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2008年02月26日

3月3日:桃の節句の意味とは

3月3日の ひな祭り、桃の節句 は、五節句の一つです。
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皆さん 五節句 って知っていますか?
江戸時代に、五節句を式日(儀式を執り行う日、祝日)として制定して庶民に広がったらしいのですが、何故 式日に決めたんでしょうか?
 ↓先ずはポッチット お願いします。

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人形のこうげつ 「お雛さまこんな話?」より

・五節供は「五節句」とも書きます。
江戸幕府がこれらの五節句を式日と定めたのは、従来の宮廷の伝統的節会を踏襲する意味がありました。
しかしそれ以上に、武士社会と密接な関係がある農村地帯の民俗的な節日を受容し、これに中国式の解釈を施して形成されたと考えられています。
・五節句には、3月3日、5月5日のように奇数の重なる日が選ばれていますが、これも中国の考え方の影響です。
ただし1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。 
・「五節句」の制度は明治6年に廃止されましたが、民間行事として定着しています。

江戸幕府は、京の都から見ると江戸は田舎であり、宮廷の文化を継承して箔を付けたかったのでしょう。節日(=節)には朝廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。先ずはそれを真似て箔をつけた。
また、その様な田舎侍が社会を統合する為に、百姓を中心とした庶民に広がっていた季節に応じた植物を食することで邪気を払うのが目的の風習を、法律で祝日として皆で祝う事にして人気取りを考えたのでしょう。
庶民は、次のような植物を食する事での「お祓い」としていたようです。

五節句は季節の草や木に関連していますが、季節に応じた植物を食することで邪気を払うのが目的でした。
・人日(じんじつ)  正月7日 お正月の七草・・・(七草粥)
・上巳(じょうし)   3月3日 3月の上巳の桃・よもぎ・・・(桃花酒→江戸時代以降は白酒)
・端午(たんご)   5月5日  5月の端午の菖蒲・・・(ちまき→江戸時代以降は柏餅)
・七夕(しちせき)  7月7日 7月の七夕の竹・瓜・・・(さくげ→江戸時代以降はそうめん)
・重陽(ちょうよう)  9月9日 9月の重陽の菊・・・(菊酒)

3月3日
上巳の節句→桃の節句→雛祭りとなった~
古代中国には、三月の初めの巳の日(上巳・じょうし)を悪日として、川辺に出て不浄を除くため水で祓(はらい)を行うという風習がありました。
<中略>
日本にも古来より、人形(ひとがた)に不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うという風習がありましたので、この二つが合体して「上巳の節句」となりました。
桃の節供と呼ばれるのは、その季節のものというのも理由のひとつでしょうが、桃には邪気を払うという魔除けの信仰があったからだそうです。

桃には邪気を払うと言う魔よけの信仰があったと言うのにはびっくりしました。
民話の「桃太郎」は、意味があったのです。
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「桃太郎神社」

昔から邪気の象徴は鬼とされており(だから節分には鬼を祓います)、邪気を祓う力のある桃には鬼を退治する力もあると考えられてきました(節分に桃を使って邪気祓いをする神事も多数みられます)。
この思想がベースとなり、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生しました。

「all about :ひなまつり・桃の節句~本当の由来」から
日本では、支配者層が制度化した五節句は、庶民に広がっている風習を追認したような形です。支配者層は比較的質素な生活をしており、強制力の強い支配よりも、共同社会の一員と言う意識を感じられます。

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comments

「一夜妻」は、かつて精霊へのお供えが、その後神(≒人間の形をした精霊?)へのお供え=“嫁”へと発展したのでしょうか。
いずれにしても時々むこうからこちらに逢いにやってきてくれる神様たる“まれびと”への、信仰心からの「もてなし」の風習なのですね。
世界各地にも原始共同体的な生活を営んでいる部族には、似たような風習を残している事例がありましたね。

  • 戌年
  • 2008年5月24日 23:05

素朴な疑問ですが、稀人(まれびと)に女性はいなかったんですかね?

  • masa
  • 2008年5月27日 22:33

戌年さん、masaさん有り難うございます。
>「一夜妻」は、かつて精霊へのお供えが、その後神(≒人間の形をした精霊?)へのお供え=“嫁”へと発展したのでしょうか。
昔に外来者が良き文化や技術を持ち込んだ歴史があったのでしょうか。外来者を「まれびと」として歓迎する文化は、「まれびと」に喜んでもらいたいと言う「おもてなし」が性の提供に繋がったのだと思います。
女性の「まれびと」が居たとすると、やはり美味しい食事の提供ですかね。

  • koukei
  • 2008年5月31日 14:53

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