れて水祝いをした。もし婿の手足へ疵がつくと必ず離縁となると伝えられていた。この村では手足を疵付けた入婿は、神慮に違うものとしんじていたことが知られるのである。

 次は、『若者の共有であった女子を独占した新婿への制裁の意味がよく了解される』事例です。

★各地の土俗として残れる婿いじめ
甲斐の国東山梨郡岩手村
 毎年田植が始まると、前年の田植後に嫁聚した新婚が、田にいるところを見定めて、村民が寄ってかかって新婿に田の泥を投げつける。これを泥かけ祝いと言っているが約三十分程で終りとなり、双方とも川で身体を洗って式を閉じる。
 そうすると花嫁はその間に簡単な酒肴を携えてきて、田の畔で一同が飲食して帰宅する。もし酒肴を出さぬ嫁があると、そのものは村から交際を断たれるのが習いになっていた。
 この土俗は単なる婿いじめというよりは、水祝いの意味が濃厚に含まれている。かつその水祝いを田植のときに限って行なうことは、生殖と農業―すなわち生殖行為を以って豊作の呪術(まぢつく)とした古い信仰が織り込まれていることを注意せねばならぬ。しかしそれを説くと余りに論旨が多岐になるので今は省筆するが、とにかくそれだけのことは記憶せられんことを望んでおく。

常陸の国真壁郡紫尾村東山田
 昔から旧正月四日に村内の若者が集まり、御供え餅を搗いて一重ねずつ村中の家々へ配布し、その使用した臼を家ごとに転ばして出し入れするのを吉例とする行事がある。元々、若者一同が協力して行なうはずであるのに、入婿のみじめさは自分達は力の限りを出して働いても、土地っ子は掛け声ばかりで力を出さず、ことに憎しみを受けたものは力を反対に加えられ、臼の進行は渋り、婿たちの疲労は極度に達するということである。

越前の国大野郡下味見村
 古くから妻を迎えた婿が、その妻の家へ初めて行ったときは、入口の土庭に桟俵(さんだわら)を敷いて座し、全区の若者を招待して出迎えるのを例とする。もしこれを実行せぬと交際を嫌われたということである。これなどは若者の共有であった女子を独占した新婿への制裁の意味がよく了解されるのである。なおこれらの土俗は各地に多数存しているが、大体を書した信ずるので他は省略する。

 中山太郎氏は、「婿いじめ」の①みなの共有である女子を独占することに対する制裁、②一定の試練を乗り越えた後に与えられる村落共同体の自治に参加する資格、という点から、共同婚の存在した証拠としてあげています。
3回にわたってお送りした「婿いじめ」は今回で終わりですが、昔はまさに生と性は一体。村落共同体をみなで守ることも、そのための性の制度も、すべてつながっていたんだなぁ、と感心しました 😀
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます

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「氏子中」の落語は、私も大好きです。日本の大らかな性生活が良く分ります。
■ところで、「母権制」ですが、民俗学的には今や過去の用語で、「父権制」と供に使わなく成っています。
中山太郎氏:民俗学者(1876年 – 1947年)は、時の先端であった民俗学から「母系制」を学んで、日本にも有ったと言いたくて、このような文章を書かれたのでしょう。
せっかくですから、
「母系制」は、バッハオーフェン(1815-1887)が提言した概念ですが、彼の唱えた[母系制]の概要を、下記に書きます。
■バッハオーフェンは、本業は法学者で、古代法の研究を通して古代社会についての造詣を深めた。古代社会研究から書かれた著作で、人類の家族制度が4段階に変化しながら進化してきたと発表。
神に与えられた固定的な社会、家族制度ではなく、人類の家族制度や社会制度は変化して来たのだ、当時からすると衝撃的な意識を与えて、後に続く「文化人類学」にてに影響を与えた。
特に、古代においては婚姻による夫婦関係は存在しなかったとする乱婚制論や、母権制論を説いた。(←キリスト教に対立する画期的見解)
■バッハオーフェンは、文化進化の4つの段階を提案した
1) Hetairism:私有財産が無く一夫多妻の未開の「地球人」の段階。土着の支配的神がいると考えた。
2)Das Mutterecht:農業社会で、カルトと法律が出来て女性支配の「月の」段階。⇒母権社会
3)Dionysian:家長制度が誕生し始めたので父権化する。⇒父権社会
4)Apollonian;過去の痕跡が消える、そして、現代の文明が出てきた父権的な「太陽の」段階⇒現代
しかし、このモデルは実証主義から反論が出されるまで影響力を持った。
⇒現在は、「父権性」への対立観念である「母権制」は、ほぼ否定されている。
yahoo百科事典を見ると、現在の「父権制」「母権制」の説明が分りやすいので、下記に記します。
■「父権制」 ~yahoo百科事典~
家族や一族内での権威や全体社会での政治権力が男性の手中にあるような社会体制をいい、母権制との対比で用いられている。家族のレベルでは家父長制がこれにあたる。
しばしば父系制と混同されているが、父系制・母系制という言い方は出自に関係しているだけで、一社会内での権力の所在に関するものではない。
実際、母系制といっても、女性が権力を握っているわけではなく、彼女の兄弟やおじのような一族の男性が権力をもっているのが普通である。
このように、知られているほとんどの社会で、程度の差はあれ、家族内での権威や政治権力が男性の手にあるという事実に加え、父権制と対比的に対応していた母権制の存在自体が疑わしいことなどから、父権制という用語は、上述の一般的な用法としては意味を失いつつある。
古代ローマやイスラエル王国におけるような極端な場合、つまり、家族内で父や夫の権威が絶大であり、事実上家族の他の成員やその財産に対して所有者のごとくふるまえるほどの権限をもっているような事例だけに、この父権制という用語をとっておくのが無難であろう。

  • アンニョン
  • 2009年8月21日 21:02

アンニョンさん、詳しい説明ありがとうございます☆
昭和3年に書かれた本なので、その頃は「母権制」という言葉が使われていたんでしょうね。
アンニョンさんのおっしゃるように、一対婚しかあり得ないと主張する政府の御用学者に対抗して、「母系制」の存在を主張する為に、中山太郎氏が書いたんだと思います。
この本のいいところは、何といっても豊富な事例ですので、これからもどんどん紹介していきますね☆

  • まりも☆
  • 2009年8月22日 16:01

トリー バーチ

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共同体社会と人類婚姻史 | 中山太郎の「日本婚姻史」から~団体婚~☆3☆妻の相手は「氏子中」?

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