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2020年12月17日

若者に対して、誰が性交そのもののやり方を教えるのか?

本ブログで扱った過去記事、・
『私たちは、性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要がある』(リンク)(リンク

「性」について若者たちに教える体制をこれから作り直そう考えたとき、これまで大人たちが目をつぶってきた「誰が性交そのもののやり方を教えるのか?」という問題について、避けて通ることはできないと思われます。人間の性行為は、他の動物の「本能」とは違う性質のものであり、その役割を充分に引き出すためには、先輩から教わって学習する必要があるからです。

 

以下、夏目祭子・著『なぜ、性の真実〈セクシャルパワー〉は封印され続けるのか?』から、引用します。

例えば、中米の先住文化であった古代マヤの社会では、若者が結婚してよい年齢に達する直前の年に、独身の性教育者が自分の体を使って、一対一で技術と心得とを伝授する制度があった。この性教育者は神職の一つとされていて、共同体の人々から一目置かれる存在だった。

マヤの社会の場合、まず男性神官から実技指導を受けて資格を得た、性教育担当の女性神官が、一般の男性を指導するという順序になっていた。一般の女性にはそうした実技教習はなく、やはり女性の性教育神官から、芸術的に表現されたイラストなどを交えて、知識のみ指導を受けておく。そうして、いざ結婚相手が決まったら、既に実習をうけていたい婚約者と共に、彼の教育短同社だった女性神官からの個別指導的なアドバイスを聞いた上で、お互いに満足のいく性生活を作り上げてく、という流れであった。

これは一つの例で、また別の地域の共同体では、少しずつ違ったルールで行われていと思われるが、少なくとも若者に性行為を教えるのは女性の役割、というのは自然の理にかなったことに思える。なぜなら、人が最初に肉体関係を結ぶ相手は「母親」だから。
母の膣を押し広げて外界へと転がり出て、母の乳房を愛撫し、全裸で抱き合う体験を通して、人は人を愛する心の下地を作る。
また、だからこそ、育ちあがって新たに愛する人を選び取る以前に、息子も娘も、母との肉体関係に連なる密着意識からいった、切り離されることが必要になるわけだ。

もう一つ、性行為を教えるということに関して、女性が男性に、という流れのほうがより似つかわしいことには理由がある。
女性の体に備わっている能力とは、内奥から大きな快感を産み出して、自分自身と性交中の相手との二人を丸ごとその潮に巻き込み、交わった相手に生命力を授けるところにある。
そう、実は快楽に満ちた性交を始めるスイッチは、男性にあるのではなく、女性の側にあるのだ。だから男性は、自分の体に備わっていない、女性の体の多彩な表現力を知り、その発揮のさせ方をよく学習する必要があるのだ。同時に女性も、自分の体の中でどのように快感が生まれるのかという仕組みについて、心得ておく必要がある。

マヤの性教育制度では、女性神官は実に一年近くもの期間をかけて、若者の指導を行った。つまり、それだけ人間の持つ能力をフルに発揮しての性交を実現するためには、学ぶべきことはたくさんある、ということだろう。
女性の体から、どのようにして快感を引き出して上げられるか? また、女性の欲求には、月経と関連して、高まる時期と静まる時期との周期性がある。こうした働きに素直に驚嘆し、敬意を払うことをはじめに覚えた男性は、妻に選んだ女性の体を丁寧に扱うことができただろう。そこから、夫婦の営みの好循環が生まれるのだ。

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