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2010年02月23日

日本婚姻史シリーズ1~その3:縄文時代の婚姻制を探る

venus2_1.gif縄文時代まで遡って、日本の婚姻制を紐解いていくシリーズ。
前回は、縄文人集団の在り様を規定する外圧状況(気候・地理的条件・食料事情・etc)を追求していきました。
今回は、東アジア全体を俯瞰しながら、当時の人類(縄文人)の婚姻制を追求してみたいと思います。といっても、1万年以上前の婚姻制であり、およそ現代の常識・価値観とかけ離れています。そこで今回は、文化人類学の概念を、図解を交えながら展開していきたいと思います。
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先ずは、新石器時代(=採集・漁労生産時代)、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。

『実現論(採取時代の婚姻様式)』
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。

『実現論勉強会(採取時代の婚姻様式・図解)』
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交叉総遇婚とは、同じ集団内(母方の親族)の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。
集団が閉鎖性を帯びないように、A集団の男たちはB集団の女たちと、B集団の男たちはC集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。

では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか? このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。

るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』
 田中良之氏の研究によると、縄文~5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
 こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の2つの仮説が考えられます。


・1つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団(氏族)内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。
・2つ目は、婚姻関係は単位集団(氏族)を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。
 

以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。
次回、日本の交叉婚の特殊性について追求していきます。

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comments

>人間とそれ以外、キリスト教とそれ以外、自分とそれ以外、というふうに個の優劣をトコトン明確にし、刷り込んで行ったのが西洋思想です。その最終様式が階層意識である、と言えます。<
彼ら西洋人の解りやすいコメントですね。彼らはどこを切ってもやはり個なのですね。

  • 匿名
  • 2010年8月3日 19:36

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