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2019年06月06日

西欧科学の成立年表補1 1480~1520年前期魔女狩りは宗教改革の布石

「魔女誕生」は、魔女狩りを前期1480~1520年/後期1580~1670年に分けている。
以下は、その要約。
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前期魔女狩り:宗教裁判所が先頭に立って行ない、犠牲者は限られていた。カトリックが主導
後期魔女狩り:世俗裁判所(領主・国王)が行ない、被害は大きかった。プロテスタントが主導
それ以前から異端審問はあったが、魔女狩り、つまり女をターゲットとした迫害が始まるのは、1480~1520年にかけての前記魔女狩り以降である。
魔女狩りは、魔女狩りの手引書『魔女の槌』が著わされた1480年代に始まり、その後一時停滞し、1580年代に再び、魔女についての新しい文献が出て再燃。

魔女狩り以前から、キリスト教とは異なる様々な呪術概念が存在していた。それら民衆の呪術に対する教会の見解は、「呪術を信じることは悪魔にだまされているからであり、それらは現実には起こり得ないことである」というものであった。そして、民衆の呪術概念を駆逐しキリスト教の教化が行われたが、その教化の具体的指導書が「贖罪規定書」である。その目的は民衆の悪しき誤りを正し、キリスト教信仰の定着を図ることであった。このため、魔女的な行為に対する罰は、さほど厳しいものではなく、まして火あぶりにされることはなかった。

また、1450年頃までの異端裁判では、女性に非難が集中したわけではなかった。実際、1438年ラ・トゥール・ドゥ・パンの裁判では被告はほとんど男であった。
キリスト教世界に害悪をもたらす女性という後世の魔女のイメージは、1486年に出た『魔女の槌』で初めて登場する。
女性を妖術と結びつけてその悪を論じた『魔女の槌』は魔女狩りの手引書となり、魔女=キリスト教世界に害悪をもたらす女性というイメージが確立された。

『魔女の槌』の著者は、インスティトリスとシュプレンガーという二人の異端審問官、つまり教会のエリートたちである。
そのターゲットとなったのは賢女である。実際の経験から直観と多くの呪文によって忠告や助言を与える術を心得ていた老婆や産婆を指すとみてよいだろう。彼女らは手をかざして病気を治したり、悪の魔術を防ぐお守りやその他の手段を講じ、そのうえ多くの者は、占いや愛の魔術も取り扱った。
これらの女性は、その不可思議な知識や能力を身につけているために怖れ敬われる存在であった。なぜなら、病気を治したりできるのなら、逆に病気や災いを引き起こしたりもできるだろうと考えられたからである。
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問題は、なぜ1480~1520年に前期魔女狩りが起こったか?どのような目的で教会のエリートたちは魔女狩りを始めたかである。
注目すべきは1517年宗教改革が始まると同時に、前期魔女狩りが沈静化している。
このことは、前期魔女狩りが宗教改革の布石であったことを暗示している。
実際、宗教改革派の攻撃の的になったのは、免罪符と異端審問(魔女狩り)である。魔女狩りの火をつけておいて、宗教改革派に攻撃させるというマッチポンプが前期魔女狩りだったのではないだろうか。

なぜ、宗教改革が起こったのか?については、「市場論・国家論8.宗教改革とイエズス会」
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・キリスト教は武力支配の時代に作られた宗教であり、欧州が次第に資力支配の時代に移行してゆくにつれて、その教義を修正する必要が出てくる。とりわけ、金貸しにとって、利息の禁止や蓄財の罪悪視は、金貸し支配の社会を構築してゆく上での大きな障碍となっており、何としてもその教義を変革する必要があった。それは、市場を拡大してゆく上で不可避な変革であったとも言える。
・その為には、バチカンを完全な支配下に置く必要がある。又、騎士団領主を実働部隊として大航海を遂行する上で、騎士団に対するバチカンのお墨付きは不可欠であり、そのためにもバチカンを支配下に置く必要があった。
・そこで、金貸しは、バチカンを支配下に置くために、
(1)まずは、金持ちたちに、教会に寄進するよりも金貸し(銀行)に預けた方が得だと宣伝して、バチカンを金欠状態に追い込み、
(2)金欠状態に陥ったバチカンに、免罪符の発行を唆(そそのか)し、
(3)バチカンが免罪符を発行するや否や、ルターとカルヴァンを使って教会批判の火の手を上げさせて、欧州各地で商工業者を中心に改革派の勢力拡大に奔走し、
(4)改革派が一定の勢力に達すると、今度は改革派に対抗してバチカンの勢力を拡大するためにという名目で、騎士団を中核とするイエズス会を設立し、バチカンに公認させた。
以降、現在まで、イエズス会がバチカンを乗っ取り、支配し続けている。
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