2010年08月19日
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」10 インディアンの子育て
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」10
今回は日本の子育て教育の歴史から離れ、世界ではどうだったのか?を押さえて行こうと思います。そして、まず第一弾としてインディアンはどうだったのか?を『アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点』(エベリン・ウォルフソン著/北山耕平訳)から紹介します。
大昔のインディアンたちと一緒に、自由に走りまわりたかったなあと思ったことはありませんか?インディアンの子供達は、昼下がりにお昼寝をさせられることもありませんでした。おなかがすいたらいつでもそこには食べるものがありました。お尻をぶたれることもありません。それに学校になんか行かなくともよいのです。でも、それでも、ちゃんと一人前の責任の取れる大人になることができましたし、自分の属する共同社会には、メンバーのひとりとして貢献することもできました。
とりわけ重要なのは、インディアンの子ども達が何を学んでいたか、ということです。それが下敷きとしてあったからこそ、自分や家族を大切にすることができたのです。インディアンの子ども達の教育は、学校というものを必要としませんでした。知らなくてはいけないことは、なんであれ、周囲の大人達のすることをじっくりと見て、学ぶことができたのです。子ども達は大人達のまねをするのを楽しんでやっていました。
子ども達は村のなかを自由に動きまわります。興味があれば、どんな冒険も実験もできました。指導も手助けも、ほんとうに必要なとき以外には、まず与えられません。遊ぶことは、子ども達の日常生活ではとても重要な部分で、遊ぶことと学ぶこととは、切っても切れない関係にありました。
子ども達は、自信と自分が必要とされているという感覚とを、大人たちから狩猟や魚釣りなど食べ物を確保するときに実際に用いる道具や用具のミニチュアをつくってもらうことで学びました。大人も、子ども達が遊べるように人形や小さなカヌーなどをいささか手も抜かずにこしらえます。大人達は子ども達が我を忘れて遊べるようなゲームの楽しみ方を教え、それをとおして、子ども達の肉体的な、そして精神的な能力の発達を促したのです。
日本語の“学ぶ(まなぶ)”とは“まねる”が語源だとか…。
>子ども達は大人達のまねをするのを楽しんでやっていました。
と言うのは、大人達を真似ることこそが日々の学習であったと言うことだと思います。
私も自分の子ども達を見ていて思うことは、子どもはホントに大人を真似ることが好きだと言うこと。例えば大人が使うものを子どもが触りたがるので、同じようなもので子供用のものを与えても、子供は興味を示さない、なんてことは何処の親でも経験しているでのはないでしょうか?
誰がこども達の面倒をみたのですか?
歩きはじめるようになった赤ちゃんは、よちよちどたどたと勝手気ままに野営地のなかを走りまわることが許されていました。部族じゅうの女性が、よちよち歩きの赤ちゃんには常に気を配ってくれます。だから、何かがあればどこからかさっと助けの手が出てくるのです。少し年上の子ども達も彼らといっしょに遊びます。遊ぶおもちゃは祖父母がつくってくれました。部族中の誰もかもが、よちよち歩きの子ども達の探検の付添い人でした。万一、その子が野営地を離れたり、問題を起こしそうなときには、年上の子どもたちや大人が正しい道に戻してくれるのです。
男の子も女の子も、五、六歳になるまでは、母親や同じ部族の他の女性と一緒に生活します。野いちごなどの果物の採集をしたり、薪にする枝を集めたり、飲み水を小さな容器に入れて運んだり、部族の人達に伝言を伝えたりして、子ども達もみんな部族の手伝いをしました。そうすることで子ども達は目上の人達の言うことに従い、年上の人に対して最大の敬意を払って接することを学ぶのです。自分が誤ったおこないやふるまいをすると嘲笑されたり無視されたりすることを、子ども達はとても幼いころに思い知らされます。そのかわりによいおこないには、盛大に褒められたり、愛や尊敬が惜しみなく与えられました。
こどもの面倒をみるのに『誰が』と言う特定の人物はいなくて“集団のこどもはみんなのこども”だから、こどもはみんなで面倒を見ればよいと言う極めてシンプルな環境なんですね。現代の日本のお母さん達にとって、上記の環境は非常に“羨ましい”と映るのではないでしょうか?
しつけは厳しかったのですか?
子どもが「揺りかご板」(クレイドルボード)に入らなくてもいい頃になるまでに、基本的なしつけは終わっています。インディアンの子どもたちは「揺りかご板」の中にいるとき既に「泣くことが重大な罪」であることを教えこまれているからです。声をあげて泣くと、その声で獲物が逃げてしまい、結果的には一族を飢餓におとしいれかねないですし、万一、敵に不用意にその声を聞かれでもしたら、致命的な攻撃を受けないとも限りません。母親は誕生してまもない赤ちゃんがはじめて声をあげて泣き出しそうになったその時から、やさしく鼻をつまんで、泣かないようにしつけをはじめるのです。赤ちゃんもじきに、いつが泣いてはいけないときなのかをさとるようになります。
もし赤ちゃんが理由もなく声をあげて泣き出した時には、「揺りかご板」に入れられたまま泣き声が聞こえないくらい遠くまで運ばれてしまいます。泣いている赤ちゃんの入った「揺りかご板」は、そのままどこかの樹に立て掛けられて、赤ん坊が泣きやむまでほうっておかれるのです。野営地から連れ出されるという気配の与える恐れだけで、わけもなく泣いているような赤ん坊は、ほとんどが泣くのをぴたりとやめたものです。
インディアンの子ども達にとって、しつけの教育効果のもっとも高いのが、そうした恐れや気配をたくみに使うものでした。子どもをぶつことはまったくと言っていいほどありません。そういうときには、なにかに連れていかれるという脅しが、しばしば使われました。フクロウとかコヨーテといった、めったに目にすることはできないけれど、その声はしばしばみんな耳にするような夜に活動する生き物が、悪役として使われました。
子ども達は、なにか悪さをすると、とくにそれが人の生命にかかわるような悪さだと、ところかまわず、公衆の面前であっても、思いっきり叱りつけられました。こらしめとして、部族のみんなが見ている前で、氷のように冷たい河の流れに首まで浸されたり、顔に冷たい水をひっかけられたりもしました。そうやって子ども達は、たいへんばつの悪い思いを味わされるのです。
北西部太平洋岸のネイティブ・ピープルのある部族では、悪いことをした子どもをこらしめる為に、自分の家の前に顔を黒く塗って立たせておくこともありました。他の子ども達が集まってきて笑い者にするので、その子どもは非常にきまりの悪い思いを体験しました。
南西部の砂漠の部族になると、おこないの悪い子どもたちに両親が毎日毎日どうやって正しくふるまうかを言い聞かせるといいます。そうやって日々言い聞かせることで、子ども達に「忘れた」とは言わせないようにしておくわけです。
>声をあげて泣くと、その声で獲物が逃げてしまい、結果的には一族を飢餓におとしいれかねないですし、万一、敵に不用意にその声を聞かれでもしたら、致命的な攻撃を受けないとも限りません。
これは非常にインディアンらしくて面白いですね。産まれてすぐに「泣くことが重大な罪」であることを教えこまれると言うのはまさに集団としての外圧適応なんですね。
総じて、これを読んだ感想を一言で言うと“日本の共同体が残っていた頃と似ているな”と言うこと。どれも目新しいものはなく、どこかで聞いたような話ばかり。逆に言うと共同体では世界の何処であっても、子育ての違いに大差はないのでは?と思えてきました。引き続き調査して行きたいと思います。 では
- posted by mrran at : 2010年08月19日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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