2009年06月18日
インドの婚姻制度と共同体 2/2~日本人と近似性の高いトラヴィダ人~
前回、インドの婚姻制度と共同体 1/2では、インド全体の婚姻・社会問題を書きましたが、今回はその中でも元気がある(希望がもてる)民族、トラヴィダ族について紹介します。
最近のインド経済を引っ張っているIT産業、医療産業は先進国と肩を並べる技術レベルにあります。
それらを担っているのは、カースト制での下位民族、前回紹介したインダス文明を創ったと言われている、トラヴィダ族です。
インダス遺跡の発掘物 画像は「現実の歴史と非現実な空説歴史」さんよりお借りしました)
インドでは、身分によって従事できる職業が決まっていますが、カースト制が出来た時になかった新しい産業(ex.IT産業)は選択する事が出来ます。
下層階級または宗教の違いによりカースト制から外れている階級の仕事とされているのは、清掃・芸能・皮革・酒造・織師・竹細工・金銀細工・弓矢製造・植木栽培・医者・産婆・占星術・洗濯・散髪・動物飼育などです。(医者は死体の処理まで任されていたので、下層階級の仕事でした。)
また、格安の自動車販売で日本でも紹介されたタタ・モータース(タタ財閥)は、元々はペルシア一帯(現在のイラン)からインドに渡ってきたパールシー(ゾロアスター教徒)の子孫で、カースト制(ヒンドゥー教)には入っていないグループです。
つまり、インドの産業経済の牽引役は、カースト制の下層民族やカースト外の民族です。
彼らの活力源は、貧困からの脱出もあると思いますが、はたしてそれだけでしょうか。
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インダス文明を創ったと言われている、トラヴィダ族は、侵略してきたアーリア人に追われてインド南部に逃げ込みます。
※GREAT ESCAPEさん、悠々人生さんから頂きました。
左がトラヴィダ人、右がアーリア人
この「婚姻史ブログ」でも紹介されてますが、トラヴィダ族はその地で母系を中心とした社会を作り上げます。
インド南西部ナーヤル・カースト~婚姻様式とカースト制度
南インド ドラヴィダ人:ナーヤルの母系社会~ドラヴィダ人とは?
南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~南インドの巨石文化
南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~ヒンドゥー父系社会の中の母系社会
南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~母系社会の変容と崩壊
そして彼らはイギリスの植民地化→市場社会の拡大とともにその共同体・母系社会という基盤が崩れながらも、20世紀半ばまでその価値観(交叉婚)を残しています。
その中でトラヴィア族は、識字率が90%(インド全体では52%)と高い教育を施し、今のIT産業・医療技術の基盤を作り上げています。
その高い技術力と勤勉性は、20世紀半ばまで残していた母系制・集団性と無関係ではないでしょう。
以前、調べたドイツ(ドイツ人の気質とは?(2) ~その共同体気質の根源は?~)や縄文体質を残した日本の高い技術力・追求力はその民族の集団性と密接な関係があると推測されます。
そして、トラヴィダ族と日本の近似性は、母系・集団性だけではありません。
トラヴィダ語の一つであるタミル語は、日本語とかなり近似性があります。(以下に紹介する大野説は未だに賛否両論あります)
日本語のなぞ
第2章 日本語の源
「日本語の起源」(岩波新書)によると、大野氏が日本語とタミル語の類縁性に気付いたのは、英語で書かれたタミル語の辞典を読んだからだという。そして、日本語とタミル語とが、あまりにも鮮やかな対応を示しているのに驚いた。
「こめ」「なへ」「あぜ」「たんぽ」「かね」「たから」「おる」「はた」「かみ」「まつる」「はか」「あはれ」「さび」など、何百という単語に類縁が認められる。類縁は単語だけでなく、係り結びといった独特な文法構造にも及んでおり、比較言語学の立場からも類似が際立っているという。
さっそく大野氏は南インドへおもむき、現地を調査した。そして、類似性は風習や文化一般にまで及んでいることを知る。すでに還暦を過ぎていたが、ここから彼の命がけの精力的な研究が始まった。
彼の説はなかなか受け入れられなかったが、次第に外国で認知されるようになり、タミル大学前学長でタミル語学の第一人者、アゲスティアリンガム教授も、「タミル語と日本語は起源的に親族関係にあると確信した」と、大野説を認めているという。
それにしても、日本と南インドは遠い。そんな遠いところから、どうやって言葉が伝わってきたのだろうか。大野氏は2千数百年前、縄文時代末期に、タミル人が海路、船団を組んで北九州に到来したと考えている。彼らが稲作文明とともに言語(タミル語)を日本に伝えのだろうという。
もしこの大野説が本当なら、日本語の源流はタミル語にあることになる。さらにタミル語はその源をインダス文明に遡り、さらにメソポタミア文明へと遡ることができる。つまり、私たちの日本語の起源は遠く、シュメー人の文明までさかのぼることができる。
こうした大野氏の20年に及ぶ研究成果は大著『日本語の形成』(岩波書店)となって結実した。序文に彼は「私はこの本の序文を書くときまで生きていることができて仕合せである。私の一生はこの一冊の本を書くためにあったと思う」と書いている。読んでみたいが、定価が18000円もする。まずは、どこかの図書館で探してみたい。
以上のように、日本人と近似性の高いトラヴィダ人であるが、特筆すべきは、カースト制の中で母系集団を維持し、集団性を残しながら、高い教育を施し続けた事(この当たりは、日本の江戸時代の庶民の環境(ex.寺子屋)と被る部分もある)。
カースト制の底辺にいながら、市場社会の可能性が開けるやいなや、技術を獲得し国の経済力の牽引役となっている。
日本人と違うところは、彼らがインド全人口の23%しかいない事であり、市場が拡大しても尚、カースト制が残り続けているため、そこから逃れるように海外に脱出している。
つまり、頭脳の海外流出である。
彼らが国に帰り、カースト制の上位層(バラモン、クシャトリア)に取って代わった時、インドが生まれ変わる時ではないでしょうか。
- posted by moihs at : 2009年06月18日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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comments
>日本人の本源性と可能性は、縄文以来「ことば」を介して受け継がれてきた共認内容に宿っているのだと思います。
血筋や遺伝情報よりも言葉によって受け継がれた共認内容が重要だと思います。
日本人の言葉は南方が優勢ですが、DNA的には北方が優勢です。これは縄文人の受け入れ体質と母系社会が続いた事によるのではないか?と考えていますがどうでしょうか?
韓国語やアイヌ語、ニブヒ語、扶余、高句麗語、古代
新羅語、百斎語、加耶語、や古代中国語、
チベットビルマ語派などシナ・チベット語族、
との対応。
更に男系、女系双方から起源を調べた方が良いかと。
C3、韓国語、扶余語、高句麗系と起源近い。
D2、チベットビルマ語派の基礎
O2b1、アウストロネシア語族
O3、シナ・チベット語族
後、ドラビダ語族とも
共同体社会と人類婚姻史 | 日本人の言葉と共認内容~①縄文語について
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