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2010年06月08日

シリーズ「私婚関係から私権の共認へ-Vol.2」 ~実現論 第二部:私権時代より-①~ 

前回のシリーズ『実現論「第一部:前史」』に引き続き、『シリーズ「私婚関係から私権の共認へ」Vol.2』と題し、『実現論「第二部:私権時代」』をシリーズでお届けしていきたいと思います。
前回までのポイントとして・・・
集団とは、外圧状況により生産様式が作られ、そして生産様式による外圧状況の変化に対応するために集団の根幹を成す男女の婚姻様式が決定されていく。
採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、男女共認は成立していたことを明らかにしました。
しかし、集団課題が克服されると集団課題が捨象され、個人課題へと暴走する可能性が生まれていく。
すなわち、集団婚が解体され、私婚へと移り変わっていく・・・。
この移り変わりは、人類史上大きな結節点である事は重要な認識です。
どの様な歴史を辿ってきたのか?また、パンドラの箱を開けたのは誰か
私婚関係成立前後の歴史を辿り、現在の社会制度の根本にある婚姻制度を切開し、その構造的欠陥を明らかにしていこうと思います!
いつも応援ありがとうございます。

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😉 まずはおさらいです。
「第一部:前 史」~チ.採取時代の婚姻様式~より引用です。

(010806)
(中略)集団を捨てて逃げる為には強固な反集団の自我収束が必要だが、そこまで強く自我収束し得る場が、狩猟部族や牧畜部族には見当たらない)。だが、彼らが遊牧へと移行していった時、彼らは遂に開けてはならないパンドラの箱を開け、集団を破壊する性闘争を顕現させてしまうのである。

😀 ここからが今回のメインテーマです。
引用【1】です。

「第二部:私 権 時 代」~イ.人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ~

(020101)
遊牧は、羊を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する生産様式である。しかも、遊牧部族は移動≒闘争集団ゆえに男原理の父系集団となり、元々の母系の勇士婿入り婚は父系の勇士嫁取り婚に移行している。その婚資(結納)は相当数の家畜である。従って、その小氏族=大家族そのものが、蓄財(家畜を増やすこと)を第一義目的とした私益集団的な色彩を帯びている

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↑スキタイ族(遊牧民族の先駆け)
以下解説です。
「女が自我に収束した理由」 より引用①

にあるように女の価値は羊の数によって決まるようになった。つまり、女は共認対象ではなく私権対象物となってしまったのである。また、嫁ぎ先では初めの引用にもあるように闘争集団に全的に収束できなかった。このようにして、女は共認非充足となり、性的存在理由欠乏をどうにか満たそうと、この頃で言えば自我回路と結びつき自分の期待に応えてくれる下司男へとむかっていくこととなったようである。

引用【2】です。

「第二部:私 権 時 代」~イ.人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ~

(020102)
実家を基盤に集団との距離を保ち、私益存在的な色彩を帯びた母親に育てられた娘たちは、性的存在として誰の下に嫁ぐのが得か損かを、娘心に考えながら成長してゆく。つまり、性回路が私益=自我回路と一体化して終う。しかし、相手を選ぶ権利は家父長が握っている。
そこで、許婚が気に入らないとか、夫が(他の女たちに較べて)かまってくれないとかの不満が生じると、性的存在理由の欠乏は全的に自我回路に収束し、性的存在理由を充足する機会を求めて、夫以外の男を挑発し誘惑する。その際、相手の男が集団性=規範性の高いまともな男なら、「規範を破ってはいけない」と女をたしなめるだろうし、家父長に報告されるかも知れない。

以下解説です。
「女が自我に収束した理由」 より引用②

母系集団の時は血の繋がりのある女の人が共認の要となってくる。ゆえに、男はその生殖集団を守ることを役割とし、女も闘争する男に同化しやすく、自我収束することもなかった。
しかし、遊牧の頃を境に父系社会へと転換した。これが女にとって大きな転換点となる。
とりわけ、女は闘争集団に対する収束力が極度に貧弱であり、自らが生まれ育った生殖集団=闘争集団においてはじめて集団に全的に収束できるのであって、嫁ぎ先の闘争集団に全的に収束するのは困難であり、多かれ少なかれ集団との距離を残している。実際、他所者の妻たちは、夫々が別々の小氏族の出身であり、実家の小氏族を基盤にして自らの存在権を守っているので、嫁ぎ先の小集団に対して夫々に私益存在的な色彩が強くなる。

引用【3】です。

「第二部:私 権 時 代」~イ.人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ~

(020102)
従って規範破りの相手には、常に最も集団性・規範性の低い下司男が選ばれる。しかし、それは集団から見た場合であって、性的存在理由→性的自我に収束した女にとっては、己の期待に応えてくれる男が一番いい男(≒首雄)となる。
かくして自我に支配された女は、その首雄収束の思い込み回路を使って、最低の下司男を最高の強者だと180度逆転させて思い込み、首雄収束を下司収束に換骨奪胎して終う。自我は、共認(集団や規範)に対する否定(反や破)をエネルギー源にしている。従って、性的自我の塊と化した女と男にとっては、規範破り=集団破壊こそが潜在的な究極の目的=快感となるのであって、この狂った性的自我こそ、人類の全ての邪心の源である。現にこの狂った性的自我は、規範破りの私的な性関係を構築し、その私的関係を核にして、最終的には集団を破壊していったのである。

改めて、女にとって父系社会への転換とは、その(父系)集団からの隔離であり、どこに向いて良いのかが分からないという収束不全を生んでしまいました。
結果、間違った思い込みが性的な自我を生んでしまい、集団を良からぬ方向へと向かってしまう・・・。
次回へつづく。

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