2009年10月09日
始原人類の婚姻制 ②エスキモー族の風習

画像は、こちら⇒イヌイットからお借りしました。
10月02日の始原人類の婚姻制「①原始婚と性習俗」の記事につづいて、カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー族についてるいネットより紹介します。
■エスキモー族の風習(リンク)
エスキモー族は、インディアンのうちでは一番後にアメリカに到着し、その文化は、シベリアからグリーンランドまでもの広がりを持っていたとされる。 エスキモー族には、(インディアン系では希有で)種族全体を統一する組織がなかった。あったのはクジラ漁をしたり、トナカイの狩りをしたりする時に作られる、共同作業の集団であった。このような経済活動に基礎を置く集団は、どれに属してはならないというような規則はなく、個人の自由が大幅に認められていた。内陸でトナカイをおっていた者が、海岸の集団に移ることもあり、その逆もあった。(青木晴夫著 『アメリカ・インディアン』)
彼等の中で、権力者と呼ばれる者の尺度は女性で決まっていた。つまり、女性を通じて人を動かす影響力を持っている者がそれに値した。その背景には、社会での力関係の拡張=自己勢力圏の拡大の意図があり、結婚を味方の増加目的とするものがあった。また、結婚は一夫一妻とは限らず、一夫多妻も多夫一妻もあった。若い男女がセックスの関係を結び、お互いに充足した時に結婚が成り立つとされた。(しかし、子どもができるまでは正式に決まったものとは考えられなかった。)そして、二人の間に不和が生じたときは、簡単に離婚は成立した。時として若い男の妻を、年上の男が盗むことがあった。このような場合、妻を取りかえす為には、親族の応援による力関係の逆転が必要で、これが不可能の時、妻は年上の男の第二もしくは第三の妻となってとどまった。また、更年期がすぎると、女は魔法を使うことができると信じられていて、その力で熟女が若男を夫にすることができた。この夫が、後に別の女と結婚して、一夫二妻になることもあるが、一家の力(労働力)を増加することになる為、一番目の妻は反対することはない。セックスについての彼等の見解は、実にあけっぴろであったという。子どもに隠れて性行為をすることも、子どもがセックスについていろいろと実験をするのを止めることもなく、純潔を尊重する習慣もなかった。少女が妊娠しても、その相手である可能性のある男性数名全員が、結婚を承諾するのが普通であった。お腹が大きくなったということ、子どもが産めるということを実証したことになり、歓迎されたのである。
上記より、エスキモー族は経済活動を基礎にした組織体制であったといえる。そして、彼等にとって結婚とは、愛や恋とは無関係のものであった。女は、狩りに出て獲物をとり、舟を作り、犬の世話をする男を必要とし、男は、皮をなめし、肉を貯蔵し、炊事をし、衣服を作る女を必要とした。男と女は、担当する仕事の種類こそ異なれ、同様に働く意義は家族の充足にあった。
いくつかの歴史事実が紹介されているサイトを探索し気づいたことは、8000年以上の歴史をもつイヌイット族の歴史をいかに構造的にとらえていくかが重要で、まずは現代人の価値観を一切棚上げにして、時代毎に考えられる圧力状況を考えて、同化してみる。同化して得られた皆の感覚を仮説にし、それらの仮説群を繋げて、論理的に無理がないかを検証していく。このように勉強していきたいと考えています。
- by Hikaru
- at 12:10



comments
エスキモーとは、北極圏のシベリア極東部・アラスカ・カナダ北部・グリーン
ランドに至るまでのツンドラ地帯に住む先住民族の総称です。
「イヌイット」はカナダのエスキモーのことで、アラスカでは「エスキモー」
は公式な民族名であり、アラスカのエスキモーを「イヌイット」と呼ぶのは誤り
です。
ご参考までに、、、
エスキモー/イヌイットを調べるならこのサイト(http://campus.u-air.ac.jp/~stew_hon/HTML/eskimo_inuit_tbs01.html)が役立ちます。その中から、、、
社会組織の基本単位は、核家族と血縁関係の親族集団である。基本的に100人
未満の少人数のバンド社会をつくって暮してる。常に一つのまとまった集団として
活動したのではなく、成員が離合集散しながら季節的移動生活をしていた。
冬には、同じバンドの大部分が集り、共同狩猟や集団儀礼を行なったが、夏になる
と一ないし数家族が行動単位となり、バンド全体が集合することはほとんどなかった。
、とあります。これを理解するには自然環境を見てみると理解しやすい。例に
アラスカを見てみると南部では最暖月の7月は14℃、午後で20℃という快適な
時もあります。最寒月の1月は -9℃、アラスカの内陸部に行くと30℃を超え、
南部では海岸沿いにかけて雨がたくさん降ります。
北部では夏でも昼間は10℃ぐらいで、夜間は氷点下まで下がります。冬はもちろ
んこんなものではありません、1月の平均気温は約-23°C、最低気温は-51°C以下
にもなります。
そして、食料も5~9月はカリブー、ホッキョクイワナ、サケやマス、カモメなど
の卵、植物も食料になり比較的食料には困らず生活できます。
夏は家族程度の集団でも生活できるが酷寒の冬期には集団規模を拡大してみんなで
力を合わせないと生き延びれなかった
、と言うことでしょう。
エスキモーは、一夫一妻、一夫多妻、多夫一妻と、多様な婚姻形態を取っているようですが、実態としては総遇婚が近いのではないでしょうか。
彼らは、高い自然外圧にも関わらず、強力なリーダーや序列が存在せず、従って大集団には発達しませんでした。この他、精霊信仰を有しているなどどちらかというと、南方系の外圧の低い本源集団の特徴を有しているように感じられます。
高い外圧にも関わらず、その婚姻形態があまり変化していないというのが不思議に感じました。
エスキモーは、夏は家族などによる小集団で過ごし、冬は大勢が一つの家に集まって暮らすという、季節によって異なる集団を作っています。
また、夏の動物:トナカイ、冬の動物:セイウチ、それぞれの皮で作られた衣服は絶対に触れ合うことがないようにするなど、エスキモーは夏と冬を意識的に対比しているようです。
冬は獲物を取るには多くの人手が必要であり、狩りが出来る場所も制限されるため一ヶ所に集まり、集団の結束力を高める必要があるのだと思います。
夏に集団を解体するのは、その方が適応できるからだと思われますが、夏は魚取りや狩りが少人数でも可能であり、かつ広範囲にバラけた方が狩りをする上では良いのかも知れません。
また、冬には多数の家族が一つの家に暮らすことにより、性的充足も含めて集団としての充足を最大限上昇させ、厳しい外圧を何とか乗り越えていたのかも知れません。
文章を読ませていただき、特に気になったのはなぜエスキモーは家族単位が主体なのか?という点です。
コメントにあるよう、論理検証が大切なので、皆様の意見をもとに、私なりの推論して見ました。
自然外圧、及びそこから派生する生産活動が集団を規定するひとつの大きな要因になります。
アラスカは夏はいくらか、寒さが緩むが、冬には氷に覆われ、平均で-20℃、極寒で最低-50℃にもなり、冬を如何に生き残るかが、アラスカで暮らし始めた、人たちにとって、それが最大の課題ですね。
エスキモーがアラスカに入ってきて生きていくためには、狩猟採集しかなく、それも人数が大きくなると、狩猟採集できる食料が不足するので、生活~生産の基本単位が家族に分かれて暮らすことになった第一要因だったのでしょうか。
それでも極寒の冬は究極の生存圧力がかかる為、一定の人数が集まってくらすことにより親和共認、集団共認することで生き延びられ、鯨などの大型食料捕獲もできるようになったのではないでしょうか。