2008年02月27日
「ひな祭り」と「婚期」って関係あるの?
3月3日は「ひなまつり」ですね。
コンパクトになった雛飾り
世間では、ひな祭りを祝うための雛人形を飾ったり、各地で様々なイベントが行われていたりで、ちょっとしたお祭りムードの様です。また、それに便乗してあれやこれやの工夫も菓子メーカー等で繰り広げられています。
それはさておき、良く昔の人は
「3日を過ぎても雛飾り(人形)を片付けていないとお嫁に行けなくなる」
という話をしていました。皆さん聞いた事はありませんか?
私の家でも、良く姉がそう言うことを言われていたことを記憶しています。
(ちなみに姉は晩婚だったので、少し信じてしまいましたが・・・。)
本当にお嫁に行けなくなるのでは?と思ったことはありませんか?
この先の話はこちらをポチポチっとしてからどうぞ。
では、ひな人形の起源は何だったのでしょうか?その歴史を簡単に紹介すると、
【古代~】
・「形代」(かたしろ)は、古代からのものです。
縄文の土偶、弥生の人面土器、古墳時代の人物埴輪などからも推測することが出来ます。
古代では祓以外にも、多分に呪術的な要素も多かったのではないかと言われています。
>雛人形は祓(はらえ)用の天児(あまがつ)・這子(ほうこ)と、「ひひな遊び」のお人形が一緒になったものです。
・昔は子供が無事に育つことは大変なことだったのでしょう。「上巳の節句」(じょうしのせっく)の使用された天児(あまがつ)や這子(ほうこ)はいつしか幼子の病気や災厄をはらい無事な成長を祈るものとなってゆきました。
「形代(かたしろ)」
「天児(あまがつ)」 「這子(ほうこ)」
【平安時代】
>・上記の祓(はらえ)用の天児(あまがつ)・這子(ほうこ)とは別に、「ひひな遊び」のお人形というものがありました。
平安時代の古典「源氏物語」に、貴族の少女達が「ひいな遊び」をしている風景が登場しています。
・「ひひな」は、上巳の祓や3月3日とは関係なく幼女の遊び道具として存在していました。
この「ひとがた」(形代や祓用)と「ひひな」が結びついて、現在の「お雛さま」が生まれました。
【江戸時代】
>京都でうまれた雛遊はあくまでも貴族生活の一部で、京都の雛遊をもたらした一人に春日局(かすがのつぼね)があげられます。
京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも3月3日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期ごろ(1640年)と言われております。
そして雛遊という呼び方から雛祭という呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていた訳です。
http://www.kougetsu.co.jp/hinamatsuri/rekisi.html
後に、豪華さを付加しながら今の形態になる。
上記の起源から、身近にある紙・藁・草・土等で人を型どり、身体の病気や災いを身代わりに背負ってくれますようにと、願いをこめてた「祓(はら)え」(罪や穢れなどの不浄を心身から取り除くための神事など)という意味でした。
今の「雛飾り(人形)」とは、後世に引き継がれていくというのが一般的ですが、この起源から考えると家に大事にしまっておくという事は何かおかしな話ですね。
という事から、実はこの「お嫁に行けなくなる」というのは何の根拠もない迷信であるという事です。
ある文献では昭和以降に言われはじめたとありますが、その意味としては後片づけが出来ない子に対する戒めであった事の様ですね。
- posted by minene71 at : 2008年02月27日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
これは、現在でも、そして、駅前の再開発された地域でさえ、いまだに根強く残っているところさえあります。いわゆる●●水利組合というものですが、現在の行政も水利組合の主張にはいまだに関与できません。というかほとんど言いなりです。
かつては、共同性の維持に寄与してきた水利組合も、現在は、利権の温床に成り果てていることも否めません。
おかれた状況がかわれば、その存在意義もかわってしまう典型といったところでしょうか?
利権の温床という見方は一面的な気がします。都会人の農や自然に対するエゴはありませんか?
少なくともかつての(現在も?)水利組合は、単に水の調整だけではなく(これ自体もすごいことですが)、山に木を植え、土を保全し、洪水も一気に海へと流れ込むのを防ぎ、ゆっくりと田畑等に遊水させて利用可能にする。このようにして水そのものを育てて、農産物の育成と都会人の飲み水を作ってきた。
都会人のエゴを捨て、自然の循環にいかに農民が関わってきたかを知る必要があるように思います。
>利権の温床という見方は一面的な気がします。都会人の農や自然に対するエゴはありませんか
もともとの課題(実態)を失うと、せっかくの組合という体制も、利権へと変質してしまっているという趣旨でコメントさせていただきました。もちろん、田舎のほうでは十全に機能しているとは思いますが・・・
都市部の水利組合を中心に、市場社会が、せっかくの共同体質を破壊し、水利組合とはいえ個々人の権利意識に分解してきた事例ではないかというのが問題意識です。
その共同体質を再生するためには、意識の転換と経済システムを包摂した解決策が求められるのでは?
もともとの村落共同体の再生だけでは乗り越えられない現代的な条件を突き止めていきたいですね。
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