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2010年06月09日

単一起源説vs多地域起源説を切開するvol.3(ネアンデルタール人、現生人類と交配?)

vol.1(起源説の概要)」では、人類の起源における「単一起源説」と「多地域進化説」について、夫々の概要を紹介し、前回の「vol.2(単一起源説を支持する分子遺伝学的証拠とは?)」では、、「単一起源説」を強く支持すると言われる「DNA分析」でどのような成果があったのか?その研究内容を紹介しました。
「単一起源説」が優位の中、これまでのDNA解析では、「ネアンデルタール人と現代人には交配は認められない」とされてきましたが、最近「ネアンデルタール人と現代人には交雑はあった」とする研究成果が発表されました。今日はナショナルジオグラフィックスから最近の興味深い研究成果を紹介したいと思います。
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『ネアンデルタール人、現生人類と交配(2010.5.7)』

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◆ネアンデルタール人と現生人類が交配した意外な場所  
研究チームは、中国、フランス、パプアニューギニア、アフリカ南部、アフリカ西部の5人のヒトゲノムと、ネアンデルタール人のドラフトゲノムとを比較した。解析の結果、現生人類とネアンデルタール人のDNA配列は99.7%が一致していることが判明した。なおチンパンジーとは98.8%一致している。
また、アフリカ人以外の民族集団において、ゲノム中にネアンデルタール人のDNAの痕跡が存在していることも明らかになった。この事実は、異種交配の地をめぐって新たな謎を生むこととなった。ネアンデルタール人も現生人類と同様、アフリカ大陸で誕生したと考えられている。ただし、アフリカで両者の共存を示す化石証拠は発見されていない。
「現生人類とネアンデルタール人の間で遺伝子交換があったとするなら、その地はヨーロッパだと考えるのがこれまでの常識だ。数千年の共存期間を証明する、十分な考古学的証拠があるからだ」と研究チームの一員デイビッド・ライヒ氏は話す。
反対に、ネアンデルタール人が東アジアの中国や、南太平洋メラネシア地方にあるパプアニューギニアに住んでいた考古学的記録は存在しない。
「ところが実際には、中国人もメラネシア人もネアンデルタール人と近い関係にあり、ヨーロッパ人だけの特徴ではなかった」とライヒ氏は明かす。同氏は、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学が共同運営するブロード研究所で集団遺伝学の研究に従事している。
◆ネアンデルタール人と現生人類は一晩だけの関係?
では、ネアンデルタール人のDNAはどのようにしてアジアやメラネシアにたどり着いたのか?研究チームによると、ネアンデルタール人と現生人類が異種交配した期間は、現生人類がアフリカを旅立った直後、さまざまな民族集団に分かれて世界中に散らばっていく直前だという。最初の交配は約6万年前の中東地域で発生したと考えられる。アフリカに隣接しており、2つの種が一時期共存していた考古学的証拠も存在するという。
研究チームのライヒ氏によると、2種間で生じた遺伝的影響には大規模な異種交配は必要ない。「ネアンデルタール人と現生人類は一晩だけの関係だったのかもしれないし、異種間のあいびきを何度も重ねていた可能性もある」。
◆異種交配のDNA上の証拠はほかにも存在
現生人類とネアンデルタール人の異種交配に関する遺伝的な証拠が発見されたのは、今回の研究だけではない。アメリカにあるニューメキシコ大学の遺伝人類学者ジェフリー・ロング氏が率いる研究チームも、初期現生人類とネアンデルタール人やハイデルベルグ人との間に異種交配があったことを示すDNA上の証拠を発見しており、学会報告を先月行ったばかりだ。
同チームはネアンデルタール人のゲノム解析を行ってはいないが、異種交配が起きた時期に関しては今回の研究と同様、現生人類がアフリカを旅立った直後だと結論付けている。ロング氏は次のように話す。「私たちの研究は現生人類の遺伝子情報を基に進化過程をたどったもので、実証的な裏付けは予想外だった。非常にうれしく思う」。

しかし、同誌には2年前に『ネアンデルタール人と現生人類の交配はなかった』という記事が掲載されていました。2年前の下の記事に触れることなく、発表された今回の研究成果には、なんらかの思惑があるようにも感じてしまいます。
『ネアンデルタール人と現生人類の交配はなかった(2008.8.12)』

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ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、通常の“核”DNAに比べ、古代の遺骨から取り出しやすい。核DNAは細胞核の中に入っているが、ミトコンドリアは細胞中にたくさんあるからだ。「mtDNAゲノムは核ゲノムに比べてかなり小さいので、核ゲノムよりもずっと早く解析結果が分かる」と、研究の著者であるドイツのマックスプランク進化生物学研究所のリチャード・グリーン氏は説明する。
◆今回の分析では、現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人に分かれる直前の共通の祖先が、80~52万年前に存在していたことが示唆された。この結果は、以前にネアンデルタール人について行われた短いDNAの解析結果とも一致している。
現生人類とは対照的に、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAには、突然変異による塩基の置換えが数多く見られた。しかし全体的にみると、ネアンデルタール人が経験した進化上の変化は比較的少なかったようだ。
◆ネアンデルタール人のmtDNAで多数確認された突然変異から、自らの遺伝子プールの制限のために苦しんでいたことが考えられる。これはおそらく、ネアンデルタール人が当時ヨーロッパに住んでいたホモ・サピエンスに比べて小規模な集団で生活していたためとみられる。小規模な集団では、「進化上の有害な変化を排除する自然淘汰の力が若干弱まる」と前出のグリーン氏は語る。
3万8000年前のヨーロッパにおいて、ネアンデルタール人の集団が1万人を超えることはなかったと推定されるという。「これがネアンデルタール人の絶滅要因となった可能性もある」と同氏は述べている。ネアンデルタール人はおよそ30万年前のヨーロッパに初めて出現し、その後、約3万5000年前には謎の絶滅を遂げている。3万5000年前といえば、現生人類がヨーロッパに到着した直後のことだ。
「ネアンデルタール人の小規模集団のうち、いくつかは辛うじて生き延びていたと考えられる。その場合、その後に起こったわずかな生活の変化が絶滅の引き金となった可能性がある。その変化の一因としては、やはり現生人類の登場が想定される。別の大型人類の出現は、ネアンデルタール人にとって大きな変化だっただろう」と同氏は話す。
◆ペンシルバニア州立大学の分子生物学者であるステファン・シュスター氏は、今回の研究には関わっていないが、次のようにコメントしている。「これまでにネアンデルタール人と現生人類の異種交配を主張する説は数多く出されてきたが、今回の研究結果でその論議にも終止符が打たれるだろう。これで少なくとも母系においてはネアンデルタール人と現生人類の混血を示す遺伝子マーカーがないことが分かった」。 同氏はまた、「研究者らはネアンデルタール人のDNA分離作業をことのほか注意深く進めている」とも語った。「今回の研究では確実な分析結果を得るため、各塩基につき35回程度の配列解析が繰り返されている。人間のDNAが混入して分析結果がゆがまないように格別の注意が払われたということだ。これまでの実験ではこの点がウイークポイントになっていた」。
◆前出のグリーン氏は、3万8000年前のネアンデルタール人の集団が小規模だったという主張について「想定の域を出ない」としているが、それでも「この研究結果が出る前に比べれば論拠のある主張だ」としている。

そもそも、DNA解析とはどういったものなのでしょうか?
次回は、DNA解析の限界と問題点言及してみたいと思います。人類の起源の探究にどれだけ有効か?検証も試みてみたいと考えています。
こうご期待ください!

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comments

>『教える、教えられる』という関係(行為)は、早さや効率重視から発生した近代教育特有の様式だったのではないかと思われます。
なるほどです!!
必要性を感じて、達成すべき課題を捕らえると、あとはじっと見て(=同化して)真似するだけ。
確かに幼児はその様にして、必要能力を獲得しているようです。
興味も湧かない内容を、かつ将来使わない数々の知識を詰め込む【学校教育】とは何だったのか?
考えさせられますね。

  • 猪飼野
  • 2010年10月19日 11:29

猪飼野さん、コメントありがとうございます。
学校教育って本当に何だったのか?
振り返ってみれば、学歴や身分を得るための知識や能力を競争する場に、いつの間にか変質してしまったように感じます。特に私権社会が絶対的な場としてみんなに共認されていた時代は、疑う余地はなかったのですが、私権が衰弱して統合軸たり得なくなってきた現在は、何のために勉強するの?って感じている子どもが多いのではないのでしょうか。
これからも応援よろしくお願いします。

  • mtup
  • 2010年10月19日 21:55

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