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2013年01月03日

【お正月 特別テーマ 日本人の可能性 第3回 共同体とおおらかな性】

新年明けましておめでとうございます。
本年も皆様にとって良い1年となりますように。よろしくお願いします。
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◆これまでの婚姻史の追求概要
私達は、約1年半前から「日本婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ」と題して、事例を交えながら日本の婚姻史を学んできました。
プロローグ~から始まったこのシリーズですが、これからの共同体の具体的なカタチを追及していくために、今後も、男女のあり方、性のあり方を日本の歴史に学び続けていきたいと思います。
一昨年は、日本の近世・近代を通じ庶民に根ざしていた「夜這い婚」を追求テーマの中心に据え、日本人に残されていた共同体性や、性を含む共認充足が、婚姻関係の根底にあったことを紹介しながら共同体のカタチを学んできました。
昨年は、さらに時代を遡り、極限時代から弥生時代における日本の婚姻形態を詳しくみてきました。常に共同体を形成していた日本人は、常に充足を求め、各時代ごとの外圧に適応した婚姻形態をカタチづくってきました。
本年は、飛鳥時代以降の歴史を学んでいく予定です。歴史追求を進める上で、この記事では、これまで約1年間の追求内容を「日本人の可能性」を軸に、一旦整理したいと思います。
応援よろしくお願いします。

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◆これまでの記事紹介
☆「日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ」シリーズ
①~プロローグ~ リンク
②夜這い婚って何? リンク
③夜這い婚を支える【学び】と【導き】 リンク
④祭りにみる日本人の最大期待とは? リンク
特別編 性の探求者シリーズ 赤松啓介に見る性の追求 ~日本人のおおらかな性~
リンク
☆「日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ」シリーズ2
①目交い~見つめあう充足の性 リンク
②溶け合う充足の先に見た精霊 リンク
③万物を対象に磨かれ続けた応合意識
リンク
④縄文の源流をタヒチにみる ~性は日常・性は充足~
リンク
⑤原初の社会空間(まつり場)は充足発で形成された!
リンク
⑥渡来人も魅かれた縄文の共認風土 リンク
これまでの追求内容をもとに、お正月特別テーマである「日本人の可能性」に焦点を当ててみていきたいと思います。
◆日本人の可能性 ~性は日常・性は充足源~
現代にも続く日本人の特性は、縄文時代に最も強く形成されました。
縄文時代前期~中期の婚姻様式は、比較的自然外圧が低く、気候風土が豊かであり、略奪闘争を経験していないこともあり、同類への肯定視をそのまま残した期待応合の関係を形成していたと考えられます。その集団の在り様、性を中心とした期応関係は、縄文時代の日本の気候風土に似たタヒチの事例に見られます。
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縄文の源流をタヒチにみる ~性は日常・性は充足~より引用

タヒチでは、子供から老人にいたるまで、日常生活の大部分がセックスに関するものであるといわれる。それだけに少年、少女にとってセックスは「お早う」「おやすみ」と同じ意味しかもっていない。つまり、セックスはすでに生活の一部になりきっているのである。
“女は、この島を楽しくするために存在する。” だから短い人生の燃える青春の期間に、できるだけ思い出となる肉体の記録を書きつづる。それにはセックスが最上だ。年をとったら、もうなんにもできない。こうした島のヴァヒネの言葉どおり、情熱を傾け尽くした老女たちは、黙々と子供たちの保育、そして性のテクニックの指導に老後を捧げている。
・妊娠すれば大威張りで、彼女たちはわが家に戻って子供を生む。家族もまた、そんな彼女を大歓迎する。いわば乱交の結果の妊娠が、これほど歓迎されるところも少ない。家族にしてみれば一人でも多くの家族ができることに、喜びすら感じているのだ。
・彼女が体験してきた数々の性についてのこと細かな話が、肉親はいうまでもなく親戚、友人たちを楽しませてくれるからである。セックスは、みずから行うものだけでなく、その話に耳を傾ける人々にも、最大の喜びを与えてくれるのである。

このような例が示すとおり、タヒチの人々は、子供から老人に至るまで、性の充足を追求し、その充足は個人の体験を超えて即座に集団の共認充足となることが特徴として見られます。タヒチの集団の在り様と似た、縄文時代前期~中期の集団内は、共認充足に溢れたものだったと思われます。性はその中でも最大の充足源、活力源であり、そのため性は、みんなに開かれ、日常になっていたのです。
縄文時代中期~後期では、人口が増大し、初めて集団と集団が接するようになりました。
縄文人たちは、集団内で築きあげてきた共認充足の関係基盤を、他集団との関係においても適用していきました。それが、“クナド婚”という婚姻形態であり、他集団との共認充足を追求した結果、クナド広場という充足発の社会空間を創りだしました。
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「原初の社会空間(まつり場)は充足発で形成された!」より引用

数カ村共有のヒロバや、入会山や、交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や、村の入り口に祭ってある石神をクナドの神ともいいますが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さを持っています。交通の神が性の神でもあるというのは、族外婚段階のヒロバのクナドを考えればわかります。クナドは文字どおり神前共婚の場所ですが、またそのことによって他群と交通し、結びつくことになる場所でもあります。
高群逸枝氏は、これについて、その著「日本婚姻史」の中で、これは、村落間で群婚的に通婚が行われていた古い時代、塞の神を祭った広場が群婚の婚所であったことによるとする。すなわち、塞の神は「クナド神」とも呼ばれるが、「クナド」とは「クナギドコロ」の意味であり、「クナギ」とは性交の意味である。すなわち、「クナド神」とは、性交をする場所を邪霊から護る神と云うことである。そして、「クナド神」と云う語には「岐神」と云う漢字が当てられているのは、ヤチマタがすなわち通婚の場所であったためであると述べている。

集団と集団が行き交う交通の要路は、そのまま性の交歓の場でもあったのです。
このことから、縄文時代、他の集団の成員との遭遇時にも、まず安心感が沸き起こり、集団内の肯定視→充足関係を、そのまま他集団の人々にも適用したと考えられます。
皆との共認充足を最大期待とし、共認によって集団を統合する。その統合様式を、集団間にもそのまま適用し、集団間の共認充足を最大期待とし、共認によって集団間を統合するクナド婚という集団同士を繋ぐ新たな婚姻様式を生み出したのだと考えられます。
◆近代にまで残っていた風習
縄文時代に形成された共認風土=その中心が「開かれた性・性は日常」という意識は、1960年代まで“夜這い”という性風習として、日本各地に残っていました。
(詳しくは、上記シリーズ投稿をご覧ください。)
◆1万3000年以上続いた縄文時代に形作られた日本人の特質
縄文時代前期~中期は、性充足を中心に集団内で共認充足に溢れていた様子が見られました。さらに、中期~後期では、その充足基盤を他集団にも広げ、集団間も共認充足関係で繋いでいました(クナド婚)。
縄文時代は、一貫して共認充足の期待応合関係が築かれていたことがわかります。この基盤が、「相手のことを想い、みんなとの充足関係をもとに物事を進める日本人の特性」を形成しているものなのです。
私権時代が終焉し、共認時代となった今、日本人特有の肯定性・充足性を基盤に、集団内も集団間も共認関係をつくっていくことが、時代を勝ち進む実現基盤となります。縄文時代から引き継がれている現代の私達の意識を、集団内で磨き上げ、集団間を繋ぐ共認力としていきたいですね。
最後になりますが、本年も「日本婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ」シリーズは続いていきます。どうぞ温かい応援を宜しくお願いします。

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