2009年06月17日
後期旧石器~縄文時代の日本の植生と食糧事情 ①
近年、縄文時代の遺跡の発掘や研究が以前にも増して進んでいます 😀
過去、その樹木の実り豊かな植生から、東日本中心の関東~東北地方≒落葉広葉樹林文化(ブナ、ナラ、クリ等)が定説と見なされてきた縄文文化ですが、現在では照葉樹林帯である西日本や九州でも縄文遺跡が数多く見つかっています。
◎果たして、縄文文化と森林の植生=地域との関係はあるのでしょうか?<図は2万年前の日本列島>
今回は植生と気候・食料事情の観点から、改めて日本の後期旧石器時代~縄文時代を追って見たいと思います
それでは、ポちっとお願いします↓
●後期旧石器時代の日本(冒頭の図は約2万年前の日本列島)
日本の後期旧石器時代はというと、今から遡ること約3万5000年~1万2000年くらいの昔です。この頃はまだまだ最終氷期の真っ只中で、旧石器時代の人々は移動する大型獣を追って移動キャンプをしながら狩猟生活を行っていました。
その頃の日本列島には43万年前にやってきたナウマンゾウなどの中国北部の動物群やそれ以前からいた動物たちが棲息していましたが、最終氷期に大陸と繋がった北海道だけはマンモス動物群が宗谷陸橋を渡ってくることが出来たので、それらの混合相となったといわれています。(北海道にはマンモスがいたんですね~)
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写真は野尻湖のナウマンゾウ復元模型>
ナウマンゾウで知られている長野県・野尻湖の立が鼻遺跡では、約4万8000年~3万3000年前までの地層中から、ナウマンゾウやヤベオオツノシカなどの化石と一緒に、それらの動物を解体したとみられる骨器や石器などが多数出土しました。その研究から、この時代の旧石器人類が、ナウマンゾウなどの大型獣を狩猟し、そこで大量に解体して生活していた事が明らかになっています。
草食性の大型の哺乳動物は季節によって広範囲に移動を繰り返すので、それを追って旧石器人もキャンプ生活を営みながら、頻繁に移動を繰り返していたようです。キル・サイト(解体場)や生活痕、礫群、炭の粒の集中するところは日本列島内で数千カ所も発見されていますが、その反対に竪穴住居などの施設をともなう遺跡は、ほとんど発見されていないことから、定住生活はまだ行っていなかったと考えられています。
●後期旧石器時代の日本の気候
最終氷期の日本の平均気温は現在より6度から7度も低く、なんと本州がいわばシベリア並の気候だったわけです。寒冷気候に属し、山脈には氷河、日本海側の降雨源である対馬海流が存在しないため、日本海側は乾燥地となり、太平洋側は親潮の勢力が現在よりもはるかに強かったのです。
しかし南方より水温高き黒潮が親潮とぶつかるという構図は現在と変わらず、この黒潮の効果により日本は氷に閉ざされることなく、草原と亜寒帯樹林や東日本には針葉樹林が広がる、大型動物の狩猟の最適スポットになっていたようです。
亜寒帯針葉樹林風景
北海道では永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では山岳氷河が発達し、モミやシラカバなどの針葉樹林の地域も南下していました。落葉広葉樹林帯は、今日常緑照葉樹林の広がる西日本のあたりに広がり、照葉樹林帯は屋久島、種子島より南方でようやく見られるといった程度でした。
現在のツンドラ気候風景
●後期旧石器時代の日本の植生(針葉樹林→落葉広葉樹林)
氷期を約6万年前を境に前半と後半に分けると、前半の日本の植生は温帯性の針葉樹によって占められる針葉樹林の時代、
そして、後半は約5万年前と約2万年前の亜寒帯の針葉樹が繁栄する時期と、それ以外のコナラ属(落葉広葉樹林)が繁栄する時代に分けられます。
つまり、日本では6万年以前は針葉樹林が列島を覆っていましたが、6万年以降、北海道をのぞいて西南日本から太平洋沿岸伝いに次第に落葉広葉樹林が増加し拡がっていったのです。
現在の落葉広葉樹林風景
やがて最終氷期の最盛期である約2万年前の植生は、北海道南部から中央高地にかけては亜寒帯性針葉樹林、それより西側は温帯性針葉樹と落葉広葉樹の混交林が広範囲に拡がっていました。西日本は現在のような照葉樹林帯ではなかったのですね。
●列島孤立と食糧危機
その後、日本列島の温暖化に伴い落葉広葉樹であるコナラ亜属やブナ属、クリ属など堅果類が続々と繁茂する一方で、植生の変化は、それまで主食であったマンモスやトナカイ、あるいはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物の生息環境を直撃し、約1万年前までには日本列島からこれらの大型哺乳動物がほぼ絶滅してしまうことになっていくのです。
肉食中心のそれまでの生活でも、一部木の実等も食していたことが最近明らかになってきている後期旧石器時代の人々。食料を落葉広葉樹の木の実中心(生産性以前に照葉樹はまだない)にシフトすることで環境の変化に適応していくのです。
温暖化により大陸より孤立した日本列島。そして植生変化に伴った大型獣の絶滅。旧石器時代の人々はこの危機的食料状況を、ある意味、落葉広葉樹=堅果類の繁栄によって救われたといえるのかもしれませんね。
旧石器人が食べていたとされる植物性食料の代表は松の実<針葉樹>やハシバミ<落葉広葉樹>などのナッツ類。写真はハシバミ。ドングリのように見えますが、味はくるみのような味で、あくもなく甘みがあるといいます。実はへーゼルナッツの近縁種です
次回は、後期旧石器時代の後半=縄文時代の植生と食料事情に迫っていきます:D
<参考>
「森の形 森の仕事」(世界文化社、1994年刊) 稲本正著
- posted by kasahara at : 2009年06月17日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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